進むべき道は、ぐちゃぐちゃだった。
進むべき道は、ぐちゃぐちゃだった。
泥が草履にまとわりつく、不快な感覚。
……雨があがってすぐに出るべきではなかった。失敗だ。
「…………」
横を歩く、ぶすっとした顔の人。
いわずともがな、きんつばさんだ。
こちらの申し出を、了承してくれた結果である。
「……っわかったよ。一緒に行ってやる。
今の局長は、大丸んとこのせがれだろ。あいつにはいくつか貸しがある。
それで通用するかはわからねぇけどな」
きんつばさんは、最後に僕を見て、苦々しげに「けっ」と言いながらそっぽをむいていた。
改めて、彼の横顔を見る。
「……よく決断してくださいましたね」
「好きで行くわけじゃねぇっつうの。
けど、野放しにしておけるかよ。お前みたいな得体のしれない奴を」
ふん、と鼻を鳴らして一度反対側をむき、またこちらを見た。
「……ちょっと話すだけだからな。そしたらもう帰るから、二度と関わってくんじゃねーぞ」
「……よろしくお願いいたします」
軽く頭を下げて、返事。
きんつばさんは、腕組みをしつつ嘆息していた。
まもなく、町が見えてきた。
「……くそ。こっからでも甘ったるいにおいがしやがる」
きんつばさんが、首を横に振りながら嘆いた。
「甘味は苦手ですか?」
「酒の肴にならねーもんは好きじゃねぇ」
「……酒饅頭とか」
「やめろ! あんなの邪道の極みだろ!」
きんつばさんが、大げさなほど僕からのけ反るように離れ、口に手を当てていた。
……本当に嫌いらしい。
あの芳醇な酒の香りと餡子の甘みが、絶妙にマッチしているのに。
「……あー。饅頭で思いだした。そう呼ばれてたお方がいたっけなぁ……」
前をむいて苦笑したきんつばさんを、横目で見る。
……実際に、そうだったのか。
「萬田十蔵様ですか」
「はっ!? 知ってんのかよ!」
「はい。萬田様は――」
そこで、切った。
前方から、馬に乗った人が走ってくるのが見えたからだ。
その人は、こちらに近づいて、まもなく止まった。
「僕の、乗馬訓練の先生です」
馬に乗った人――きんつばさんとは違い、きちんと整えられた刈りあげ頭の大男。
萬田様こと饅頭さん。
きんつばさんとほぼ同時に、目を見開いていた。
……今さらだが、饅頭さんもそうだし、求肥さんも髷を結っていなかったな。
OBも含めて、甘誠組に所属している人は規則で髷は結ってはならない、とでも定められているのか?
それとも、髷を結うのはお堅い人たちの間だけの、古い習慣のようなものなのか。
「金田……!? そなたは、金田だな!?」
「……!?」
きんつばさんは、言葉を失って立ちつくしている。
饅頭さんが、馬から降りて近づいてくる。
途端に、きんつばさんが踵を返した。
「お約束を、果たしてくれないのですか」
声をかけると、きんつばさんがぴたりと足を止めた。
「逃がさんぞ、金田! 今までどこに行っていた!? なぜ蜜森と共にいる!?
……そなたもだ、蜜森! なぜ金田といるのだ!? どこで会った!?」
すごい気迫で、矢継ぎ早に問いつめる饅頭さん。
……珍しいな。この人がここまで動揺するとは。
どうやら、きんつばさんはある日突然失踪したことになっているようだ。
ある日とは……考えるまでもない。
「……萬田様こそ、なぜここに?」
「粕谷に泣きつかれたのだ。お前を探してほしいと」
「……はぁ」
なぜ、輝一さんが饅頭さんに泣きつく?
探してほしい?
……あの人が言ったんじゃないか。出ていけ、と。
「私の質問に答えろ。そなたらは、いったいどこにいた」
「……旧糖明神殿跡地です。雨宿りのため立ち寄ったら、先客としていらっしゃいました」
「神殿跡地だと? そんなところに潜んでいたのか……なぜ戻らなかった」
饅頭さんが、じろっときんつばさんをにらむ。
びくっと体を震わせて口をつぐむ、きんつばさん。
……饅頭さんは、事情を知らないようだ。
きんつばさんがうろたえているのは、失踪したうしろめたさのせいか。
それとも、饅頭さんが垂れながす不動明王のような威圧感のせいか。
饅頭さんは、にらむばかり。きんつばさんは、おどおどしているばかり。
……僕の腹も、減ってきた。
そんな、イライラしてきたときだった。
饅頭さんの、しずかなため息の音が聞こえた。
「……息災なのか」
「……! は、はい……」
「ならば……よい」
なんとか返事をしたきんつばさんが、意外に思ったのか眉を寄せる。
饅頭さんは、くるりと背をむけた。
「生きていたなら、それでよい。肥田様――局長も、お喜びになるだろう」
「……っ!」
きんつばさんが唇を噛み、拳を強く握った。
……わざわざ、「局長」と訂正した。
かつての、同志だった頃の呼び方に。
顔をうつむけ、肩を震わせているきんつばさんから一歩前に出て、饅頭さんに近づいた。
「……ご報告とお礼、遅くなり申し訳ございません。練り――白妙様との謁見が実現しました。
お力添えに、感謝します」
言った後、頭を下げた。
次に見えた饅頭さんの顔には、わずかに笑みがあった。
「ああ。大丸から聞いた。肥田様をうまく説得できたのだな……大した奴だ」
さらに、饅頭さんが笑みを深くする。
……いや。
求肥さんに、僕に気をつけろ、とかなんとかと言っていたらしいけど。
この人は、ただ厳格なだけじゃない。案外食えない人だ。
「ちょ……っと、待てよ、おい……! 白妙様と謁見!? お前、本当に何者なんだよ!?」
きんつばさんが、大量の汗をかきながら僕を指さしてくる。
……神殿跡地にいたときに、話したはず。
あれと同じ答えは、求めていない?
「……僕は、あなたの口添えがあるおかげでまもなく元の軍師という立場に返り咲く者です」
「やかましいわ!」
きんつばさんは怒りをあらわにして、にらんできた。
……いや、警戒しているとも言える。
続いて、饅頭さんに視線をむけていた。
「……ただの弟子だ」
「どこがですか!?」
「乗ってみろ」
饅頭さんが、きんつばさんを無視して、乗ってきた馬の手綱を僕に差しだしてきた。
……一週間近くも乗っていない。
けれど、その程度なら体に覚えさせた感覚は……抜けていない、はず。
手綱を受けとり、馬にまたがった。
「走れ」
饅頭さんの指示で、馬の腹を足で軽く叩く。
馬が、走りだす。
体の軸がぶれて、落ちそうになる。
けど……悪くない感覚だ。
「止まれ!」
再び指示が入り、止める。
直後、肩に必死に貼りついていたあんこが、安堵したように息を吐く。
すこしして、きんつばさんが駆けよってきた。
……焦ったような顔をしている。
「危なっかしいなぁ、お前! 本当に萬田様に教わってんのか!?」
「……はい。ひと月ほど前から」
「ひと月だぁ!? ひと月でこんな速く走らせるとか、命知らずだな!?」
「教えていただいたとおりにやっているだけですが」
「……!?」
きんつばさんが、後ろからゆったりと歩いてやってきた饅頭さんを振りかえる。
饅頭さんは、わずかに目を細めただけ。
……なにをこれしきのことで、とでも言いたげだ。
「気に入らんのなら、そなたが指南すればよかろう。私よりも上手いのだからな」
「な! なにをおっしゃいますか!」
きんつばさんは、一目でわかるくらい動揺している……が。
饅頭さんより上手い、だって?
「……きんつばさんは、乗馬の達人なのですか?」
「そうだ」
「ちょ、よしてくださいよっ!」
慌てるきんつばさんを尻目に、饅頭さんが口の端をわずかに持ちあげた。
……またもや珍しい。饅頭さんが人を持ちあげるとは。
きんつばさんは、本当にそれほどの人なのか。
「金田は、流鏑馬の名手だ」
「名手って……! ち、違……! く、もない、です、けど……!」
きんつばさんが、目を泳がせている。
……わかりやすい人だ。
褒められると喜ぶタイプ……いや、むしろ耐性がないタイプか。
それにしても……流鏑馬の名手とは。
絶対に囲いこんでおくべき人材……こちらの世界風に言えば、型抜きしておくべき人材、だな。
馬から降りようとしたが、「そのまま乗っていけ」と饅頭さんが言った。
今度は走らせずに、ゆっくりと町へむかって歩いていった。
やがて……見慣れた人たちの姿が見えてきた。
「見つけたぞ」
「……!」
饅頭さんが声を張ると、一斉にそこにいた人たち――輝一さんや大福さん、他幹部の人たちが振りかえってきた。
輝一さんが、目をまん丸に見開いて、こちらに駆けよってくる。
それを見て、馬を降りた。
尋常ではない様子を察知したらしいあんこが、襟の後ろに隠れる。
「……萬田様。お力添え、感謝申し上げます」
「よい」
頭を下げた輝一さんに対し、饅頭さんは、短く返事。
あごを、前に動かした。
輝一さんが、こちらをむく。
「風……! お前! なぜ家を出ていった!?」
「……出ていけと言われたので」
「あれは、『あの場から』出ていけという意味だ! だれが家を出ていけなどと!」
「身元引受人のあなたから言われれば、そういう意味だと受けとります」
「私の言い方がまずかったとでも言いたいのか!」
「待たんか、二人して」
鼻先が当たりそうなくらいまで詰めよってきた輝一さんと、僕の間に大福さんが入る。
横をむいた状態で腕をのばし、物理的に引きはなした。
「そんなことを言いたいわけじゃなかろうて。なぁ?」
「……っ」
大福さんに優しく諭され、輝一さんが口をつぐむ。
すこし間を置いてから、彼が一度深呼吸をした。
「……私は、看過できない。自身の命を代償に、なにかを得ようとするなど」
そう言ってすぐ、うつむけていた顔を上げ、こちらを見つめてきた。
「絶対に、二度としないと誓え。そうでなければ、本当に追いだすぞ!」
「……では、あなたがそうしてください」
輝一さんが、ぎゅっと眉間にシワを寄せる。
「僕がそうしなくても済むように。あなたが、誓ってください」
そう言って、しばらく輝一さんと二人で見つめあった。
そして、彼が不敵な笑みを浮かべて、うなずく。
「望むところだ」
差しだされた手を、握りかえした。
……大福さんほどじゃないけど、馬鹿力。
手を離すと、僕は大福さん他幹部のほうをむいた。
「……いろいろ、お騒がせいたしました。申し訳ありませんでした」
「ああ。まったくじゃ!」
どら焼きさんはそう言っていたが、笑っていた。
当然とばかりに、他の人たちも。
「……なんでぇ。俺の口利きなんて、必要なかったんじゃねぇか。あーあ、損したぜ」
きんつばさんが一人、頭をかきながらぼやいていた。
それを見た大福さんが、なぜか目を輝かせた。
「やはり! そちらは、金田椿殿ではございませぬか!?」
「あーあー! うるせぇ声だな。大丸そっくりじゃねぇか」
「私も大丸でございます」
「やかましいってんだよ、っとによぉ」
近寄ってきた大福さんを、きんつばさんはハエでも追い払うかのように手を動かしていた。
大福さんときんつばさん。
相性92%、補完率68%。
やはり、同じ餡子を使うもの同士、相性はいい。
けど、包むものが違うから、戦い方も性質も方向性が違うようだ。
……待てよ。
きんつばさんは、流鏑馬の名手。
それなら。
「きんつばさん。育ててみませんか」
「あ? なにをだよ?」
「大福さんの娘さん――ぼた餅さんは、あなたの弟子にふさわしいかと」
それを聞いた全員が、ばかみたいにきょとんとした顔をしていた。
きんつばさんとぼた餅さん。
この組み合わせは――いい。




