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領収書屋さんと霧の中の灯台 ――北町商店街、最後の一枚まで愛で保護します――  作者: 乾為天女


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14/23

第14話 緑茶休戦協定

 商店街の会議は、始まる前から湯気を失っていた。

 会館の長机には、再開発会社から届いた説明資料、灯台下部倉庫の写真、理彩子がまとめた配線のメモ、真喜子たちの聞き取り表が並んでいる。紙は多い。だが、人の顔は紙より薄く疲れていた。

 可純だけは元気だった。

 「今日こそ言うわよ。北町商店街は、霧の中でも屈しませんって」

 「屈しない前に、座ってください」

 涼が静かに言った。彼は会議室の端で、椅子を一脚ずつ少し離して並べている。近すぎると怒鳴り合いになる。遠すぎると聞こえない。その中間を測るように、紙一枚分の余白を置いていた。

 大輝はポットを二つ持ち込んだ。濃い緑茶と、薄めの緑茶。可純には濃いほう、再開発に賛成している店主には薄いほう。苦すぎるお茶で相手を攻撃してはいけない、と珠里に昨日教わったばかりだった。

 「お茶で空気を変えられると思う?」

 可純が湯呑みを受け取りながら言った。

 「変えられなくても、熱いものを持っている間は、拳を握れません」

 「なるほど。大輝くん、たまに怖いこと言うわね」

 会議が始まると、最初に声を上げたのは魚屋の久作だった。彼は灯台を残したいと言いながら、修繕費の話になると眉間に深い皺を寄せた。

 「思い出はあるよ。でも、うちはもう息子も継がない。毎月の管理費なんて出せない」

 向かいの花屋の千登勢は、反対に身を乗り出した。

 「お金の話ばかりしたら、何も残せないでしょう」

 「お金の話をしないから、後で困るんだ」

 声がぶつかりかけた瞬間、涼が机の中央に白い紙を一枚置いた。

 「今日は、壊すか残すかを決める日ではありません。何を直せば安全に使えるか、まずそこだけにしませんか」

 可純が口を開きかける。大輝はすばやく濃い緑茶を差し出した。

 「熱いです」

 「わかってるわよ」

 可純は湯呑みに口をつけ、言葉を飲み込んだ。

 理彩子が立ち上がる。彼女は白衣ではなく、紺色のセーター姿だったが、説明の声には、余計な飾りがなかった。

 「最初の小火について、現時点でわかっていることを話します。灯台全体が急に燃えやすくなったわけではありません。下部倉庫の床は湿気を含んでいて、古い延長コードは熱を持ちやすい状態でした。そこへ掃除機をつなぎ、長い時間使ったため、発熱した可能性があります」

 久作が腕を組む。

 「だから危ないんだろう」

 「危ない部分はあります。ただ、危ない部分があることと、建物を全部壊すべきかは別です」

 理彩子は写真を一枚ずつ示した。湿った床材。錆びた金具。黒くなったコンセント周り。焦げた紙片。

 「直す場所を絞れば、費用は抑えられます。逆に、危険だとだけ言って全体を壊すのは、病気の指先を見て、腕ごと切るようなものです」

 「指先が灯台くらい大きいと困るわね」

 可純が小声で言い、隣の優空が袖を引いた。だが、場の緊張は少しほどけた。

 大輝は会議室の後ろで、湯呑みを洗いながら話を聞いていた。緑茶は、議論を勝たせる道具ではない。怒りが乾きすぎないようにする、湿った布のようなものだと思った。

 そこへ、啓彰が手を挙げた。小学生なのに、背筋がまっすぐで、司会者より先に礼をする。

 「発言してもよろしいでしょうか」

 大人たちは少し驚き、涼がうなずいた。

 「どうぞ」

 「灯台保護隊としては、掃除当番を作ればよいと思います。ただし、掃除機は正朋くんに持たせないほうがよいです」

 会議室の隅で、正朋が不満げに頬を膨らませた。

 「ぼく、持てる」

 「持てることと、吸ってよい物を選べることは違います」

 啓彰の礼儀正しい断言に、大人たちは吹き出した。

 涼はその笑いを逃さず、次の紙を配った。

 「子どもたちの当番は、責任者の大人がいる時だけ。床材と配線の修繕案は、理彩子さんの資料を基にする。費用は、道雄さんに見積もりの比較をお願いする。今日のところは、ここまでにしませんか」

 千登勢がまだ言い足りなさそうにしたが、珠里が静かに湯呑みを置いた。

 「決めすぎると、帰り道に嫌いな人が増えます。今日は、嫌いな人を増やさないところまで」

 その言葉は、緑茶よりも場を温めた。

 会議が終わるころ、可純は不満そうにしながらも、湯呑みを自分で洗っていた。

 「宣戦布告は延期ね」

 「延期というより、形を変えたほうがいいです」

 大輝が言うと、可純は眉を上げる。

 「どう変えるの」

 「敵を倒す言葉じゃなくて、何を守るかをはっきりさせる言葉に」

 「大輝くん、今日やっぱり怖いわ」

 可純はそう言いながら、濡れた手をエプロンで拭いた。

 外へ出ると、霧は少しだけ薄くなっていた。旧灯台の頭が、屋根の向こうにぼんやり見える。

 まだ光ってはいない。

 けれど、壊すか残すかだけではない話が、ようやく始まった。



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