第26話 取引を断る昼食
再開発会社から届いた封筒は、まだ店の一番奥に置かれていた。
白い紙の中に、前払い金の明細と、臨時整理業務の依頼書が入っている。大輝は何度も読み返し、そのたびに「整理後の不要書類処分」という一文で指が止まった。
不要。
その二文字が、栗皮茶色のファイルの上に重く落ちる。
午前中、大輝は台所で大きな鍋を火にかけた。白菜、大根、人参、少しだけ豚肉。商店街の昼食としては地味だったが、冷えた指を温めるには十分だ。
可純が鍋をのぞきこんだ。
「今日、具が少なくない?」
「緊張すると節約したくなるんです」
「断りに行くんでしょ」
可純はあっさり言った。
大輝はおたまを持つ手を止めた。
「顔に出てますか」
「顔というより、鍋に出てる。迷ってる人の鍋は、肉が少ない」
「それは偏見です」
「でも当たってる」
大輝は反論できず、冷蔵庫から追加の豚肉を出した。勇が差し入れた冷凍コロッケも温める。昼に人が集まるなら、空腹のまま大事な話はしたくなかった。
再開発会社の担当者は、約束の時間ぴったりに来た。汚れのないコート。笑顔。前と同じ、角の丸い言葉遣い。
「ご検討いただけましたか」
大輝は封筒を両手で返した。
「受けません」
担当者は、驚いた顔を作らなかった。
「理由を伺っても?」
「不要書類の処分まで含まれているからです。私は、あの領収書を不要だと思えません」
「もちろん、必要なものは残していただいてかまいません。ただ、すべてを保存するとなると、費用も場所もかかります。古い紙にこだわりすぎると、町の将来を狭めることになりませんか」
声は穏やかだった。大輝は、その穏やかさが苦手だった。怒ってくれたほうが、こちらも怒りやすい。
「こだわっているんじゃありません。読んでいるんです」
大輝は言った。
「読んだら、捨てる前に町の人へ返さないといけないと思いました」
担当者は少しだけ目を細めた。
「では、商店街全体としては、また個別にお話をさせていただきます。お店ごと、ご家庭ごとに事情がありますから」
それは脅しではなかった。少なくとも、言葉の形は。
けれど大輝には、町の真ん中に細い線が引かれる音のように聞こえた。
「事情があるのは、わかっています」
「でしたら、皆さまそれぞれが納得できる形を選べるようにするのが一番かと」
担当者は封筒を受け取り、丁寧に頭を下げた。店を出る直前、冷凍コロッケの匂いに少しだけ視線を落とした。
「おいしそうですね」
勇が奥から顔を出した。
「食べていきます?」
「いえ、仕事中ですので」
「残念。うちのコロッケは仕事中の人ほど救うんだけど」
担当者は笑って去った。
引き戸が閉まると、店の中に鍋の湯気だけが残った。
大輝は椅子に座った。足の力が抜けていた。
可純が黙って器を差し出す。
「食べなさい。断った人は、昼ごはんを食べる権利がある」
「断っただけで、何も解決してません」
「解決してない人にも、昼ごはんを食べる義務がある」
優空が笑い、珠里が取り箸を並べた。真喜子と早貴は、聞き取り表を濡らさないように机の端へよける。紗那はコロッケに花丸を描こうとして、啓彰に止められた。
大輝は鍋をよそいながら、自分の手がまだ少し震えていることに気づいた。
高い報酬は、家計に助かった。さやの帰宅が遅く、会話が減っている今、金の心配を一つでも減らしたい気持ちは本物だった。
その本物の弱さを抱えたまま、彼は封筒を返した。
きれいな人間だから断れたわけではない。紙を捨てる自分の姿を想像して、怖くなったからだ。
昼食の鍋は、肉を足してもまだ少し薄味だった。
それでも、冷えた指には十分温かかった。




