第29話 なつほの完全な失敗
なつほは、完璧な模型を作ろうとしていた。
最初の灯台模型は、子どもたちに大人気だった。下部倉庫の位置、階段の向き、避難経路の矢印。小さな樹脂の扉は開き、紗那はそこへ小指を入れて「ここから逃げる」と何度も練習した。
けれど、なつほ本人は納得していなかった。
「柱の太さが違うんです。あと、下部の湿気の位置が伝わらない。レンズ室の角度も本当はもう少し」
大輝には十分すぎる出来に見えたが、なつほは歯科技工士らしい細かい目で、模型の欠点を一つずつ見つけていった。
「説明会で使うなら、作り直します」
「無理しないでください」
「無理ではありません。修正です」
その言い方がすでに無理をしている人の声だった。
翌朝、なつほは目の下に薄い影を作って店に来た。両手には大きな箱。髪はきちんと結ばれているが、前髪だけが少し乱れている。
「完成しました」
子どもたちは歓声を上げた。可純は「職人の顔ね」と感心し、麻央は資料の横に模型を置く場所を空けた。
なつほは箱を開けた。
そして、凍った。
中に入っていたのは、灯台の上部だけだった。
下部倉庫、階段、避難経路、湿気の位置を示す部品がない。
なつほは箱の底を見た。布をめくった。もう一度見た。何もない。
「……忘れました」
声が、灯台の模型より小さかった。
店の中が静まり返る。
なつほは真っ赤になった。
「家の机に。下部を。置いてきました」
完璧な模型は、灯台の上だけになっていた。これでは、下部倉庫の危険と使い道を説明する一番大事な部分がない。
可純が口を開きかけた。大輝は止めようとしたが、その前に紗那が粘土の箱を抱えて走ってきた。
「作る」
「え?」
「下、作る」
紗那は真剣な顔で、茶色の粘土を丸め始めた。広河も衣装の袖をまくり、一彰は紙に四角を描いて型にする。啓彰は「粘土を分けるときは、ありがとうと言いましょう」と仕切った。
なつほは呆然としていた。
子どもたちの作る下部倉庫は、当然ながら歪んだ。扉は大きすぎ、階段は三段しかなく、避難経路の矢印は途中で曲がって花になった。正朋がラムネを詰めようとして、大輝に止められる。
「だめ。模型に食べ物は入れない」
「前も?」
「前も今もだめ」
笑いが起きた。
なつほは、その笑いの中でゆっくり息を吐いた。
「ごめんなさい。大事な日に」
「大事だから、みんなで直してます」
大輝が言うと、なつほは目を伏せた。
「完璧にしないと、伝わらないと思っていました」
「伝わるための模型ですよね。完璧を見せるためじゃなくて」
麻央が、子どもたちの粘土倉庫に付箋を貼った。
湿気で傷んだ床。
直せば使える入口。
子ども立入禁止の線。
説明としては、むしろ前よりわかりやすくなった。粘土の歪みが、古い建物の不安定さをよく表している。花になった矢印は余計だったが、早貴が「避難経路の終点を休憩場所にする印」と言い張り、採用された。
昼過ぎ、なつほは家から忘れた部品を持って戻った。
精密な下部倉庫は、たしかに美しかった。床板の傷み、配線の位置、壁の厚み。見れば見るほど、手間がかかっている。
けれど子どもたちは、粘土の下部倉庫も片づけようとしなかった。
「両方使おう」
一彰が言った。
「こっちは本物に近い。こっちは、僕たちが直したい気持ち」
なつほは笑った。疲れた顔のまま、少しだけ肩の力が抜けた笑いだった。
「完全じゃなくても、説明できるんですね」
「完全じゃないほうが、助けやすいこともあるみたいです」
大輝はそう言って、緑茶を置いた。
なつほは湯飲みを両手で包み、粘土の灯台を見つめた。
灯台の下部は、少し歪んでいる。
けれどその歪みを、たくさんの小さな手が支えていた。




