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領収書屋さんと霧の中の灯台 ――北町商店街、最後の一枚まで愛で保護します――  作者: 乾為天女


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17/30

第17話 北町の根本

 麻央は、大学の厚い参考書より重そうな顔で店に来た。

 肩から提げた鞄は膨らみ、手には図書館の資料、役所のコピー、土地台帳の写しが挟まったファイル。大輝が席を空けると、麻央は「緑茶をください。濃いめで」と言って、机に資料を広げた。

 「勝ったの?」

 可純が身を乗り出す。

 「まだです」

 「じゃあ、半分勝った?」

 「勝ち負けで考えると、話を間違えます」

 麻央は即答した。可純は少しだけ唇を尖らせたが、濃い緑茶を飲んで黙った。

 麻央は土地台帳の写しを指した。

 「旧灯台の敷地は、町が単純に一括所有しているわけではありません。昔の寄付、共同管理、用途を限定した覚書らしいものが混じっています。まだ全部は確認できていませんが、再開発会社が商店街の土地をまとめるとしても、灯台部分だけは簡単に扱えない可能性があります」

 「つまり、壊せない?」

 勇が冷凍コロッケの箱を抱えたまま聞いた。

 「壊せない、とは言い切れません。言い切れないから、資料が必要です」

 「大学生って、希望を小さく出すのね」

 可純が言うと、麻央は苦笑した。

 「希望を大きく言って、後で折れるほうがつらいので」

 大輝は、麻央の指先が少し赤くなっているのに気づいた。寒い役所の閲覧室で、コピー機の前に何度も並んだのだろう。紙の端は揃っているが、付箋は斜めで、急いで貼った跡がある。

 「この覚書の写し、どこで見つけたんですか」

 「役所の古い簿冊です。すぐには出てこなくて、担当の人も困っていました。でも、珠里さんが言っていた寄付者の名前と、ここにある名前が一致しました」

 麻央は、珠里が持ってきた領収書の写しと、台帳の名前を並べた。

 小さな字が、別の紙で同じ人を指している。

 可純が目を細めた。

 「紙と紙が手をつないだみたい」

 「珍しく詩的ですね」

 大輝が言うと、可純は胸を張った。

 「私は昔から詩的よ。根拠がないだけ」

 「根拠は大事です」

 麻央がすかさず言い、店内に笑いが起きた。

 その笑いの横で、道雄が資料を読み込んでいた。受発注事務の癖なのか、彼は数字の列を見ると、表情が急に鋭くなる。

 「この土地の境界、再開発会社の説明資料だと少し丸められているな」

 「丸める?」

 「細かい線を省いて、ひとまとまりに見せている。普通の説明ではよくあるが、今回みたいに寄付や共同管理が絡むなら、省いた線が大事になる」

 麻央はうなずき、別の紙を出した。

 「そこも気になって、古い地図と重ねてみました。早貴さんの霧の灯台マップと、意外に相性がよくて」

 早貴が呼ばれ、店の奥から走ってきた。彼女の地図には、通学路、買い物の道、犬の散歩道、霧の日に避ける路地が描かれている。土地台帳の線と重ねると、灯台の周りに人の流れが集まっていることがよくわかった。

 「法律の線と、生活の線ね」

 珠里が言った。

 「どちらも、消すと迷うわ」

 大輝はその言葉を書き留めた。

 麻央は資料の一番上に、手書きの見出しを付けた。

 『北町旧灯台 保存可能性確認資料』

 「まだ可能性です。正式な申請には、もっと証拠がいります。修繕費、管理者、使用方法、安全対策。それから、住民の意見」

 「意見なら私が言う」

 可純が勢いよく手を挙げた。

 「可純さん一人の声は、大きいですが一人分です」

 麻央は穏やかに言った。

 可純は口を開けたまま固まった。勇が笑いをこらえきれず、コロッケの箱で顔を隠す。

 「つまり、たくさんの人の一人分を集める必要があるんですね」

 大輝が言うと、麻央はうなずいた。

 「はい。賛成だけではなく、迷っている人の声も。保存したいけれどお金が不安、怖い、面倒、そういう声も資料に入れたいです」

 可純が少し不満そうにした。

 「反対の声まで入れるの?」

 「入れないと、後でそこから崩れます。北町の根本を残すなら、都合のいい根だけ選べません」

 店が静かになった。

 北町の根本。

 大輝は窓の外を見た。古いアーケードの柱、少し傾いた看板、霧で曇ったガラス。きれいな町ではない。けれど、歪んだまま続いてきたものには、まっすぐな言葉だけでは触れられない。

 麻央は資料をそろえ、最後に小さく息を吐いた。

 「私、こういうの得意だと思っていませんでした。調べても調べても、すぐ答えが出ないので。でも、答えが出ないから残していいものもあるんだなって」

 「それ、資料に書きましょう」

 大輝が言うと、麻央は驚いた顔をした。

 「そんな感想、入れていいんですか」

 「全部の紙が数字だけだと、読む人が迷います。麻央さんが何を見つけたかも、大事です」

 麻央は少し照れたように目を伏せ、付箋に小さく書いた。

 『答えがすぐ出ないから、消してよいとは限らない。』

 可純がそれをのぞきこみ、満足げにうなずいた。

 「いいわね。根拠のある詩だわ」

 「だから、根拠は大事です」

 麻央が言い、今度は自分でも笑った。

 その日、北町はまだ何も勝ち取っていなかった。

 けれど、灯台の下に伸びる根が、少しだけ見え始めていた。



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