次の言葉を絞りだすのに、かなり時間をかけていた。
次の言葉を絞りだすのに、かなり時間をかけていた。
「……次の日の朝……なかなか起きてこないと気になって、寝床にむかった。
そこで兄上は……冷たくなっておられた」
……視界の端で、大福さんが痛々しそうに目を閉じるのが見えた。
「覚悟は、していた。
だが……いざその場に立ってみると、なにも考えられなくなってしまった。
……兄上が死んだ。
その事実を受けいれるのは、想像していたよりずっと……重かったのだ」
……当然だ。
「亡くなってから七度の月日がたった頃になって、ようやく思いだした。
兄上がおっしゃっていた、子どもとの約束の話を。
……だが、その子どもの名も、どんな者だったのかさえも、俺は知らなかった。
『初めて会った橋が待ち合わせ場所だった』とだけ聞いていたから、手当たり次第に橋を回ってみた。
……だが、やはりなにもわからなかった」
羊羹さんは、悔しそうに、残念そうに目を細めて、首を横に振った。
「……先生は……決して、授業料を受けとっていただけませんでした。
そんな大したことはしてない、とおっしゃって」
シュークリームさんが、虚ろな目をして言った。
「ですが……その、お酒の約束をしたときは、嬉しそうにされていました」
ぐっと口を閉じたシュークリームさんが、眉間にシワを寄せて羊羹さんを見る。
「お酒は、お好きだったので?」
「……ああ。これこそ大人になれた証だと、いつも美味そうに飲んでおられた。
胸に悪影響だからと、医者から控えるようにと言われていたから余計にな」
「……ったしかに、そうおっしゃっていました」
「そうか。お前からその約束を言いだしてくれて……心から喜んでおられたはずだ」
「……っ」
シュークリームさんが、息をのむ。
……胸、おそらく心臓に持病があって、酒は控えるよう注意されていた。
つまり、そもそも酒には弱い体質の人だった可能性が高い。
羊羹さんとシュークリームさんは、その後しばらく互いに顔をうつむけ、沈黙した。
重い空気の中、羊羹さんが顔を上げて、ぐっと両手を握りしめて拳を作り、シュークリームさんをじっと見つめた。
「シュリオ・クレマン。
約束を守れなかった件は、許さなくてもいい。ただ……どうか、兄上を恨まないでくれ」
羊羹さんが、頭を下げた。
シュークリームさんだけでなく、洋菓子側の人たちは一様に動揺している様子だった。
……羊羹さんのお兄さんが、シュークリームさんの先生。
これだけ辻褄が合っているのだ。
もはや、疑いの余地はない。
――あのとき。
幼いシュークリームさんが、あなたはウソつきだ、と叫んでいたとき。
心のよりどころにしていた人を見失ってしまったせいで、ああやって当たるしかなかったわけだ。
裏事情を知った今――なにを思うのか。
「恨むなど……ありえませんよ。恩人の先生を……その弟君のあなたを、恨むなど」
シュークリームさんは――一筋の涙を流していた。
頭を上げた羊羹さんが、こらえるように唇を噛む。
それを見て、シュークリームさんはかすかに笑っていた。
しかし、すぐに表情を引きしめ、涙を拭いてショートケーキ団長のほうへ体ごとむけた。
「ヴィクトリウス様。どうか、罪深き私を罰してください」
ビシッと背筋をのばしたシュークリームさんが、最敬礼をする。
ずっと黙りこんでいたショートケーキ団長が、うなずいた。
「……お前がずっと抱えていたものの正体は、よくわかった。
だが、この場でそなたを罰する資格は我にはない。むしろ――」
「呆れてものも言えんなぁ」
大福さんが、割りこんだ。
そして、さも呆れかえっているといった様子で、わざとらしくため息をついた。
全員の視線が、彼にむく。
「わしにはさっぱりわからんのじゃが?
なぜそれで、罰するだの罰しないだの、資格がないだのという話になるのじゃ?
そちらの参謀も、女騎士も、ヴィクトリウスも。わしら餡月郷の者と関わりがあった。
ただそれだけではないか」
「……それを禁止する規則があるからです」
「納得できんと言うておるのじゃ。
敵だからなんじゃ。関係を持つことの、どこが恥になるんじゃ。
どこに、罰する必要があると言うんじゃ」
大福さんは、憤慨していた。
腕組みをして鼻を鳴らし、そっぽをむいた。
……いや。敵、だったからだ。
でも、この国にかぎっては、それは必ずしもあてはまらないと僕も思う。
すこしして。
大福さんは再び、呆気にとられているショートケーキ団長へと身を乗りだした。
「のう、ヴィクトリウス。
わしは、もっともっとおんしらを知りたくなった。それは、悪いことなのか?」
「…………」
ショートケーキ団長は、答えなかった。
答えないかわりに、じっと大福さんを見つづけた。
「局長のおっしゃるとおりです」
だれも口出しできそうのない空気を裂くように、輝一さんが立ちあがって、言った。
「今日この場で、つくづく感じました。
ここまで幾度となく刀を合わせてきたにも関わらず、我々は互いのことを知らなすぎると。
まずは、知ること。
共同統治の案を支持するとおっしゃるのなら、そこから始めてみるべきではないでしょうか。
そうだろう、風」
唐突に振られたが、予測はしていた。
なので、驚きはせずに輝一さんの顔を見つめながら、「……はい」と言った。
そして、輝一さんは続けて、どら焼きさん、みたらし団子さん、羊羹さんを順番に見る。
彼らも、一様に同意を示すようにうなずいていた。
「……もう、ええじゃろうて」
「……ダイマル。そして、甘誠組のそなたら全員に……感謝する」
アントルメ騎士団側が、同時に起立。
そして、頭を下げた。
僕らも、同様に。
……この協議が始まる前と、ほとんど同じ光景だった。
だけど、意味が大きく違っている。
降りそそいでくる太陽の光を、目を細めて見上げた。
◇◇◇
その協議の翌日。
僕は一人、あの場所にむかっていた。
――八つ橋さんの墓がある、あの荒地だ。
「おいおい兄ちゃん! そっちは行っちゃならねぇ場所だぞ!」
まっすぐ荒地にむかっていたところ、天秤棒を担いだ人に声をかけられた。
網には、魚が乗せられている。
「……行ってはいけない?」
「そうだよ。まさか知らねぇのかい?」
「……いえ。どうして行ってはいけないのかと、不思議に思ったもので」
「そりゃ決まってるよ。鬼が出るからさ」
魚売りのその人は、口元に手を立てるように添えて、声を抑えて言った。
……出た。
求肥さんも、たしかにあそこを『鬼の棲む場』と言っていた。
「……鬼、ですか」
「あ、兄ちゃん疑ってやがるな? 本当なんだって。なんたって俺ぁ、聞いたからな」
「なにをですか」
「その鬼のうなる声をだよ!」
魚売りのその男性は、顔をしかめつつも話してくれた。
――時は、日が落ちたばかりの頃。
当時子どもだった彼は、水をくむために外の井戸にいたところ、聞いたそうだ。
曰く、なにかの獣が低くうなるような声を。
「俺一人だけだったら、ものを知らねぇガキがなんかと勘違いしたんだろっつって、あしらわれて終わってただろうよ。
けど、親父も一緒に聞いてたんだ。で、あれぁ鬼だって言ってたんだよ。
それでしばらく大騒ぎになってな。
まぁ、あとで仲間連れて捜しまわったけど、結局なんにも見つからなかったけどなぁ。
そのうち、あそこは危険だからってお達しが出て、入れなくなっちまったんだ」
「……子どもの頃、とおっしゃいましたが。具体的にいつぐらい前の話ですか」
「あん? いや、相当前だからなぁ。具体的にっつわれても……」
あごに手を当てて、上を見て考えこむ彼を、じっと見つめる。
「あ……っ! 思いだしたぞ! そうだ!
あれぁたしか、ほら! 甘誠組の前の局長がやめるとかやめないとかっつう話が出てた時分だな!
だから……もう30年も前になるのか?
なんてこった。時間の流れの早さとは、おっそろしいねぇ!」
その人は、手をパンと叩いて、一人で楽しそうにしていた。
――30年前。
求肥さんが、局長の座を退く話が出た頃。
……考えるまでもないな。
魚売りのその人と別れ、彼の姿が見えなくなってから、再び歩きだした。
肩の上にいたあんこが、なぜかそわそわしはじめていた。
「おいコラ! そこの朴念仁!」
……今度はだれだ。
と、考えるまでもなく、きんつばさんが焦った様子で駆けよってきた。
「どこ行く気だ! まさか、知らねぇのか!? この先は――」
「『鬼の棲む場』ですよね」
遮って言うと、きんつばさんは目を丸くしたのち、眉を寄せた。
……道着姿。
ぼた餅さんに稽古をつけていた帰り、だな。
いつの間にか、左右非対称でいびつな刈り上げ頭ではなくなっている。
だれか……ぼた餅さんにでも整えてもらったのか。
「知ってんじゃねぇか! じゃあほら、さっさとこっちこいって!」
「僕はこの先に用事があります」
「用事!?」
「はい。一言お伝えしたいことがあるので……八つ橋さんに」
「……!?」
唖然とするきんつばさんを置いて、さくさくと枯草を踏みわけながら進んでいく。
「お前……! コラ! 待ちやがれ!」
「……ぼた餅さんの上達具合はいかがですか」
「あ!?……まぁ、思ったとおり筋はいいほうだな。この調子ならもうじき本格的に――
って、ちげぇ! 止まれっつってんだよ!」
きんつばさんが、僕の腕をつかんで止めようとする。
が、もう手遅れ。
すでに、例の石碑が見えるところに来ていた。
そこには、先客がいた。
求肥さんだ。
……偶然、か?
「な、え!? 肥田様……!?」
きんつばさんがうろたえながら思わず呼びかけると、求肥さんがこちらをむいた。
鋭くにらみつけるような目。
……この人、これがいつもの顔なのか?
「……なぜ来た。ここは立ち入ってはならぬ場所だと言ったはず」
「それをいうなら、あなたもでは?」
にらみ殺されそうなほどの鋭い視線をスルーして、石碑の前に移動。
その場にしゃがんで、手を合わせた。
……橋本八重、もとい八つ橋さん。
あなたと、あなたの愛する夫が思いえがいていた共同統治が、実現へと大きな一歩を踏みだしました。
あなたの息子さんにも、支持するとおっしゃっていただけました。
これで、問題はありません。
心の中で祈りおえてから、立ちあがる。
求肥さんを見つめ、口を開いた。
「……30年ほど前、この近くで獣がうなるような得体の知れない声を聞いた方がいたようです」
「…………」
それ以上は、言わなかった。
……低くうなるような声。
その正体は、慟哭する求肥さんのあの声の可能性が高い。
元々低めなこの方の声なら、「獣がうなっている」と勘違いされてもおかしくはない。
「……知っている」
求肥さんの、しずかな、穏やかな声が聞こえた。
「それを利用し、私が御前に進言して……ここに立ち入ることを禁ずるとお触れを出したのだからな」
「…………」
求肥さんが、ここに人が立ち入らないようにした。
まさか、これを――八つ橋さんの墓を、隠そうとしたのか?
……なぜ、そうまでして?




