表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
領収書屋さんと霧の中の灯台 ――北町商店街、最後の一枚まで愛で保護します――  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/11

第2話 掃除機が捕らえたもの

 小火が起きたのは、前日の午後だった。

 大輝が旧灯台の下部倉庫へ着いたとき、入口には濡れた段ボールと、使い古された箒と、町内会の腕章をつけた大人たちのため息が積み上がっていた。再開発会社の担当者は、汚れのないコートを着たまま、倉庫の外で腕時計を見ていた。

 「このままでは近隣の安全に関わります。片づけだけでも早急に進めたほうがいいですね」

 声は丁寧だった。丁寧すぎて、こちらの肩を静かに押してくるように聞こえた。

 倉庫の中は、潮を含んだ木材の匂いがした。古い棚は傾き、床の一部はふかふかしている。捨て忘れられた長靴、錆びたバケツ、箱に入ったままの紙コップ。天井の隅には、去年の台風で吹き込んだ砂が薄く残っていた。

 「だいきさん、これ、吸っていい?」

 正朋が掃除機のホースを両手で抱えていた。幼稚園の名札が少し斜めに曲がり、靴下の片方だけが裏返っている。

 「だめって言っても、もう半分吸ってるよね」

 「半分じゃない。ちょっと」

 正朋が胸を張ると、掃除機の中で何かががらがらと鳴った。

 大輝は慌てて電源を切ろうとした。だが、古い延長コードは入口の柱から無理に引き回され、湿った床の上でねじれていた。掃除機のプラグの根元が熱を持ち、焦げたような匂いがした。

 「止めてください」

 大輝が声を上げるより早く、ぱち、と小さな音がした。白い煙が延長コードのつなぎ目から立ち、誰かが悲鳴を上げた。

 火は大きくならなかった。幸平が外にあった消火器を持ち込み、理彩子が濡れた雑巾を床からどかし、勇がなぜか冷凍コロッケの箱を抱えて入口をふさいだため、現場は一瞬だけ妙な絵になった。

 「それ、今いらない!」

 可純の声が飛び、勇は箱を抱えたまま後ずさった。

 煙が消えると、倉庫の中には焦げたゴムの匂いだけが残った。大輝は正朋を外へ連れ出し、しゃがんで目を合わせた。

 「けが、してない?」

 「してない。でも掃除機、おなかいっぱい」

 正朋は泣きそうな顔で、掃除機の丸い胴を見つめた。

 再開発会社の担当者が、そこでようやく倉庫の入口へ近づいた。

 「やはり、危険性は明らかですね。住民の皆さまの安全を考えると、取り壊しを前向きに検討したほうがよいかと」

 大輝は、その言い方にすぐ返事を返せなかった。火が出たのは事実だ。怖かったのも事実だ。だが、建物が勝手に燃えたわけではない。湿った床、古い延長コード、急がされた片づけ、そこに子どもが紛れ込んでいたこと。その全部が乱暴に結び合わされ、煙になって吹き出したように見えた。

 担当者は、町内会長へ書類を差し出していた。

 「詳細な調査は後日として、まずは危険建物として扱う手続きを進めましょう」

 可純が一歩前へ出かけたので、大輝はその袖をつかんだ。今ここで怒鳴っても、煙の匂いが残るだけだ。

 そのとき、掃除機の吸い込み口から、黒く縮れた紙片がひらりと落ちた。

 大輝は無意識に拾った。熱で端が丸まり、文字は半分ほど消えている。だが、数字が残っていた。日付らしきものと、金額。さらに、かすかに「灯台下部」という文字が読める。

 「それ、燃えたごみですよ」

 担当者が言った。

 「はい。燃えたごみです」

 大輝は紙片を手のひらで隠すように持った。

 「でも、燃える前は何かの記録でした」

 担当者は薄く笑い、町内会長との話へ戻った。

 正朋が大輝の袖を引いた。

 「ぼく、悪いことした?」

 「掃除機で何でも吸うのは、悪いより危ない」

 「じゃあ、悪いは少し?」

 「少し。あとで一緒に謝ろう」

 正朋はうつむいて、靴の先で砂を押した。

 大輝は紙片をポケットへ入れた。小さな焦げ跡は、指に黒い粉を残した。古い紙は簡単に燃える。けれど、燃え残るものもある。

 倉庫の外では、霧が海のほうから流れてきていた。旧灯台の白い壁が、煙のあとの空気の中で少しくすんで見えた。

 あの建物が危険なのか。危険に見えるような扱いをされたのか。

 大輝には、まだわからない。ただ、掃除機が捕らえたものを、ごみ袋へ入れる気にはなれなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ