第3話 宣戦布告は緑茶のあとで
商店街会議は、魚屋の隣にある集会所で開かれた。
畳の端は少し波打ち、壁の古い時計は五分遅れている。やかんの湯が沸く音に混じって、外の通りを自転車が走る音がした。大輝は紙コップを並べ、緑茶の濃さが偏らないように急須を二つ使った。
「緑茶で止まる話じゃないわよ」
可純は座布団の上に立ち上がりそうな勢いで言った。
「止めるんじゃなくて、飲み込む時間を作るんです」
「誰がうまいこと言えって言ったの」
文句を言いながらも、可純は紙コップを受け取った。湯気で眼鏡が曇り、しばらく黙った。
その沈黙の間に、再開発会社の担当者が資料を配った。表紙には、旧灯台周辺整備案と大きく印刷されている。灯台はなくなり、かわりに小さな記念碑と、車両が入りやすい広い道が描かれていた。
「危険な建物を放置するより、町の皆さまが使いやすい環境へ整えるほうが、将来のためになります」
担当者は滑らかに説明した。確かに、図面だけ見るときれいだった。歩道は広く、植え込みもあり、記念碑の前にはベンチまである。
だが、大輝はその絵を見て、どこにも人が逃げ込む場所がないと思った。雨の日に濡れた子どもを座らせる隅も、台風の夜に緑茶を出す窓も、見当たらない。
「はい!」
可純が手を挙げた。挙げたというより、空気を切った。
「私は反対です。理由は、嫌だからです」
集会所が一瞬、静まり返った。
担当者は笑顔の形を保ったまま、「感情面のご意見として承ります」と答えた。
「感情面じゃないです。町面です」
「町面?」
「この町の顔ってこと」
可純は自分でも今思いついたらしく、少し得意げに胸を張った。
そのとき、入口の戸ががらりと開いた。紗那、広河、一彰、啓彰が、紙を掲げて入ってくる。紙には、太いクレヨンで「とうだいほごたい」と書かれていた。字の大きさはばらばらで、最後の「い」は横へ倒れかけている。
「失礼します!」
啓彰が背筋を伸ばして頭を下げた。
「大人の皆さん、話し合いの前と後には挨拶をしてください!」
町内会長が咳き込み、勇が笑いをこらえて肩を震わせた。広河は布で作った冠をかぶり、真剣な顔で胸を張っている。
「灯台は、姫が保護します」
「誰が姫なの」
可純が聞くと、広河は迷わず自分を指さした。
笑いが集会所に広がった。再開発会社の担当者だけが、資料の角をそろえながら笑顔を固定している。
珠里がゆっくりと手を挙げた。
「少し、昔の話をしてもいいですか」
年金生活に入ってからの珠里は、会議で強く言い切ることが少ない。けれど、彼女が声を出すと、みんな自然に耳を傾けた。
「旧灯台の土地は、昔から少し複雑だったと思います。漁師さんの寄付、商店主の修繕費、町内会の管理。全部がきちんと一枚の書類にまとまっていたかどうか、私は覚えていません。でも、誰か一人のものとして簡単に扱える場所ではなかったはずです」
大輝は栗皮茶色のファイルを机に置いた。
「倉庫から、領収書が出ています。灯台の修繕や、避難者用のお茶、迷子を保護するための毛布。まだ全部は見ていませんが、町の人が関わってきた記録です」
担当者の視線が、ほんの少しだけファイルへ動いた。
「古い紙類については、整理のうえ、不要なものは処分する必要があります。個人情報の問題もありますから」
「処分するかどうかは、読んでから決めます」
大輝の声は、自分で思ったより静かだった。
可純が隣で立ち上がった。今度は座布団から片足がはみ出している。
「では、北町商店街は、旧灯台を雑に扱う考えに宣戦布告します」
「可純さん、戦争みたいな言い方は」
「じゃあ、宣戦緑茶」
「何ですか、それ」
「緑茶を飲んでから戦うの」
集会所にまた笑いが起きた。大輝は頭を抱えたが、少しだけ救われた。怒りだけで押し切れば、町はすぐ二つに割れる。笑いがあるうちは、まだ同じ畳の上に座っていられる。
担当者は資料をまとめながら、次回は正式な説明会を開くと告げた。
会議が終わるころ、紗那が大輝のところへ来て、栗皮茶色のファイルに向かってクレヨンの花丸を見せた。
「まだ押さない。破れちゃうから」
「じゃあ、空中に押す」
紗那は何もない空気に、ぽん、と花丸を押すまねをした。
大輝はファイルを抱え直した。宣戦布告という言葉は大げさだ。けれど、町の人が何を守りたいのか、その輪郭だけは見えはじめていた。
緑茶の紙コップは、いつのまにか全部空になっていた。




