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甘味戦争の社畜軍師 ~敗北寸前の和菓子軍を任された~  作者: 手羽本 紗々実(てばもと ささみ)
第七章 あるべき場所へ

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一枚の肖像画があった。

 一枚の肖像画があった。

 長い間使われた形跡のない暖炉の上に、かけられている。


 描かれているのは、椅子に座ってはにかんだ若い女性だ。

 長い黒髪を襟足でまとめて縛っただけの、シンプルな髪型。

 年の頃は、10代後半から20代といったところか。


 ……これ、が?


「ああ……見るたびに懐かしくなるな」


 ガレオ王が、それを見つめながらうっとりとした声で言った。


「これが、そなたにぜひ見せたかったもの……いや、会わせたかった、というべきか」

「……このお方は、ご令嬢ですか? それともご夫人ですか?」

「どちらでもない。余にとって、心の拠り所となった者。支えになってくれた者だ」


 妻でも娘でもない、心の拠り所となった人?


 ガレオ王は、肖像画を見上げながら遠い目をしていた。


「30年前……余は様々な不幸に見舞われていた。

 盟友スコルティウスの死。

 愛する我が息子の死。

 ……大事な者を、ほぼ同時期に失ったのだ。

 フェブルの言うことによく考えもせずうなずき、サインをしていたような覚えもある」


 そこで、ガレオ王がうつむき、唇を噛んで拳を握った。

 ……と、思ったら、ふっと力を抜き、口角をわずかに上げた。


「そんなときだ。この者が、私の目の前に現れたのは」

「……現れた」

「ああ。まさしく、どこかから飛ばされてきたかのように、突然の出来事だった」


 突然現れた、正体不明の女性。

 ……妙だな。なにか、違和感がする。


「この者は、余が何者かわかっていなかったようでな。

 しょげていた余を見かねて、ずいぶん強い言葉をかけてよこしたのだ」

「……気が強いお方だったのですか」

「それもあるやもしれん。

 だが、あのときはむしろ……余が弱りすぎていたせいだろうな。

 見るにたえないほどだったのだろう。

 いい加減たまりかねて、『余を何者と心得る!』と、怒鳴りかえしたときには、『元気になってなにより』などと言って笑っておった」


 ガレオ王は、さも愉快とばかりに笑っていた。


 ……なるほど。

 ガレオ王が領主様だと知ったときにどうなったか、想像するのは難しくない。


 ひとしきり笑ったガレオ王は、また懐かしむように細めた目で、肖像画を見た。


「……この者の存在が、余の心を癒してくれたのだ。

 今までひと時も、忘れたことはなかった」


 肖像画から、僕へと視線を移動させた。


「そなたと初めて会って言葉を交わしたとき、どこか懐かしい気持ちになったのだ。

 ずっと不思議に思っていたが……やっとわかった。

 そなたは、この者――『カオリ』によく似ておる」

「……僕が、ですか?」


 ……そうか?

 顔はあまり似ているとは思えない。そもそも性別が違う。

 雰囲気が、という意味の可能性が高いか。


「カオリ様、とおっしゃるのですね」

「ああ。サトウ・カオリと名乗っておった」


 ……日本人?

 だとすれば、よくある名前だ。手がかりは得られそうにない。


 でも……なぜだ?

 さっきから感じるこの違和感は、なんだ?


「顔は、見てのとおりあまり似ていないだろう。

 余が感じたのは、そなたのその理路整然とした喋り方だ。

 弱音を吐く余の言葉を、端から論破していったカオリの話し方と、よく似ておる」

「……喋り方、ですか」


 うむ、とガレオ王は満足そうにうなずいた。


 ……突然現れた。

 名前は、サトウ・カオリ。

 喋り方が僕と似ている。


 ……なにか、ひっかかる。


「その女性の特徴で、他に覚えていらっしゃることはなにかありませんか?」

「そうだな……ああ。あれだ。ほら、見てのとおりだ」


 ガレオ王が、指をさした。

 その先、肖像画の女性の口元付近を見る。


 小さな黒い……痣、か?


「カオリは、よくあのホクロを気にしておった。

 『それもそなたの個性ではないか』と言ったら……『嬉しくない』と怒られてしまってなぁ」


 ガレオ王の言うとおり、女性のあごの右あたりに、黒い大きめの点があった。

 痣ではなく、ホクロだったか。


「カオリを絵に残したいと言ったときもな。

 それ自体は快く承諾してくれたのだが……このホクロだけは絶対描き入れないように、などと何度も念を押しておった。

 だからあれは、カオリが余の前から姿を消した後に描き入れさせたものだ。

 余にとっては、一目でわかる大事な証であったからな」


 ガレオ王の言葉を、ぼんやりとした頭で聞いていた。

 肩の上のあんこが、なぜかそわそわしているのもどうでもいいほどに、僕は唖然としていた。


 あごにホクロがある女性、サトウ・カオリ。



『はぁ……ほんっとうに、嫌なのよねぇ。このホクロ』



 ある女性が、鏡を見ながらあごのホクロを困った顔でなでている。

 それは、僕が子どもの頃によく見かけたもの。


 ……まちがいない。

 サトウ・カオリ。

 それは――僕の母さんだ。


 佐藤とは、紛れもなく母が結婚する前の旧姓。

 もちろん、下の名前も一致している。


 ……そんなことが、あるのか。

 母さんが、独身時代にこの世界にきていたなんて。

 そして、どうにかして元の世界に戻っていた、なんて。

 最初に会ったのは、幸か不幸かガレオ王だった、なんて。


「……姿を消した、とおっしゃいましたが」

「ああ。そのときも突然でな。

 元いたところに戻ったのか、また別の場所に行ったのか……なにもわからぬままだ。

 今もどこかで幸せに暮らしているのなら、それでかまわぬが」


 ガレオ王が、すこしだけ悲しげに、眉を垂らして絵を見つめた。


 ……脳裏に、この世界に来る前に遭った事故の光景が、浮かぶ。


「だが、まぁ……カオリと似たそなたに会えたのは、嬉しく思っておるぞ。

 なんの関係もない赤の他人であろうが……長く生きていれば、このような出会いにも恵まれるものなのだな」

「…………」


 僕は、なに一つまともな答えを持ちあわせていなかった。


 ◇◇◇


 ガレオ王との二度目の謁見を終えて、帰宅した。

 護衛役の輝一さんからいくつか質問があったけれど、なんて返したのかは覚えていない。


 ぼんやりした頭のまま着替えをして、おぼつかない足取りで、縁側に沈みこむように座る。


 肩から下りたあんこが、僕の様子が気になってか、顔をのぞきこんできた。

 が、すぐに縁側から外に下りて、庭の中をちょこちょこ歩きまわりだした。

 その様子を、またしてもぼんやりと眺める。


 ……母さんが、この世界にきていた。

 名前。特徴的な位置にあるホクロ。

 それだけで、確定したと言えるほどの証拠になる。


 こんな偶然は、あるのか?

 母子そろって、同じくらいの年に、同じ異世界に行くなんて。

 ……確率的には、ありえない。


 なにか、大きな理由があるはずだ……けど。

 その先の考えが、まとまらない。

 疲れが出たのか、なぜか頭が回らなかった。


「風。どうした?」


 輝一さんの声。

 左をむくと、すぐそこに輝一さんが立っていた。


 ……いつの間に。

 足音、全然気づかなかった。


「……お疲れ様です」

「いや、私はほとんどなにもしていない。

 今回は、前回のように襲撃されるようなこともなかったしな」

「……報告は」

「ああ。今しがた局長に」

「……こちらからするべきところを、申し訳ありません」

「気にするな。

 お前は、ずっと気を張っていたのだろう? 疲れているのではないか?」


 輝一さんが、横に座りながら顔をのぞきこんでくる。


 ……気など、まったくと言っていいほど張っていなかった。

 けれど、現在進行形でひどい疲労感に襲われているところだ。


「……なぁ、風」

「……はい」

「私はこのところ、よく考えるのだ。お前がここに来たばかりの頃のことを」

「……なぜですか」


 なぜ今、そんな話を?


「わからない。

 ただ、あの頃は……まさかお前と、こんな仲になるとはまったく思わなかったな、と」

「……じゃあ、どう思っていらしたのですか」

「胡散臭い奴だとしか思わなかった。

 お前をこの家に住むように勧めたのも、得体がしれないと怪しんでいたからだ。

 副長として、見張っておかねばならないと。

 ……家族を失ったらしいのに、涙一つも流さない。

 この者には情というものがないのかと、不思議に思っていたのだ」

「…………」

「……あっ!?」


 庭で遊んでいたあんこが、小さな池の中へ足を滑らせて、落ちた。

 輝一さんが慌てて駆けより、引きあげる。


 ずぶぬれで、ひどい目に遭ったといわんばかりにしょげている、あんこ。


 ……タコなのに、水は苦手だったのか?

 いや……あれは、タコに似ただけの別物だからか。


 輝一さんは、そんなあんこを池から離れた木のそばに置いて、また戻ってきた。


「ふう……ああ。それでな。さっき言った、お前を胡散臭いと思っていた件。

 あれはまちがいだったと、だんだんと理解していったのだ。

 双甘大試(そうかんたいし)で、養田殿と組んだときも。

 姉上と義兄上との件でも。

 ……情がないなど、ありえない。すくなくとも、風にかぎってはそうだと言えると」

「…………」


 ……違和感。


「……どうしましたか」

「なにがだ?」

「急にそんなことを言うなんて……腹の調子でも悪いのですか」

「なっ!? なんでそうなる!?」


 輝一さんは、ぎょっとして立ちあがった。

 しかし、なにもないわけではない様子で、頬をかきながら目を泳がせていた。


「……なぜそう目ざといんだ」

「……なぜと言われましても」


 あなたが、わかりやすく変な行動ばかりしているからだ。


「実は……姉上に言われてな。風に、ちゃんとお礼はしているのかと」

「……お礼」

「ああ。今までたくさん助けてもらった礼だ。

 ちゃんと言葉で表さなければ、伝わらないのだから、と」


 輝一さんは、僕のほうをむいて正座した。


「感謝する。本当に、風と会えてよかった」


 膝に手を置き、頭を下げた。

 それを、ぼんやりとした頭のまま、しばらく見つめる。


「……それは、フラグになりかねません」

「ふらぐ?」


 頭を上げた輝一さんが、不思議そうに首を傾げた。


「悪い意味でのゲン担ぎ……いえ、違いますね。

 悪いことが起こる前兆、でもなく……悪いことを引きよせてしまう言動や行動のこと、ですかね……」

「……風?」


 怪しむように眉を寄せた輝一さんが、手をのばして額に触れてくる。

 瞬間、はっと目を見開いた。


「おい! 熱があるじゃないか!」

「……ありません」

「ある! 待っていろ、すぐ布団を敷いてくる!

 あとそうだ、姉上と宇井川先生にも……!」


 どたどたと、慌ただしく廊下を走っていく音がした。


 ……たしかに、頭はぼんやりするし、目の前も若干かすんできた。

 なるほど、熱があったのか。なら納得だ。

 おそらくこれは、疲れからくるものだと思われる。


 ……そこで、だれかが触れてくるような感触がした。

 あんこだった。

 膝の上によじのぼってきて、僕の顔をのぞきこんでいる。

 一本の触手をひょっとこ口に添えて、「あらまぁ」といわんばかりのポーズ。


 ……何なんだ。


 そう思ってまもなく――意識を失った。

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