むこうから近づいてきた。
むこうから近づいてきた。
遠のいてしまったはずの真実。
それの一端を握る人物が、今、目の前にいる。
……想定外。いい意味で。
「なに笑ってんだよ……人が感傷に浸ってるときに」
「……失礼いたしました」
印象を悪くされては、話を素直に聞けない可能性大。
きんつばさんに背をむけて、自然に吊りあがる口元を指でおさえて表情を戻した。
再び彼とむき合って、懐に入れていた手ぬぐいを差しだす。
「ありがとよ……もうずっと、わからねぇままだと思ってた」
「……今のは、僕個人の見解です。あなたのお父上の意図とは違う可能性があります」
「合ってるよ。まちがいねぇ。そう……思ったっていいだろ」
手ぬぐいを受けとったきんつばさんの顔には、穏やかな笑みがあった。
彼が、顔を拭って鼻をかんだタイミングで、話しかける。
「あなたは、八つ橋さんと親しくされていたんですか?」
「なんだ、八つ橋さんって」
「橋本八重さんの、僕独自の識別名です」
「よくわかんねぇけど……まぁいい。お前になら話してやってもいいぞ。
知りてぇのか? 八重のこと」
首を傾げたきんつばさんをまっすぐ見ながら、うなずいた。
きんつばさんは、ほほえみながらどこか遠くを見るような目をした。
「あいつにはな……俺も、一度たりとも勝てたことがなくってな。剣もそうだし、一番得意な弓でもだ。相手が女ってぇのが余計に悔しくてよ」
「……同じ隊の所属だったんですか」
「ああ。八重は、うちの一番隊で唯一の女でな。
俺らの頃は、どこの隊に所属するかを決めてたのはそいつの強さだったんだよ。だから、あいつが入隊したときはみんなばかにしててなぁ。
女に一番隊隊士が務まるわけがねぇ、ってよ」
……単純に、一番隊が筆頭の精鋭部隊だったってことだな。
「実力を知ったら、全員呆気にとられてたけどな。まぁ、俺はすぐに追い越すって思ったけど」
「……でも結局、追い越せなかったと」
「うるせぇ」
きんつばさんが、手を横払いしてきた。
頭を後ろに下げてよけると、その手はあんこに当たった。
感触が悪かったのか、きんつばさんは顔をしかめていた。
「……八つ橋さんは、先代局長の部下だったらしい、とおうかがいしました」
「あ?……ああ。はは。実はな、それにはちょっとしたカラクリがあるんだよ。
局長の部下を名乗れるのは、一番隊の奴だけって決まりだったんだ」
きんつばさんが、寝転がってあおむけになった。
「あいつは、俺のこと椿って名前で呼んでいやがったんだ。それがまた気に食わなくってよ。
やめろって言った俺に、あいつ、なんつったと思う?」
「……私に勝てたら好きな呼び方に変えてやる、とか」
「……なんでわかるんだよ」
きんつばさんが、苦々しげに吐きすてるように言った。
そして、大きなため息。
いや。今の話の流れでは、それしか考えられないが。
「結局、最後の最後まで敵わなかった……ってわけよ」
「……八つ橋さんは、すでにお亡くなりになっているんですよね」
「……ああ」
瞬間、きんつばさんの声色が変わった。
閉じた瞼が、若干震えているように見える。
「八重の小隊が、敵さんをほぼ壊滅状態にした件で……単身、交渉に行ったんだ」
「単身で?」
「ああ。本人たっての希望でな」
無謀にも程がある。捕まりにいくようなものだ。
求肥さんは、なぜそれを許可したんだ?
「……その後は?」
「…………」
きんつばさんは、口をつぐんでしまった。
しばらくじっと見つめていた……が、彼は黙ったままだった。
……すこし、整理するか。
八つ橋さんは、降伏を促す交渉のため、メローリアに単身赴いた。
そして、当時の騎士団団長スコーンさんと出会った。
そこから先は、わからない。
けれど、結果的には二人は結ばれて、息子が生まれている。
……いったい、なにがあったのか。
交渉に赴いておきながら、どうしてその一番の相手であり、敵だったスコーンさんと結ばれたのか。
そもそも、交渉は本当に行われたのか。
だとしたら、話し合いの内容はどんなものだったのか。
――そのとき、ある人のセリフが蘇る。
『我らがメローリアと、あなた方の餡月郷。
この二つで……共同統治する件についての話し合いです』
「……!」
それを言いだしたのは、スコーンさん。
交渉のテーブルで、八つ橋さんが聞かされていたとしてもおかしくはない。
彼女は、困惑したのか、それともありえないと憤慨したのか。
どちらにせよ、結果的には二人が心を通わせるきっかけになった。
いや、二人が心を通わせたからこそ、その思想が形となったのか。
……わからない。
まだどこか飛躍しすぎているようにも感じるが、可能性としてはなくもない。
そしてその後、八つ橋さんは餡月郷に帰郷したわけだが……その理由は?
再び、シュークリームさんのセリフを思いだす。
――共同統治を発案したスコーンさんが、急病で倒れた、と。
そうだ。
スコーンさんが、亡くなってしまったから。
メローリアで暮らす上での、後ろ盾を失ったからか。
(よいですか、ヴィクトリウス。父上と母は……いつでもあなたのここにいます)
ショートケーキ団長を視たときに聞こえた、八つ橋さんの言葉。
あのセリフは、あの後自分の身になにが起こるか、理解していた人のもののように思える。
実際、最大ともいえるタブーを犯した彼女は、上司――求肥さんの手で、粛清された。
(八重……! なぜだ八重ぇ……!)
……あのとき、求肥さんが抱えていたもの。
あれは、斬首された八つ橋さんの――
……再び、きんつばさんに目をむける。
この人は、それを知っているのか。
久しぶりにあの力を使ってみるべきなのか、逡巡する。
「はぁ……なーんで思いだしちまったのかねぇ。お前が八重と似たようなことを言うからだよ……」
きんつばさんが、こちらに顔をむけて鋭い目をむけてくる。
「お前、本当は何者だ? 粕谷の預かりってのは嘘なんだろ?
いったいどっから来やがった?」
「……嘘ではありません」
そのまま、「日ノ本の東京です」と続けようとして、止めた。
……この人と、会えた。
こんな好機を、利用しない手はない。
「僕は、元甘誠組の軍師です」
「……は? 軍師?」
きんつばさんが、素早く起きあがって眉を寄せた。
「理不尽な規則を改正することと……将来的には、餡月郷とメローリアの争いを止めて、共同統治を実現することが目的です」
彼の目を見て、はっきり言った。
きんつばさんは、呆れているのか驚いているのか、口を半開きにしたまま固まった。
そんな彼に、体ごと正面をむいて、正座をした。
「ぜひ、あなたの力をお貸しください」
「……は、はぁあ!? おま、な……なに言ってんだ? んなこと無理に決まってんだろ!
いや、それ以上に! 俺にどうしろってんだよ!?」
「口利きをお願いします」
「く、口利きぃ?」
「僕が甘誠組に戻れるように、輝一さん――副長殿や局長殿に、口利きをしていただきたいのです」
お願いします、と最後に言って、一礼する。
顔を上げると、きんつばさんは呆気にとられて言葉を失っていた。
しばらくして、
「ば、ばか言え! 言っただろうが。俺は今となっては浮浪者だ。甘誠組とはなんの関わりもねぇ」
「今は関係ありません。あなたは求肥さ――肥田様の代に前線で活躍していた有力者。
そんなあなたの言葉は、だれも、決して無視はできないはずです」
「有力者って……」
きんつばさんは、照れて耳をかきながらぼそっとつぶやき、目を泳がせていた。
お世辞ではない。事実だ。
けれど、効果はあった様子。
「お願いできますか?」
「……いや。いやいやいや! 無理だっての。そう言ってもらえるのは嬉しいぞ。
けどな、さっきも言っただろ。
俺はもう引退した身だし、そもそも平隊員だったんだぞ。名すら知らねぇ奴も多いはずだ。
そんな俺がなに言ったって、煙たがられて終わりだよ」
「…………」
「諦めろ。もしどうしても戻りたいってんなら、誠心誠意、頭を下げてお願いするしかねぇよ」
話は終わり、とでもいわんばかりに、きんつばさんは再び寝転んで、背中をむけてしまった。
……やはり、必要だな。使ってみよう。
きんつばさんをじっと見て、意識を集中。
できるか。
(椿……すまぬ。お前との、約束は……っ果たせそうに、ない……)
(……っ! おやめください、局長! どうか! どうか……っ!)
刃を腹に突きさした、弱々しい八つ橋さんの声。
若いきんつばさんの、懇願する声。
その前には、刀をかまえた――求肥さんの姿。
「……!」
視えた。
あんこが吐いた墨は、幸いにも着物にはかからなかった。
いや、どうでもいい。
……そういうこと、か。
八つ橋さんは、粛清「された」わけじゃない。
自らけじめをつけたのだ。
求肥さんは、その介錯を請けおった。
そして、切り落とした部下の首を抱えて、慟哭するあのシーン。
……つながった。
断片的にしか見えていなかった人の過去に、ようやくつながりが見えた。
……けれど、なぜだろう。
なぜ、規則を破った人が、未だに伝説として語り継がれているのか。
求肥さんの性格上、二度と同じことをする者が出ないようにと、教訓として周知していてもおかしくはないはず。
……求肥さんと八つ橋さんは、ただの上司と部下ではなかったのか?
可能性としては、師弟。あるいは、きんつばさんと同じくライバル。それとも、親族か。
……違う。求肥さんは、身内だからといって甘くするような人じゃない。
けれど、それでも隠した。
求肥さんにとって、八つ橋さんが特別な存在だったのはまちがいない。
改めて、きんつばさんの背中を見る。
「……切腹、されたんですね。八つ橋さんは」
きんつばさんは、すぐに目を大きく見開かせた驚きの顔をむけてきた。
効果はばつぐんだった。
彼は起きあがり、湧いてきた怒りのせいか、歯を噛みしめた。
「お前……っお前! 憶測でも言っていいことと悪いことがあるだろうが!」
「憶測ではありません。今のあなたの反応で、事実だと確定しました」
「……っ、ふざけんな! なんのつもりだよ! 俺を脅そうってのか!?」
「いいえ。僕はただの浮浪者。どこへなりとも行ける身です。
どこでなにをしても……『なにを言っても』かまわない身の上ですから」
「……!」
息をのむきんつばさんから体のむきを変えて、空を見上げる。
あの大雨が、嘘のようだった。
すこし前から小降りになっていて、もうまもなくやみそうだ。
……ちょうどいい。
「お力を貸していただけないのなら、仕方ありません。他の方法を考えます。
では……お邪魔しました」
床に下りて一人遊びをしていたあんこを、肩の上に乗せて立ちあがり、一歩踏みだす。
「ふざけんな、待てこのばか野郎!」
怒鳴られたので、振りかえる。
きんつばさんが、荒い息をしながら僕をにらみつけていた。




