今にも死んでしまいそうな状態だった。
今にも死んでしまいそうな状態だった。
輝一は、若干青ざめた顔で屯所内の会議室にいた。
「南の区画で、怪しげな動きをする町人を目撃したとの情報が入り、急ぎ隊をむかわせました。
そこで――」
養田が報告をする声は聞こえるが、ほとんど頭には入ってこなかった。
なにしろ――蜜森の一大事だからだ。
◇◇◇
蜜森が高熱を出したと判明した後。
輝一が、医者の宇井川とざらめを呼んで戻ってみると。
障子にもたれかかって意識を失っている蜜森と、きゅーきゅーとしきりに鳴いているあんこの姿があった。
すぐに診察をしてもらった……のだが。
「過労だな。ここんところとんと姿見せなかったし……忙しくしてたんだろ?」
「……はい」
宇井川が、呆れた様子で嘆息した。
布団で横になっている蜜森は、未だ眠ったままだった。
顔がうっすら赤く、いつもより呼吸が早い。
額に乗せている、冷たい井戸水で濡らした手ぬぐいも、すぐにぬるくなってしまうほどだった。
「よく休ませることだ。
目を覚ましても、しばらくは安静にするように見張っておけよ」
「では、特に治す方法はないと?」
「だから、それが一番の治す方法だってことだよ」
「……承知いたしました」
頭を下げて、お礼をする。
輝一は、先生を見送った後、すぐにまた寝こんでいる蜜森のもとへ戻った。
「……輝一」
同じく戻ってきたざらめが、心配そうに声をかけてきた。
「あまり気に病まないようになさい。あなたまで体を壊したら、蜜森さんに怒られますよ」
「……わかっております」
輝一は、心配をかけないようにと笑ってみせた。
その下手な笑顔を見たざらめは、かえって心配そうに眉を寄せていた。
……無理を、させてしまったのか。
なぜ気づかなかった。
こんなにもそばにいたのに。
一度、命の危険にさらしてしまったのに。
また、私は……
◇◇◇
「どりゃっ!」
「っ!?」
頭に鈍い痛みが走り、輝一は驚いて顔を上げた。
目の前に、頭を叩いてきたらしい土井。
それから、心配そうな顔をした大丸、養田、団の姿があった。
「……っ! 申し訳ございません」
どれほどの時間がすぎたかもわからず、たまらず輝一は頭を下げた。
「気に病みすぎじゃろうて、輝一。風が無理をしたのは、おんしのせいではない」
……局長に、姉上と同じようなことを言われてしまった。
輝一は反省しつつ、「承知しております」と小さく返すので精一杯だった。
歯を噛みしめてから、口を開く。
「……ただ、もうすこしどうにかできなかったのかと。どうしても考えてしまうのです」
「気持ちはわかるぞ。しかし、今そんなことを考えても仕方ないじゃろ?」
土井が、輝一の頭を叩いてきた。
今度は優しく、ポンポンとなでるような仕草だった。
土井の言うとおりだ。
――起こってしまった後で、ああしていれば、などと考えるのは不毛です。
蜜森なら、そう言うに違いなかった。
うつむいた輝一は、それでも気持ちの切り替えがなかなかできずにいた。
「と、いうか……人には散々非効率などと言っておいて、健康に支障がない程度にするなどと言っておいて、ご本人はこれですし。
副長が気に病む必要は、まったくないと思います。
むしろ逆に、文句の一つでもおっしゃったほうがいいと思いますよ」
「お、おいおい。なにを言ってるんじゃ、三葉。さすがに病人相手には酷じゃろ」
「冗談に決まっているだろう……いや、あながち冗談でもないな」
「養田殿までなにを!?」
「はっはっは!」
不満げな団の言葉に同意した養田を、土井がぎょっと見つめた一方。
しずかに聞いていた大丸が、大きな笑い声を上げた。
「そのとおりじゃ。輝一。
風が目を覚ましたあかつきには、たんまりと文句を言ってやればええ」
「……っはい」
ふざけあっているような会話でも、端々に温かみが感じられた。
輝一は、ぐっとこらえつつ、四人にむけて頭を下げた。
言われたとおりに、文句を言ってやろう。
心配など不要だ。
あいつは、きっとそのうち目を覚まして、なにもなかったかのようにけろっとした顔をむけてくるに違いないから。
「ところで……局長。いつの間に、蜜森殿のことを『風』と呼ぶようになったので?」
「うん?……あ、そういえば先程!」
団の言葉に、土井が一瞬不思議そうな顔をした後、はっとして手を叩いた。
指摘された当の大丸は、なぜか嬉しそうに笑っていた。
「はは。さすが三葉じゃな。細かいところに気がつくのう」
「普通に気がつきますよ。今までずっと家名でお呼びになっていたではありませんか」
「……たしかに」
養田までも、不思議そうに若干目を細めて大丸を見ている。
視線を集めた大丸は、肩をすくめていた。
「まぁ……正直なところな。儂は、あやつをどこか別世界の者のようじゃと感じておった。
人の過去を視る力とか、人の能力を言いあててしまう力を目の当たりにするよりずっと前からな。
うまくは説明できんが……なんとなく、異物があるような感覚だったんじゃ」
輝一以外の三人が、同意するようにうなずく。
「だから、仲間として心の底から信じてもええのかと迷っておった。
だが、まぁ……なんてことはなかったのう。
今では、いったいなにを恐れていたのかと不思議でならん」
それにも、他三人はうなずいていた。
輝一も同じような気持ちだったが、唖然として返事ができずにいた。
――風が、別世界の者。
その言葉が、頭の中をぐるぐると回って支配しているかのようだった。
◇◇◇
なにもない。
視界がぼんやりとしていて、霧が立ちこめているかのようだった。
……覚えがある。ここは、前にも来た。
あれは……そうだ。
イチゴさんに刺されて、死にかけたとき。
……でも、なにかが違う。
景色はとても似ているけれど、空気が違った。
温かくて、懐かしい感じがする。
「……?」
どこからか、声が聞こえてきた。
耳をそばだてると――
「――社から請求の件で問い合わせきてるけど!」
「ええ!? またですかぁ!?
もー! 蜜森さぁん! 早く帰ってきてくださいー!」
同僚たちの声だった。
この世界に来る前にいた、元の世界の。
姿は見えなくて、声だけが聞こえる状態だ。
……懐かしさの正体は、これか?
だれかが、僕に「帰れ」と言っているのか。
たしかに、こちらでやるべきことは終わった。あとは、僕がいなくても問題はない。
そう考え、声がするほうへ一歩足を踏みだした。
――が。
「風」
背後から別の声が聞こえて、立ちどまる。
声の主は輝一さんだと、すぐにわかった。
振りかえる。
「早く戻ってきてくれ。皆……待っているぞ」
輝一さんの、優しく語りかける声。
やはり、姿は見えない。
「…………」
どちらに行くべきかわからなくなって、足が完全に止まった。
ふと、違和感がして足元を見る。
そこに――あんこがいた。
つぶらな瞳で、僕をじっと見つめている。
「……なんだ?」
なんでここに。
すると、あんこは一本の触手をのばし、僕の額に触れてきた。
瞬間――映像が流れてきた。
辺り一面、炎。
むせかえるような熱さを感じる。
『お願いします』
……この声は、母さん?
『どうか……! どうか風を。息子だけでも助けてください!
あの世界へ、連れていってください!』
「……!」
あんこが額から触手を離した途端、その光景が消えた。
……母さんが、僕を助けるためにこの世界へ送った?
僕がこの世界にやってきたのは、母さんと、その願いを聞きいれたなにかの力によるものだった、というわけなのか?
……もはや、どうあっても確証は得られない。
ぼんやりとあんこを見つめていると、奴が僕の背後を指さした。
振りかえった先には――両親。
穏やかに笑いながら、並んで立っている。
と、思ったら、踵を返して歩きだして離れていく。
だが、途中で立ちどまり、母さんがこちらを振りかえった。
なにかを言ったように、口が動く。
ここまでは、最初にこの空間に来たあのときと、まったく同じ。
でも今回は――ちゃんと、聞こえた。
『あなたのしたいようになさい』
「…………」
そのまま、光の中に消えていく両親を、見送った。
しばらくその方向を見つめ、ややあって振りかえる。
変わらず、あんこがそこにいた。
……お前は、いったい何者なんだ?
その不毛な疑問は、心の中にとどめたまま。
まず、元の世界の同僚たちの声がするほうへ顔をむける。
次に、輝一さんの声がするほうへ。
どちらを選んでも、合理的な理由はある。
……僕の、したいように。
正面のあんこを見つめ、大きく息を吐いた。
「……僕は、こっちを選ぶ」
宣言すると、あんこがすこし間を置いてから、うなずいた。
そして、二本の触手の先をくっつけて、輪を作った。
離したりつけたりを、何回か繰りかえす。
……僕に、こうしろと?
両手の人差し指と親指をくっつけて、同じように輪を作る。
――瞬間。
あんこが、のばした一本の触手を振りおろし、輪を真ん中から切りはなした。
それに連動するように、ガラスが割れるような音が響く。
……縁が、切れた。
選ばなかったほうの世界からの声は、もう聞こえなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回で本編完結です!




