「気づいたら、森の中をさまよっていました」
「気づいたら、森の中をさまよっていました」
ざらめさんは、緊張しているのか、ごくりと唾を飲みこんだ。
「どこにいるのかもわからず……ひたすら、歩きつづけました。
いつの間にか靴は脱げていて……くたくたでした。
それでも、腕の中の輝一のぬくもりのおかげで、生きなければという気になれたのです」
「……っ姉上……!」
輝一さんが目を細め、拳を強く握りしめた。
すでに泣きそうだ。
「……さすがに、もう歩けないと足を止めて、木の下に座りこんで休んでいたときでした。
あるお方が、私たちを見つけてくださったのです」
「……あるお方、とは?」
「きのこ採りにきていたお方でした」
ざらめさんが、目を潤ませながらほほえんだ。
「餡月郷まできてしまったのだと、すぐに気づきました。
動揺しましたが、そのお方が優しく声をかけてこられて……助けてくださったのです。
森の外へ案内してくださり、家に入れた上で手当てと食事まで……命の恩人です」
そう言って、輝一さんのほうへ顔をむけた。
「大丸様のお父上――福富様です」
「……!」
「……では、大福さんも?」
「はい。いろいろと世話を焼いてくださいました」
ざらめさんは、こぼれそうになった涙を指でぬぐっていた。
――わけを聞くのはあとでいい。とにかく手当てを。
そう言って動く、大福さんの姿が目に浮かぶ。
「しばらく、大丸様の家でかくまっていただきました。
そのうち、だんだんと近所の方々とも触れ合うようになっていったのです。
赤ん坊だった輝一の世話を手伝っていただいたり、私が皆様の仕事の手伝いをしたりと」
「……戸籍はどうされたのですか」
「それも、福富様のおかげで。
どうやってかはわかりませんが、領主様に直談判してくださったそうです。
すでに絶えていた、『粕谷』の名を受け継ぐことをお認めいただけました」
……領主に直談判。
それができるほどの身分の人だった。
大福さんが甘誠組の局長に選ばれたのは、それも理由の一つか。
「反対されていた方も多かったのですが、徐々に受け入れていただけた……と、いうわけです」
ざらめさんがそうまとめたところで、目だけで輝一さんを見る。
彼は、落ちついていた。
……いや。なにも考えていないかのような、ぼーっとした虚ろな目をしていた。
あのときの、輝一さんの過去の声がまた蘇る。
(私の故郷は、餡月郷だ!)
あれは、その反対していた人たちから、心ない言葉を浴びせられたときのセリフだったわけか。
「抹茶――松原様がおっしゃっていました。
戸籍の件でここに三度も来たのは、輝一さんが初めてだと」
「……はい。松原様も、最初は難色を示されておられたのです。
あのお方の立場から考えれば、無理もありません」
「すべては……局長と、局長のお父上のおかげだったのだ」
輝一さんが、うつむいたままぽつりと言った。
……なるほど。
一度目は門前払いされたけど、二度目。
大福さん父子の口添えがあったおかげで、戸籍取得が叶ったと。
「……ういろう先生は、あなたの力のことは?」
「ご存じです。前にお話しした、輝一が落馬して大ケガした件は覚えていらっしゃいますか?」
僕は、うなずいた。
……やはり、そういうことか。
『数日間、目を覚まさなくて……本当に、肝が冷えました』
そのときの、ざらめさんの言葉。
輝一さんは、頭部外傷や頸椎損傷、またはその両方を負っていた可能性が高い。
それを、ざらめさんが治した。
……回復魔法の使い手としては、かなり優秀な部類だな。
「力を使っていたのを、先生に見られたのですね」
「はい……ここを追いだされたら、もう行くところがありません。
だから、必死に頼みこみました。せめて輝一が回復するまでではここにいさせてくださいと。
けれどそれは……杞憂でした。
『その力は医者において至高の力だ』と言って、褒めてくださったのです」
……あの先生なら、そうする。
ういろう先生は、ざらめさんをそばに置いて、守っていた。
他のだれにも、その力の存在を知られないように。
彼女が蔑まれ、傷つかないように。
……医者として、その力に価値を見出したのは事実のはず。
でも、先生は使わせようとはしなかった。
『だめだぞ。わかっているな?』
あのときのように、むしろ禁止していた。
医者としては、合理的でも効率的でもない。
それでも、ざらめさんを守ることを選んだ。
……線が、一本につながったような感覚。
すっきりした気分で、輝一さんを見た。
顔をうつむけて、ぷるぷる震えている。
「そう、だったの、ですね……」
「……輝一?」
輝一さんが弱々しい声を発すると、ざらめさんがその顔をのぞきこんだ。
瞬間。
輝一さんは、土下座した。
「申し訳ございませんでした!
今まで姉上に言ってしまった、数々の暴言! どうかお許しください!」
「……もういいのです。私が、もっと早くに話しておくべきだったのです」
「姉上が謝る必要はありません!
……っ私は、こともあろうに姉上とは血がつながっていないのではないかと、思ったこともありました。
この髪の色のせいで」
……髪の色?
「二度も命を助けていただいたにも関わらず……っなんという非礼を。
私のほうが、弟を名乗る資格はないのかもしれません」
「おやめなさい! そんな悲しいこと、言ってはなりません……っ」
ざらめさんが、輝一さんに顔を上げさせて、抱きしめた。
輝一さんは、泣くまいと必死に歯を食いしばっている。
……意味不明だ。
「それは非効率です」
二人が、ほぼ同時に顔を上げる。
「仮に血のつながりがなかったとしても、です。それだけでは、家族をやめる理由にはなりません。
今までお二人が築いてきた、信頼関係があるからです」
言った途端、輝一さんはとうとう涙を流した。
「……だれも、得はしません」
「……っその、とおりだ……っ。申し訳ありません。申し訳、ありません。姉上……っ」
「輝一……っ輝一……!」
二人はまた抱きあって、すすり泣いていた。
あんこが、触手を一本口元に添えて、じっと見ている。
頭をつまんで、二人の姿が見えないように移動させた。
家族。
僕にはもういない。
……問題は、ない。
◇◇◇
落ちついた輝一さんは、その足で中庭に出た。
水を、頭から何度もかぶっている。
強引に頭を冷やそうとしているのか、と思いきや――
「……きれいですね」
「そう思うか。私は……嫌いだった。姉上と同じ、黒でありたかった。
そのほうが、ここでも生きやすかったのに、と」
輝一さんが、自重気味に笑った。
彼の髪は――
染料がとれて、輝く金色に変わっていた。
これが、輝一さんの地毛。
メローリアの出身者らしいといえば、そうだけど。
姉のざらめさんは黒、弟の輝一さんは金。
……受け継いだ遺伝子の仕業だな。
「それも、血がつながっていないんじゃないかと疑った理由ですか」
「そうだ」
輝一さんが、縛らずに垂らした髪を、両手でバサッとかき上げる。
「だが、もう隠しはしない」
太陽が輝く空を、見上げた。
「餡月郷になじむために、本当の姿を隠してきた。
しかし……今は、私の内面を見て、認めてくださった方々が大勢いる。もう必要ない」
そのまま、水を滴らせながら、しばらく空を見上げていた。
床に下りたあんこが、物珍しそうにちらちらと輝一さんの姿を見ている。
とりあえず、頭を軽く押しつぶしておいた。
「……すまなかった」
今度は、こちらを見て言った。
眉を垂らし、肩も若干下がり気味だった。
「……なにがですか」
「私は……先日の双甘大試で負けたのを、お前のせいにしていた」
そう言って項垂れた彼を見て、納得した。
試合後の様子から、察してはいたけれど。
「もっと戦えたはず。なのに、風が止めたせいで……と」
「…………」
「わかっている。
あのとき止めてもらえなければ、二度と戦場に立てなくなっていたかもしれない。
しかし……それを、認めたくなかったのだ」
輝一さんが、悲しげに笑った顔をむけてくる。
「お前の指示ではなく、自分の考えで戦場に立った。
それが通用しなかったと、引け目も感じていたんだ」
「……そこまでわかってらっしゃるのなら、問題はありません」
「……ああ。もう吹っきれた」
輝一さんが、空の桶を手にとって、井戸から水をくんだ。
元いた場所に戻って、その桶の水をまた頭からかぶった。
「ああ、そうだ。私は弱い。人の目ばかりを気にして、人のせいにしてしまう。弱虫だ」
「いいえ」
すぐに否定すると、水を滴らせた輝一さんが、振りむいた。
「あなたは、弱くもあり、強くもある人です」
輝一さんは、しばらくぼんやりと僕を見ていた。
そして――笑った。
今度は、落ちついた柔らかい笑顔。
僕が差しだした手ぬぐいを受けとり、顔をごしごしと拭いていた。
「体は、本当にもういいのか?」
「……はい。問題ありません」
「……では、参るか。他の方々も心配されているからな」
うなずいて、返事。
輝一さんが着替えを終えると、すぐに家を出て、屯所にむかった。
ポニーテールにした金髪が、風になびいてさらりと揺れている。
……悪くないじゃないか。
カステラだしな。
屯所に入ると、すれ違う人はみんな、一様にぎょっとして二度見していた。
輝一さんは、まったく気にせずずんずん先へ進んでいく。
「遅くなりました!」
「遅いぞ、輝い――ちぃぃ!?」
すぐに、どら焼きさんが奇声を上げた。
加えて、座った状態でのけ反るリアクション付き。
羊羹さんもみたらし団子さんも、呆気にとられて絶句している。
しかし、大福さんだけは、目を丸くしてすぐに満足そうに笑っていた。
「懐かしいのう。いい色じゃ」
輝一さんが、一礼して会議室の中に入る。
そして、その場に正座して頭を下げた。
「これが、本来の私の姿です」
「お、おお? そうだったのか?」
どら焼きさんが若干うろたえながら聞きかえしたのに対し、輝一さんがうなずく。
「これからは、自分を偽らないと決めました。
……しかし、隊士たちは戸惑うでしょうし、反発する者もいるはずです」
膝の上に置いた拳を、じっと見つめている。
「……そんなことにはならない」
沈黙の中、ぽつりとつぶやかれたその声の主――羊羹さんに、視線が集まる。
「俺たちはみな、お前がどれだけ努力してきたかを知っている。
見た目だけで判断する者はどこにもいない。
万が一にもいたときは……俺が焼きを入れてやる」
……羊羹さんが言うと、本業の人にしか見えない。
しかし、輝一さんは感激した様子で、羊羹さんを見ていた。
他の人たちも、うんうんと納得してうなずいている。
「まぁ、驚きはしたが……よく見たら、妙に合ってる気がするなぁ」
「たしかに、思ったほど違和感はありませんね」
どら焼きさんはあごをさすりながら、みたらし団子さんは正座したまま無表情で言った。
……正座ができている。
彼女の足のケガも、問題ないようだ。
「吹っきれたようじゃの」
ニコニコしながら、大福さんが言った。
「ご面倒を、おかけいたしました」
「かまわん。気にするな」
輝一さんの肩を、強めに叩いた。
ぐっと歯を噛みしめた輝一さんは、改めて深々と一礼した。
一つ、解決か。
すると、次に大福さんは、目尻を下げて困ったような顔をして、こちらをむいた。
……なんだ?




