振りかえった先にいた者を見た瞬間。
振りかえった先にいた者を見た瞬間。
落合は、唖然として口をあんぐりと開けて固まった。
「嘆願書は、すでに私の手元にある。
この者を呼びつけて――事前に預かっておいたのだ」
肥田の言葉は、落合の耳に届いていたかどうか。
落合が見る先にいたのは――
蜜森だった。
◇◇◇
「顔によく表情が出るのですね。
それでお役人と……内通者が務まるのですか?」
わざと嫌味を言ってみせたが、落雁さんの反応はなかった。
ここに僕がいるわけがない。
そう思っているのが、手にとるようにわかる。
「……この者から話があったとき、確信した。
やはりそなたは、裏切り者だったと」
「っや、やはり?」
落雁さんを見つめる求肥さんから、憤怒一色にまみれたオーラが立ちのぼっているように見えた。
落雁さんが声を出せたのが、不思議なほどの威圧感だ。
「そなたが不審な行動をしていると聞いたのは、一度や二度ではない」
「……っ」
落雁さんが、後ずさりしながら目を泳がせる。
……あのとき。
条件つきで、練り切り様に謁見の件の話を通すと約束してくれたときの、求肥さんの言葉。
『気はあまり進まんが……期待はしている。
なにより、御前がお喜びになるはずだからな。
ただでさえ今は……』
ただでさえ今は。
そこが、ずっと引っかかっていた。
求肥さんは、すくなくともその時点では、「落雁さんが不審な行動をしている」のを知っていた。
だから、こうしてすんなり協力してくれたのだ。
――あなたの下役、落合雁太郎氏がメローリアの内通者である可能性が浮上しました。
普通なら、そんな報告は問答無用で一蹴されるはずだった。
……なんとか話を聞いてもらうために、会話パターンをいろいろ考えていたのに。
おかげで、その労力が無駄になったわけだ。
いい意味での想定外だったから、かまわないけれど。
ため息をつきながら、僕と求肥さんに挟まれている状態の落雁さんを見る。
体を震わせながら、彼の手が懐に入る。
取りだしたのは、小刀。
「侮るでない」
刀を抜こうとした落雁さんの手が、ぴたりと止まる。
求肥さんは、腰にさしていた刀に手をかけていた。
役人が、帯刀?
……こうなることを、予測していたか。
「甘誠組先代局長たる私を、何と心得る。
無様にこの場で自害などさせるものか。
私がその首をはねてくれる」
「……っ」
落雁さんは、小刀を見つめたまま震えていて、動けない。
……もう一押し。
そう思った直後、求肥さんが、だん、と足を強く踏みならした。
瞬間、落雁さんの肩が大きくはねる。
「御前にお仕えする身でありながら、このような不始末……」
しずかな声。
すこし間を置いたのち――
「断じて許さぬ!」
かっと目を見開いた求肥さん。
その怒声が、部屋中に響きわたった。
落雁さんの腕が下がり、持っていた小刀が落ちた。
そして、その場にへたりこむ。
「お……お、お、お許し、ください……っど、どうか、お許し、を……っ」
落雁さんが、平伏しながら小さな声で呟いた。
……なるほど。
間を置いて、最後に一気に力を込めて言う。
効果的な威圧の仕方だ。
もろに受けた落雁さんは、ひとたまりもない。
その後、求肥さんが呼びつけた他の役人たちによって、落雁さんは連行されていった。
最後まで、壊れた人形のように「お許しを」とくりかえしていた。
……なぜそんなに怯える?
求肥さんにばれるリスクを想定していなかったのか?
だとしたら、見立てが甘すぎる。
疑問に思いつつ彼らを見送ったのち、苦々しげに顔をしかめている求肥さんに近づいた。
「特例をお認めいただき、感謝申し上げます」
「……事態が事態だ。致し方あるまい」
言いながら、求肥さんはとても不服そうだった。
役人ではない僕をここに忍びこませる手引きをしたのが、相当嫌だった様子だ。
「落が――落合様が不審な行動をされていた件は、以前から?」
「……そうだ。なかなか慎重な奴でな。
私の前では、決してそのような素振りは見せなかった。
見張りをつけても同様。
長らく噂の域を越えないままだった」
椅子に座って横をむいた求肥さんが、こちらを一瞥した。
「まさか、この件でそなたに借りを作ることになるとはな」
「……いいえ。白妙様との謁見の件のお約束を果たしていただけたので。
むしろ、こちらがやっとそのご恩に報いられました。
改めて、感謝いたします」
ゆっくりと丁寧に頭を下げると、鼻で笑ったような音が聞こえた。
顔を上げて、目線を合わせようとしない求肥さんを見る。
「……落合様の取り調べについてですが」
「それは我々――御前警護隊の仕事だ。
甘誠組とは関係ない」
「存じております。
ただ、可能であれば情報の共有をさせていただきたく」
そこで、求肥さんがやっと体ごとこちらをむいた。
獲物を見つけた猛獣のような目で、見つめられる。
しばらくしてから――彼がため息をついた。
「……奴がいかにメローリアと通じていたか。
どの程度の情報が流れたか……調べがついた時点で文を出す」
「はい。お手間をとらせますが、お願いいたします。
それと――」
「御前との謁見の件も、改めて連絡する」
「……承知いたしました」
返事をしつつ、他に伝えるべきことがないかと考える。
なにしろ、「会いたい」と思ってもそう簡単には会えないお人だから。
ただし。
共同統治の提案があった件について知っているかどうかは、この場では尋ねるべきではない。
「そなたが御前に謁見するのを、妨害しようとしていた」
求肥さんの視線が、また鋭くなった。
「つまり、そうされるのは都合が悪いということだ。
そう思う者はだれなのか……考えてみよ」
……アドバイスを、くれた?
想定外。
「助言、ありがとうございます」
「……下がれ」
視線を外した求肥さんに言われ、一礼して部屋を出ようとする。
……一つ、思いだした。
「旧糖明神殿跡地に隠れ住んでいた、きんつば――金田椿様とお会いしました」
机のものに目を落としていた求肥さんが、顔を上げてこちらを見た。
「いろいろお話しして、指導役として復帰していただけることになりました」
「……それがなんだ」
「お会いに、ならなくてもよろしいですか?」
「会う? なぜだ」
尋ねると、求肥さんは眉間にシワを寄せた。
……意味がわからない、とでも思っているのか。
きんつばさんが、なにを見たのか。
求肥さんがきんつばさんと再会することが、どれほど重いことなのか。
僕は、知っている。
その事実を、知らせておく必要がある。
「……あの日以来、では?」
言った直後、求肥さんの表情に変化はなかった。
……だが。
次第に目が見開かれ、おまけに椅子を後ろに吹っとばす勢いで立ちあがった。
「金田からなにを聞いた」
怒り。いや、警戒か。
求肥さんの表情は、先程の落雁さんにむけていたときと同等の鋭さを帯びていた。
――「あの日」以来。
八つ橋さんの切腹に、立ち会ったとき。
「……あなたが二度と口にしてはならないとお命じになったお方の、生前の人となりです」
「それだけなわけがあるまい」
「いいえ。本当に、それだけです」
「…………」
「……言い訳になってしまいますが、決して探っていたわけではありません」
求肥さんの鋭く細められた目を見つめながら、言った。
……嘘は言っていない。
きんつばさんと会えたのは、本当に偶然だった。
八つ橋さんの話になったのも、あちらが先にその名を出してきたからだ。
……と、言ったところで、余計に疑われるだけ。
以降はなにも言わず、じっと求肥さんの回答を待った。
「……ここで明らかにするか」
求肥さんが、倒れた椅子を起こして、座りなおした。
咳払いを一回。
「蜜森風。そなたは、八重のなにを、どのようにして知った」
尋問するような口調で問われても、僕はひたすら彼を見つづけた。
その人の過去を視る力。
期せずして得たその力で、様々な人を見てきました。
……なんて、言えたものではない。
ただ不信感を募らせるだけだ。
そもそも、僕自身も完全に理解しているとは言いがたいのだから。
「……言えません」
「答えよと申しておる」
「あまりにも荒唐無稽な事実のため、僕自身も心からは信じておりません。
なので、お答えできません」
「……そなたは、物の怪の類だとでも言うのか」
「そうですね。
それに類する力を得てしまった、とでもご理解いただければ」
そう答えたあとは、求肥さんに探りを入れられているようにじっと見つめられる。
――沈黙の時間が、続く。
「……ふん。馬鹿馬鹿しい」
それを破ったのは、求肥さん本人だった。
鼻で笑って、首を横に振った。
「なにが荒唐無稽だ。それはそなた自身であろう」
「……望んで得たわけではありません」
「その力とやらを除いても、だ」
……よくわからないな。
僕は妖怪ではない。
妖怪なら、あんこのほうがずっと近いと思うけど。
「存分に腕を振るえ……そう、伝えておけ」
求肥さんが、ぎりぎり聞こえるか聞こえないかというほどの小さな声で、言った。
はっとして、顔を上げる。
……意外、だな。
「……はい。たしかにお伝えいたします。
それと……先程お伝えした件で見聞きしたものは、決して口外しないと誓います」
求肥さんはこちらを一瞥。あごを前へ、くいっと動かした。
今度こそ帰れ、と。
最敬礼をして、部屋を出た。
廊下を歩きながら、星がまたたいている空を見上げる。
――存分に腕を振るえ。
……きんつばさんにこれを伝えたら、どんな顔をするか。
求肥さんも、それをわかっていて言ったに違いない。
彼は、ただ厳しいだけの人じゃない。
部下思いな部分も、すくなからずある。
それを知れたのは……まさしく、棚からぼた餅、とでも言うべきか。
うろたえるきんつばさんの顔を想像しながら、帰路についた。
◇◇◇
いよいよ、この日がやってきた。
延期されていた、練り切り様との謁見。
今日がその当日だ。
ざらめさんに手伝ってもらいながら、この日のためにしつらえた衣装に着替えた。
袴に羽織り。色は紺色。
ざらめさんの夫の煎餅さんが手配してくれた、いわばオーダーメイドの正装だ。
相談して、正解だった。
しかし……さすがに、暑い。
「はい。これでいいでしょう」
「ありがとうございます」
「ふふ。よくお似合いですよ」
優しい笑顔を浮かべて、ざらめさんが言った。
全身を、できるかぎり見回してみる。
……初めてする格好なだけに、なんだか落ちつかない。
床に下りているあんこも、物珍しそうに見ていた。
「領主様に二度もお会いできるなんて……さすが蜜森さんですね」
「……たまたまです」
「たまたま? 領主様にお会いするのが?」
「そうです」
「まぁ」
ざらめさんは、袖口を口に当ててくすくすと笑った。
……なにが楽しいのかは、よくわからないけれど。
「では、行ってまいります」
「はい。どうかお気をつけて」
不満げな顔のあんこを手に乗せたざらめさんにむけて、一礼。
彼女の見送りの言葉にうなずいて、踵を返して玄関にむかった。
外に出ると、そこには馬を待機させた状態の輝一さん。
顔を見合わせ、無言でうなずきあった。
練り切り様――領主様に、会う。
この世界が変わるか。いや、変えられるか。
その瀬戸際に、立たされているのだ。
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