表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陽だまり縁側堂の、思い出の捨て方 ――嘘の実話祭りと危険な伯爵――  作者: 乾為天女


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/26

第13話 均衡の取り方

 翌週、陽だまり縁側堂のちゃぶ台には、妙にきれいな紙束が置かれていた。

 古い家に似合わない、真っ白な紙だった。角はきっちり揃えられ、表紙案には淡い色の縁取りが入っている。手書き風の文字で、仮の題名まで載っていた。


 ――陽だまり縁側堂 泣ける思い出相談帖。


 香織はそれを見た瞬間、眉間に力が入った。

 「泣ける、は外してください」

 まだ席にも座っていない真奈美が、上品な薄灰色のジャケットを直しながら目を瞬かせた。

 「早いですね。タイトル案を出してから却下まで、三秒でした」

 「三秒も要りません。うちは泣かせる店ではないです」

 「でも、読者に届く言葉は必要です。何をしている場所なのか、ひと目で伝わらないと手に取ってもらえません」

 「手に取ってもらうために、人の事情を看板にするんですか」

 ちゃぶ台の向こうで、萌が付箋を持ったまま固まった。心暖はお茶を注ごうとして、急須のふたを湯呑みにのせてしまい、鳩子が黙って戻した。

 理香は資料を一枚めくり、淡々と言った。

 「冊子化自体は悪くありません。利用実績の説明にもなります。三月末の判断材料にもなる」

 「理香さんまで」

 「ただし、掲載許可、匿名化、保管方法、撤回できる期限は決める必要があります」

 真奈美が小さく頷いた。

 「そのために来ました。感動話を抜き出して売るつもりはありません。ただ、外の人には、ここで何が起きているか見えない。見えなければ、残す理由も伝わらない」

 香織は言い返そうとしたが、縁側に置かれた古い置き時計が目に入った。二時十七分で止まったままの時計。先週の女性は、まだ処分を決めていない。時計は預かり棚の上で、鳴らない役目を持って座っている。

 もし誰かがあの時計を「泣ける父娘の記録」と書いたら。

 香織は、想像しただけで喉の奥がざらついた。

 「本人が話したくない部分まで、きれいな形に削られるのが嫌です」

 「そこは同感です」

 真奈美はすぐに答えた。返事が早すぎて、香織は少し拍子抜けした。

 「本にすると、どうしても話は整います。始まりがあり、山があり、救いがあるように見せたくなる。でも、本当は、救いまで行っていない人もいる。捨てたくないまま持ち帰る人もいる。そこを削ると嘘になります」

 「だったら、なぜ泣けるなんて書いたんですか」

 「香織さんが怒るかどうか見たかったので」

 「査定しますよ、その性格」

 真奈美は涼しい顔で「減点理由は巻末にお願いします」と返した。心暖がこらえきれずに吹き出し、急須のふたがまた少しずれた。

 そこへ、澄麗が静かに手を上げた。

 「まず、言葉を分けましょう。残したい人、載せたい人、読まれたくない人、読まれてもいいが名前を出したくない人。同じ『記録』でも、意味が違います」

 彼女は持参した罫線入りの紙を広げ、ゆっくりと四つの欄を作った。

 一、本人の名前を出してよい。

 二、品物だけ載せてよい。

 三、話は載せてよいが、細部は変える。

 四、載せない。相談所内の記録だけにする。

 萌がその横へ、すばやく付箋を貼っていく。

 「撤回期限、確認者、保管場所、掲載後の見本確認……あ、これ台帳いりますね」

 「台帳なら作れます」

 みづきが、図書館で使っている分類表のようなものを鞄から出した。

 「日付順だけだと、後で探せなくなります。品物の種類、依頼者の希望、公開範囲で分けたほうがいいです。ただし、細かくしすぎると誰も続けられません」

 「続けられない仕組みは、仕組みではなく願望です」

 理香が言うと、香織は思わず理香を見た。厳しい。けれど、今日はその厳しさが、冊子を作る方向へまっすぐ向いている。

 真奈美は表紙案を一枚引き寄せ、ペンで「泣ける」を二重線で消した。

 「では、別案を出します。たとえば、『捨てる前に座る場所』」

 部屋が少し静かになった。

 派手ではない。手に取りたくなる強い言葉でもない。けれど、縁側堂の木の匂いには、そのほうが似合っていた。

 香織は声に出さず、何度かその題名を口の中で転がした。

 捨てる前に座る場所。

 捨てない場所、ではない。残す場所、とも言い切っていない。ただ、決める前に座る。迷っていい時間を置く。

 「……それなら、まだ許せます」

 「まだ、ですか」

 「まだ、です」

 鳩子が、端切れの入った袋を開いた。

 「表紙、布を貼ったら? 全部同じ紙だと、ちょっとよそ行きすぎる。縁側堂はもっと、座布団の角が曲がってる感じ」

 「座布団の角が曲がっている表紙とは」

 真奈美が真剣にメモを取り、心暖が「それは褒め言葉ですか」と小声で尋ねた。鳩子は「最高の褒め言葉」と答え、古い学生服の切れ端を表紙案の隅にそっと置いた。

 その紺色の布を見て、風歌が身を乗り出した。

 「冊子に、音は載せられませんか」

 「音?」

 「相談している声は無理でも、縁側のきしむ音とか、パンの袋を開ける音とか、心暖さんが司会で噛んだところとか」

 「噛んだところは削ってください!」

 「でも、そこが人間っぽくていいです」

 心暖は耳まで赤くなった。雄史がいれば大げさに拍手しただろうが、今日は舞台の稽古で不在だった。それでも、彼の伯爵マントが柱にかかったままで、部屋の隅に少しだけ余白を作っている。

 真奈美は風歌へ向き直った。

 「冊子にQRコードをつければ、短い音声記録へつなげることはできます。ただし、声が入るなら許可はより厳密に」

 「じゃあ、声じゃなくて音だけの日も作ります。沈黙も録りたいです」

 「沈黙を録るの?」

 香織が聞くと、風歌は照れたように笑った。

 「録れないかもしれません。でも、誰もしゃべらない時間があったことは、残したいです。話した言葉だけだと、話せなかった人がいなかったことになりそうで」

 その一言で、香織の中にあった苛立ちが少しほどけた。

 記録にされることが怖いのは、誰かの涙が飾られるからだと思っていた。けれど、記録しなければ、座った時間ごとなかったことになる場合もある。

 大事なのは、載せるか載せないかではない。

 誰が、どこまで、いつ選べるかだ。

 「冊子には、成功した話だけ載せないでください」

 香織は真奈美に言った。

 「捨てられなかった話も、何も決まらなかった話も、本人がいいと言った範囲で入れてください。あと、相談所が休む日があることも」

 「それは地味ですね」

 「地味でいいです」

 理香が書類の端に何かを書き込みながら言った。

 「地味なほうが、予算説明には強い場合もあります。派手な成功例より、継続可能な手順のほうが信用されます」

 「理香さん、たまに味方みたいなことを言いますね」

 「たまにではありません。残すために必要なことを言っているだけです」

 その言い方があまりにも理香らしくて、香織は少し笑った。

 夕方までに、ちゃぶ台の上は紙と付箋で埋まった。表紙案から「泣ける」は消え、「捨てる前に座る場所」が仮題になった。掲載許可の紙には、難しい言葉を避けた説明文を澄麗が書き、萌が確認欄を三つに分けた。みづきは保管棚に貼る分類札を作り、鳩子は布の見本を並べた。

 真奈美は最後に、真っ白だった表紙案の隅へ、紺色の小さな布を貼った。

 きれいすぎた紙が、少しだけこの家のものになった。

 片づけの途中、香織は棚の奥にある灰色の日記を見た。まだ読めないページがある。切られた理由も、すべてはわかっていない。

 冊子にできることは限られている。

 けれど、限られていると知ったうえでなら、誰かの選択を奪わずに残せるものもあるのかもしれない。

 縁側の外では、夏の終わりの風が洗濯ばさみを小さく鳴らしていた。

 風歌がその音へ録音機を向ける。

 「これ、入れてもいいですか」

 「誰の許可を取ればいいんですか。洗濯ばさみ?」

 香織が言うと、心暖が真面目な顔で洗濯ばさみに頭を下げた。

 「掲載してもよろしいでしょうか」

 洗濯ばさみは、からん、とだけ返事をした。

 真奈美が笑いながら、その音をメモに書く。

 捨てる前に座る場所。

 その題名はまだ仮のものだったけれど、ちゃぶ台の上で、もう少しだけここにいてもいい顔をしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。いつも楽しみに読ませて頂いてます。均衡の取り方。勉強になります。来てくださった方に寄り添うのも大切ですが、人の集まる場所だから集まってる仲間にも寄り添っていかなければ成り立た…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ