第15話 歯科技工士の灯台模型
なつほの仕事机には、人の歯より小さな世界が並んでいた。
白い模型、細いピンセット、丸い皿に置かれた樹脂、磨き布、紙やすり。大輝が昼の弁当を届けると、なつほは拡大鏡を額に上げ、目を赤くして振り返った。
「大輝さん、見てください。灯台の下部倉庫、縮尺を合わせると、思ったより説明しやすいです」
机の中央に、旧灯台の模型があった。白い胴体、くすんだ下部、階段、扉、窓。実物よりずっと小さいのに、湿気がたまりそうな床の低さまでわかる。模型の横には、赤、青、黄色の細い糸が置かれていた。
「赤が危ない配線、青が避難の動き、黄色が子どもが触ってはいけない場所です」
「子どもには、黄色が一番人気になりそうですね」
「そこが問題です」
なつほは真剣にうなずいた。
午後になると、店に子どもたちが集まった。紗那は花丸のシールを持ち、広河は灯台姫の衣装の上に防寒用の上着を重ねている。一彰は作戦表、啓彰は号令用の紙、正朋はラムネを握っていた。
「正朋くん、そのラムネは何に使うの」
大輝が聞くと、正朋は元気に答えた。
「灯台の中に入れる」
「入れません」
啓彰がすぐに止めた。
なつほは模型を机の中央に置き、ゆっくり説明を始めた。
「ここが下部倉庫です。湿気がたまりやすいので、床を直します。ここは古い配線が通っているので、勝手に触りません。ここが出入り口。霧の時に避難するなら、まず大人に声をかけてから入ります」
子どもたちは意外なほど真剣に聞いた。広河だけが途中で手を挙げる。
「灯台姫は、どこに立てばいいの」
「灯台姫は、扉の前に立たないでください。邪魔です」
なつほが言うと、広河は深く傷ついた顔をした。
「姫なのに」
「姫でも通路は空けます」
大輝は笑いをこらえた。
説明は順調に進んでいた。ところが、なつほが模型の下部を外し、内部構造を見せようとした瞬間、正朋のラムネがころりと転がった。誰も止める間がなかった。ラムネは模型の小さな扉から中へ入り、からん、と軽い音を立てた。
「あ」
正朋が言った。
なつほの顔が固まる。
「入れないでと言いましたよね」
「まだ入れる前だった。転んだ」
「ラムネが自分で避難したみたいに言わないでください」
大輝は模型を持ち上げた。振ると、からん、からん、と音がする。灯台の中に甘い避難者がいる。
子どもたちは一斉に笑った。なつほだけは笑わなかった。細いピンセットを手に取り、扉からラムネを取り出そうとする。だが、模型の内部に引っかかったのか、なかなか出てこない。
「分解しましょうか」
大輝が聞くと、なつほは首を振った。
「だめです。接着したばかりなので」
そこへ紗那が、粘土の小さな棒を差し出した。
「これで、つつく?」
「粘土はくっつきます」
「じゃあ、花丸で呼ぶ」
「ラムネは呼んでも出ません」
なつほの声はだんだん疲れてきた。
結局、ラムネは模型の中に残ったままになった。なつほは肩を落とし、大輝が出した緑茶を両手で包む。
「完璧に作りたかったんです。説明会で、これを見せれば、みんなにわかってもらえると思って」
「もう、かなりわかりますよ」
「でも、ラムネが」
「下部倉庫に物を詰めてはいけない、という説明にはなりました」
なつほはしばらく黙り、それから吹き出した。
「そんな使い方、歯科技工では習っていません」
「北町式です」
大輝が言うと、広河が胸を張った。
「灯台姫式でもあります」
「姫は扉の前に立たない」
啓彰が訂正し、また笑いが起きる。
その夕方、なつほは模型の横に新しい札を立てた。
『中に物を詰めない。ラムネ含む』
一彰はそれを作戦表に書き写し、紗那は札に花丸を貼った。正朋は、ラムネを一粒だけ大輝に渡してきた。
「灯台のぶん」
「灯台は食べられないよ」
「じゃあ、だいきさんが食べて」
大輝は受け取って、口に入れた。甘さが舌の上で溶ける。
完璧でなくても、伝わるものがある。むしろ、少し失敗したほうが、誰かが手を伸ばせる隙間ができる。
なつほの模型は、ラムネを抱えたまま、店の棚に置かれた。
その小さな音は、後になっても、子どもたちが安全の話を思い出す合図になった。




