求肥と呼ばれるある男の話
【注意】
求肥さん視点の話です。
柔らかい風が吹いている。
目の前にある墓石に水をかけて、念入りに清めた。
「……八重」
また、一年。
早いもので、もう30年もの時が過ぎさってしまった。
「共同統治の件で、正式な協議が始まった。
お前とスコルティウスが望んだ世界が……じきにやってくるやもしれん」
――私は、そのときまで生きていられるかはわからんがな。
弱い風が、頬をなでていく。
……ふと思いうかんだのは、あの得体のしれない男――蜜森風だった。
◇◇◇
蜜森に初めて会ったのは、八重の月命日だった。
毎月欠かさず訪れていた、『鬼の棲む場』と呼ばれている場所。
他にいるはずのないそこに、見知らぬ人影があった。
八重の墓をぼんやりと見つめ、立ちつくしている。
「何者だ」
声をかけて、振りかえってきたその者は、とぼけたような顔をした男で。
このときは、当然なにも感じなかった。
「八重……?」
奴が、その名を口にするまでは。
私は、愕然とした。
なぜ、この男がその名を知っている?
あまりの出来事に、二度とその名を口にしないようにと口止めするので精一杯だった。
私も焼きが回った、と思っていたが、まだ生焼けだったようだ。
……なんてことはない。八重の名を知っている者など、どこにでもいる。
そう、思うしかなかった。
◇◇◇
甘誠組が双甘大試で二度続けて勝利をおさめ、お忍びで観戦されていた御前は、いたく感激しておられた。
「勢いを盛りかえしたようだな」
「そのようでございますな」
御前は、珍しく興奮していて、どこか落ちつかない様子だった。
「求助。そなたは、ここ二戦をどう見た?」
「……どう、とは?」
「我は、戦術にはあまり詳しくはない。されど、それでもわかるのだ。
……まるで、別の者が采配を振るっているようだった」
それを聞いて、舌を巻いた。
……私としたことが、侮っていたようだ。このお方を。
「さすがにございます」
「うん?」
「実は、甘誠組が新たに軍師を引き入れた、という情報が」
「軍師……つまり、その者が?」
「まちがいありませぬ」
軍師、と聞いて、御前はさらに興味をもったようだった。
結果、一目会いたいと言いだし、奴と大丸を呼びつけるに至ったようだ。
しかし、私は別件の対応のため、ほとんどその件には関われなかった。
戻ってみれば、すでに会見が終わった後。
そこで初めて、その者の名を知った。
蜜森風。
あのときと同じく、ぼんやりとした顔をしていた。
警戒しておくに越したことはないだろう。
……そんな思いは、御前を練り切り呼ばわりしたと聞き、怒りにより吹きとんだが。
「肥田様。例の件で、新たな目撃情報が入りました」
近寄ってきた下役が、おさえ気味の声でそう言った。
――例の件。
近頃、怪しい動きをしているある者の件だ。
「……なんだ」
「差出人不明の文を受けとっていた、と。
当人の言い分では、親戚筋の者からだとのことですが……」
「あの者に、文を寄越すような血縁者はいなかったはずだ」
下役が、しずかにうなずいた。
落合雁太郎。
父親を早くに亡くし、苦労が絶えなかったと聞く。
それでも、この餡月郷の役人の座をつかんだ叩き上げだ。
……と、思っていた。
他の者から、酒の席でメローリアに移住したい、ともらしていたらしいと聞かされるまでは。
事実ならば、内々で穏便に済ませられる話ではない。
……今は、こちらに注視しておかねばならない。
「引き続き、監視を続けよ。怪しい行動をとった場合は、すぐに知らせるように」
「はっ」
下役に指示をして、それが立ちさった後に嘆息した。
◇◇◇
十蔵から酒に誘われたのは、落合の悪事の証拠がつかめず行きづまっていた頃だった。
「お久しゅうございます」
「よく来た」
かつての私の右肩、萬田十蔵。
自他ともにわずかでも甘えを許さないこの男は、私に対しても己の意見をはっきりと言った。
それゆえに、信頼を預けていた。
私は役人、奴は指導役と道は違えたものの、今でもときおり酒を飲む間柄であった。
「ここ最近は、どうだ」
「鍛えがいのある者ばかりで、なかなか気が抜けませぬ」
「なによりではないか」
弟子の代表としてあげるべきなのは、現在の副長である粕谷輝一。
若造でありながら、大丸にも引けをとらない優秀な者に成長したようだった。
不敵に笑い、語りながら、十蔵が持ちこんだ酒を飲んだ。
……この男は、酒選びの腕も悪くない。
「ご存じでしょうか。甘誠組が軍師を引き入れた話は」
「ああ……顔なら、二度ほど見かけたぞ」
「さようですか。実は、馬の乗り方を指南しておりまして」
「ほう。お前が手をかけるほどの資質はあるのか?」
「驚くほどに。上達の度合いは、粕谷にも劣らず……いえ、それ以上かと」
……十蔵に、ここまで言わしめるとは。
やはり、油断ならない男なのかもしれない。
「それで? その者が私になにか用があるとでも言うのか」
「……さすが、敵いませぬ」
十蔵は、困ったように笑いながら、拳を床につけて頭を下げてきた。
「お怒りになるとは、承知の上。
どうか、この十蔵の頼み、聞いていただきとうございます」
「…………」
嫌な予感は、していた。
◇◇◇
十蔵の顔を立てるため、会ってやったあの男。
こちらの威嚇にもまったく動じず、
「応じていただき、ありがとうございます」
などと、申すほどだった。
大丸ですら萎縮している中、よくもふてぶてしく言えたものだ。
逆に感心したために、聞きたくなってしまった。
――御前にお会いして、規則改正の進言をしたい。
そのようなことを言いだした、不届き者の言い分を。
「三連勝でどうでしょう」
そのときの目は……まっすぐ、その未来を見ているようだった。
必ずそれを、成しとげてみせると。
そこで、思いついた。
三連勝。
そのときこそ、落合がなにかしらの動きをみせるのではないか、と。
……利用しない手は、ない。
顔を隠した得体のしれない者と密会している、との情報が入ったので、いよいよ御前にも報告をしたばかりの頃だった。
御前は、ひどく心を痛めた様子で、顔をうつむけていた。
「落合が……そうか。自由にしてやれたらよいのだが」
御前に、そのようなことを言わせた。
すでに、私の中にほんのわずかだけあった憐みの情は、跡形もなく消えうせていた。
……必ず、成しとげよ。
そう意味を込めて、蜜森の望み以上の回答をし、激励した。
◇◇◇
甘誠組は、無事に勝利をおさめた。
その、数日後。
『落合雁太郎氏が、メローリアの内通者である可能性が浮上しました』
蜜森から、その旨が書かれた文を受けとった。
……なぜ、あやつがそれを知っている?
その日の夜、すぐに蜜森を呼びつけて、二人きりでひそかに会った。
場所は、人通りが多く、怪しまれる可能性がすくない飲み屋が立ちならぶ通りの一角。
「……直接お会いしていただけるとは」
「わけを申せ。なぜその方があの件を知っている」
意外そうな声色をしていた蜜森を口早に問いただして、わけを聞いた。
蜜森が、何者かに襲撃されて一時期命の危機に陥った件。
その件で出頭してきた実行犯より、指示役の存在を聞かされた件。
そして、その者からもたらされた、メローリアとの内通者の存在について。
……ガンタロウ、だと?
怒りのせいで思わず、ぎり、と音が出るほどに歯を噛みしめた。
「嘆願書をこちらに渡せ。表向きには、隊士が御殿まで届けるという手筈にいたせ」
「……信じていただけるので?」
「その余地がなければ、そもそもこのような場所に呼びつけたりはせん」
「ありがとうございます」
……腹が立った。
が、それ以上にあの不届き者を成敗しなければならない、と考えなおした。
――そして、まもなくその日がきた。
落合が、意気揚々と「嘆願書が何者かに奪われた」と報告をしにやってきた。
……愚か者め。
内心、罵られずにはいられなかった。
蜜森をこの場に来るようにと指示をしたのは、落合を油断させられると踏んだから。
……正直、かなり不本意ではあったが。
刀にかけた手が、若干震えた。
それを振りはらうように、落合にむけて鋭い言葉を浴びせた。
断じて許さぬ。
命尽きるまで、許しを乞うがいい。
情けない姿をさらしながら、落合が連行されていくのを見送った。
問題は、その後だった。
「旧糖明神殿跡地に隠れ住んでいた――金田椿様とお会いしました」
……金田?
『おやめください、局長! どうか! どうか……っ!』
八重が切腹した場で、そばにいたあの男の声が脳裏に蘇る。
「お会いに、ならなくてもよろしいですか?……あの日以来、では?」
肌が粟立つような感覚。
「そなたは、八重のなにを、どのようにして知った」
問いつめて得た返答は、答えになっていなかった。
「あまりにも荒唐無稽な事実のため、僕自身も心からは信じておりません。
なので、お答えできません」
……嘘ではないとは、はっきりとわかった。
『決して、決してだれにも申しません! この金田椿、命を懸けてお誓いいたします!』
……あのときの金田も、そうだった。
同じような、強い目。
もはや、認めるほかはなかった。
◇◇◇
蜜森が御前とお会いした場で、私はまた苦い思いをするはめになった。
「餡月郷とメローリアが、共同でこの国を統治する未来にございます」
曇りのない目で御前を見つめて言いはなった、蜜森の言葉。
同じことを言っていた者との、今生の別れを思いだし、身が震えた。
――それは、さかのぼること、40年前。
まだ私が、甘誠組の局長をしていた頃だ。
ある者に呼びだされ、むかった先には――敵将スコルティウスの姿があった。
「……今、なんと申した」
このような間近で言葉を交わしている状況だけでも異例だというのに。
奴の口から出た言葉を聞いて、私は愕然とした。
――八重を、私にくれだと?
ガン、と拳で壁を叩く。
「ふざけるな! 我が大事な部下を! 貴様に差しだす道理などないわ!」
「私が言いだしたことではない。ヤエが、そう望んでくれたのだ」
「嘘を申すな! あれが、我らを裏切ったとでも言うのか!?」
「裏切ったわけではない。彼女は、自身の心に従ったまでのこと」
「心?……まさか、お前を好いているなどと言うわけではあるまいな」
「そのとおりだ。私とヤエは……愛しあっている。ヤエの腹には、私との子が宿っているのだ」
気づけば、抜いた刀をスコルティウスにむけて振りおろしていた。
スコルティウスも剣を抜き、応戦。
「キュウスケ! 話を聞いてくれ!」
「お前の話など、聞く価値はない!
力ずくで八重を蹂躙し、奪い、我らの戦力を削ぐ! それが貴様らのやり方か!
この外道が!」
ぶつかり合った状態で刀を押しかえし、一旦後ろに下がる。
刀をかまえる手が、怒りで震えた。
「すぐに八重の身柄を無事に返せ。でなければ、それがお前たちの答えだと受けとる。
仮に、万が一にも今貴様が言ったことが事実であれば……八重に伝えろ。二度と餡月郷の地は踏ませないと!」
「私は! もう、そなたとは争いたくはないのだ!」
「っ!?」
スコルティウスはそう叫んだ後、剣を腰の鞘に戻した。
そして――驚くべき話を切りだしてきた。
餡月郷とメローリア。
どちらか一方ではなく、二つの領地で協力して、この国を治める。
その必要性について、奴は熱心に語っていた。
「すべては、この国の未来のためだ」
その場しのぎの言い訳ではないことは、目を見ただけでわかった。
……だが。
「そのためなら、八重を奪ってもいいと思っているのか」
「違う。私は――」
「もうよい。お前とは……二度と話はせぬ。したいとも思えぬわ」
踵を返し、その場をあとにした。
スコルティウスと会ったのは、本当にそれきりとなった。
……なぜ。
なぜ今、蜜森がその考えを口にする?
やはり、どうやっても理解はできなかった。
◇◇◇
落合への処罰が決定した。
一定期間の拘束。その後、役職と財産の没収の上、国外追放となる。
奴が漏洩させた情報の詳細が判明すれば、変わる場合もあるだろうが。
そうして、ひととおり落ちついてから幾日かたった。
『父上』
……夢に、八重が出てきた。
真剣な面持ちで、私を呼んだだけだった。
「…………」
日の出とともに起きあがったとき、胸の奥で妙な感覚がうずいていた。
――行かねばならない。
その日の任を終えてすぐ、八重の墓のある荒地へとむかった。
墓を見つめて、問いかける。
――なにがあるというのだ。
そこへやってきたのが――蜜森と金田。
蜜森はいつもどおり、ふてぶてしく私をあしらい、八重の墓に手を合わせていた。
「肥田様とここに眠られているお方は、どのような間柄だったのですか」
そう聞かれた瞬間、理解した。
決着をつけろ、というわけか。
……望むところだ。
「八重は、私の娘だ」
言った瞬間、蜜森の顔に浮かんだ驚きの表情が、異様なほど滑稽に感じた。
――スコルティウスとの別れから、10年がたった後だ。
荒地の中央で、八重が自ら腹を裂いてもだえ苦しんでいるところを見つけた。
「も……うしわけ、ありませ、ぬ……父上……っ」
もう、後戻りはできぬ。
私がやるしかない。
「局長……っ」
金田の痛々しそうな声で呼ばれて、気づく。
足元には、八重の首。
震える手で、それを拾いあげる。
「八重……! なぜだ八重ぇ……!」
なぜ裏切った。
なぜ、我がもとに帰ってこなかったのだ。
首を抱きしめ、泣き叫んでも、だれもなにも応えてはくれなかった。
その日以来、私は刀が握れなくなった。
御前をお守りする甘誠組の頭としての任は、もう果たせない。
そして、引退を決意した。
それを表明し、御前に請われて役人となったとき。
――お前はまだ、生きねばならぬ。
だれかに、そう言われているような気がした。
今なら、わかる。
そう言ったのは、蜜森を私のもとに引きあわせたのは、八重に違いない。
そのとき頭に浮かんだ八重は、不敵に笑っていた。
◇◇◇
――そして、今。
役人間の協議のため、メローリアへと赴いた。
「まったくもって強情な方々ですな。こちらが下手に出ているのをいいことに……」
供の下役が、後ろを歩きながらつぶやいた。
「口を慎め。だれが聞いているかもわからぬ場だぞ」
「……! し、失礼つかまつりました……っ」
鋭い口調で注意すると、下役はすぐに口をつぐんで背中を丸めて小さくなっていた。
共同統治の件の協議だ。
御前もこちらの領主も乗り気だとは聞くが、役人間での腹の探りあいが続いているような状況だった。
今回の協議で打開策が打ちだせなければ、長丁場になるのは必至と思われる。
降り立った協議の場の前に、騎士団の制服を着た者がいた。
「……!」
――スコルティウス?
一瞬思いうかんだ男の名を、振りはらう。
振りかえったその者は、やはり別人だった。
「貴殿は……餡月郷の」
「……白妙宗景様が側用人、肥田求助と申す」
一歩前へ出て、その者の前に立つ。
「ヒダキュウスケ……」
その者は、私の名をつぶやいた後、なぜかはっと目を見開いていた。
「……アントルメ騎士団団長、ヴィクトリウス・ショルテンハイムである。
ご足労いただき、感謝申し上げる」
その者――ヴィクトリウスは、じっと私を見つめた後にうやうやしく一礼した。
……八重。
これが、お前の子か。
「こちらこそ、感謝いたす。甘誠組の軍師が大変世話になったと聞いた」
「世話になったのはこちらのほうだ。
これからも、力になってほしいと伝えていただきたい」
「……承知した」
返事をした後、私とヴィクトリウスは、そのまま互いをじっと見つめていた。
……生意気そうなところは、スコルティウスによく似ているではないか。
「団長。すこしよろしいでしょうか」
「ああ……では、失礼する」
「ご苦労であった」
ヴィクトリウスが、下役に呼ばれて立ちさっていく。
その後ろ姿をしばらく見つめてから、私も歩きだした。
「……本当に、な」
だれにも聞こえないように、つぶやく。
――八重。スコルティウス。
あれが、お前たちの忘れ形見か。
そばにいてやることはできぬが、遠くから見守るとしよう。
私がそちらに行ったあかつきには、たっぷり礼をしてやるから……覚悟しておけ。
「肥田様……? なにかおかしなことでも?」
「……なにもない」
あのときと似た、穏やかな風が吹きぬけていった。
読んでいただきありがとうございます。
次回が最終話です!
明日のいつもの時間、20時頃更新予定です。




