不快な空気が漂っている。
不快な空気が漂っている。
湿気が多く、肌にまとわりついてくるようだった。
目の前にそびえたつのは、神殿への階段。
肩の上のあんこは、落ちつかない様子で僕の肩の上を行ったり来たりしていた。
深呼吸を一つ。
階段を上って――母屋の中へと足を踏みいれた。
「ああ。蜜森殿。よくぞお越しくださいました」
すぐに、若抹茶さんに出迎えられる。
そこには――大福さんの姿もあった。
僕と目が合うと、若抹茶さんと歓談していたときの顔のまま、うなずいた。
……目だけが、鋭さを帯びている。
「今、大丸様から話をうかがっておりました。大変だったそうですね」
「……はい」
若抹茶さんがお茶を入れるために立ちあがり、背中をむける。
大福さんと卓の角をはさんだ隣に座り、その背中を見つめて、言った。
「あなたのおかげで」
「……はい?」
若抹茶さんが、手を止めて振りかえる。
瞬間、大福さんの顔から笑顔が消えた。
「それはまた……どういう意味でしょうか?」
「配達人の方から聞きました。あなたに手紙を送っていた主は、暮間俊一」
若抹茶さんから目を離さないまま、一拍置いて、再度口を開いた。
「シュークリームさん――シュリオ・クレマン氏の偽名ですね」
しばらく見つめあっていると、若抹茶さんが目をそらし、お茶を入れる作業を再開した。
……まぁ、よく考えたものだ。
ただ、「お菓子が連想できる名前ではない」時点で浮いていたから、意味はないが。
なにも答えない若抹茶さんに対し、さらに言葉を重ねる。
「暮間という人物が本当にいるかどうか……調べればすぐにわかります」
大福さんに顔をむけると、彼はすぐうなずいた。
「……そうでしょうね」
若抹茶さんが、やっと口を開いた。
元々座っていた大福さんのむかい側に座り、湯気の立つ湯飲みを僕の前に置いた。
ただの緑茶……に、見えるけど。
「おっしゃるとおり……私は、メローリアがアントルメ騎士団のシュリオ・クレマン氏と通じておりました」
ほほえみながらの自白。
大福さんが、器用に片方の眉を上げた。
……なるほど。そうきたか。
「あっさり、お認めになるんですね」
「ええ。狩山さんが捕まったと耳にしたときから、覚悟はしておりました」
「めろ……メローリア側の指示で、蜜森のことを調べさせていたのか?」
「さようです」
「なぜじゃ? なぜ自ら動かず、狩山を使った?」
大福さんが、右手の拳を机に叩きつけた。
「大丸様ならご存じでしょう。私は、ここから離れられません。ひとたび町中に出れば、目立ってしまいます。
どうしたものかと考えていたところ……彼から、メローリアに移住する方法はないか、と相談されたのですよ。
そこで、協力すればあちらに推薦すると伝えたら、一も二もなく了承していただけましてね」
説明したあと、若抹茶さんはすました顔でお茶を飲んだ。
……かりんとうさんは、望んでいた移住が叶うと信じ、即座に飛びついた。
その先に崖があるとは、気づかなかったらしい。
ふう、と息をついた若抹茶さんが、こちらにゆっくりと体をむけた。
「逃げも隠れもいたしません。なんなりとお尋ねください」
「……そうですか」
湯飲みを一度手にとって、片手でくるくる回したのち、飲まずにまた机に置いた。
あんこが、僕の肩に触手をかけて、懸垂をするかのように背中側にぶら下がっている。
……遊んでいるのか、隠れているつもりなのか。
なにかを、気にしているのか。
若抹茶さんに、視線を戻す。
「……なぜですか?」
彼を凝視した。
しばらく、沈黙が下りる。
「……母が、父に追い出された後に入水自殺をしたときから、決意しておりました。
代々続くこの神殿を……滅ぼしてやろうと」
「なんじゃと?」
大福さんが、怒りをにじませた口調で聞きかえす。
けれど、眉を寄せたその顔には、困惑の色が強く出ていた。
「母君が亡くなったのは、事故ではなかったのか?」
「そう見せかけたのですよ。父が、裏で手を回してね」
「……ばかな……」
大福さんが、珍しくうろたえている。
……彼も、その捜査に関わっていたから?
「甘誠組は、その件には?」
「調べはした。ただ、あのときは――」
「双甘大試が行われる前日。そのせいで、深追いはできなかった……
している場合では、なかったのでしょう?」
若抹茶さんに言われ、大福さんが返事の代わりに歯を噛みしめる。
……そんなタイミングだったのは、偶然か?
「なぜ父君は――茶之介殿は、茶織殿を追いだしたのじゃ?」
「……母が紅の郷でメローリアの者と会っていた。そんな話を耳にしたのがきっかけでした」
若抹茶さんは、自分の湯飲みのお茶を――そこに映った自身の顔を、じっと見つめた。
「問いつめると、母は素直に肯定したそうです。
それに腹を立てた父が、罵詈雑言を浴びせて追いだし、死に追いやった……そういうわけです」
「……紅翠域でメローリアのお方と会う程度なら、なんの問題もないのでは?」
「おっしゃるとおりです。ですが……父には、それが許せなかったのです。
神殿の守り人たる者が敵対している側の者と接触する。それは、『穢れ』だとして」
能面のような顔をした若抹茶さんが、湯飲みをぐっとつかんで、お茶を一気に飲みほした。
……触れ合うだけでも、穢れか。
だいぶこじらせた考え方だな。
「『穢れた者のことなど忘れろ』……それが、父の口癖でした。
母のどこが穢れていると思いますか?」
空の湯飲みを、強く握ったまま、僕と大福さんを見た。
これで若抹茶さんが逮捕されれば、次代の糖明神殿の守り人がいなくなり、彼の思惑どおりになる。
……いや。違う。
「若抹茶さんが跡取りの資格を失う」だけであって、「守り人がいなくなる」わけではない。
「……あなたが罪を犯したとしても、神殿は滅びませんよ」
「たしかに。しかし……どうでしょうか。
もしも、メローリアが覇権を握れば? それでもここは、存続していられるでしょうか?」
「……! 聞き捨てならんぞ!
それはすなわち、我らの主たる白妙様の失脚を望んでいるということではないか!」
大福さんが怒りをにじませ、立ちあがる。
それを、若抹茶さんが緩慢な動作で見上げた。
「願いが叶いさえすれば、他のなにかがどうなろうと……知ったことではないわ!」
突然の、怒気を含んだ口調。
あんこはたちまち襟の中に隠れ、大福さんも言葉を失っていた。
――そこへ。
「っ!?」
スパン、と目の前の障子が開き、外から抹茶さん――若抹茶さんの父親が乱入してきた。
……あんこが気にしていたのは、この人か。
抹茶さんは、息子の若抹茶さんの前に移動。荒い息をしていた。
しばらく、二人のにらみ合いが続いて――
抹茶さんが、土下座した。
「すまなんだ! 茶織は、儂が殺したようなものだ!」
「……っ殺した、ようなもの?
違う! あなたが殺したんだ! 己の妻を! 私の母を……っ!」
若抹茶さんが立ちあがり、土下座しつづけている抹茶さんを見下ろして、歯を食いしばった。
「あなたのほうが……っ! 穢れているのは、あなたのほうだ!」
「なぜですか?」
お茶を一口だけ飲んだあと、若抹茶さんの心の叫びにかぶせるようなかたちで、尋ねた。
視線が、僕に集まる。
「……奥方様を追いだしたのは、なぜですか」
「なにを言っているんだ。私が今話し――」
「あなたには聞いていません」
若抹茶さんを黙らせて、顔をすこしだけ上げた抹茶さんに、視線をむける。
彼は、再び顔を伏せて、しばらく沈黙。
体をぷるぷる震わせて、大きく息を吐いたのちに起きあがり、正座した。
「……信じられんでもいい。これは、儂が一生隠しとおして、墓までもっていくつもりだった」
ごくっと、抹茶さんが唾を飲みこむ音が聞こえた。
「茶織は……メローリアの者との子を、身ごもっておった」
「……っ!?」
若抹茶さんと大福さんが、目を見開く。
「たった一度の過ちではない。何度も逢瀬を繰りかえした結果、やっと得た愛の結晶だと。
茶織が自ら……誇らしげに言っておった」
「……っウソです。そんなことは、ありえない!」
若抹茶さんがよろめき、足が机の脚に当たって、湯飲みが倒れた。
隅にあった手ぬぐいをとって、こぼれたお茶を拭きとる。
「……言ったはずだ。信じなくともよい、と」
ゆっくりと、抹茶さんが若抹茶さんを見上げる。
その表情は、諦めたような、失望したようなもので、まったく覇気を感じられなかった。
そして、冷や汗をかいてうろたえる若抹茶さんから視線をはずし、続けて口を開いた。
「茶織は、愛おしそうに腹をなでながら言った。
ここに、あの人との子がいると。あなたも当然、一緒に可愛がってくれるだろう、と。
……地獄に落ちるのを宣告されたかのような気分だった」
……倫理観の欠如。
あるいは、極端な自己中心性のせいか。
なんらかの精神疾患を抱えていた可能性も、なくはない。
「……奥方様は、本当に妊娠されていたのですか?」
「確証はない。しかし、メローリアの者と頻繁に会っていたのは事実だった」
抹茶さんが、膝の上に置いた拳を、震えるほど強く握った。
「事実だろうとそうでなかろうと……っそれが世間に知られたら……それこそ、終わりだ」
「それで、母上を……!? なにも殺さずとも!」
「茶織は、みずからここを出ていったのだ! 儂が叱責すると……取り乱して、ここを飛びだした……っ」
抹茶さんが、若抹茶さんの顔を見上げる。
「この目で、しかと見た。追いついた先で、あれが……足を滑らせて池に落ちたのを」
「……っ嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ!」
抹茶さんにむけて、若抹茶さんが腕を振りあげる。
それを、大福さんがつかんで止めた。
「……っ嘘、だ……」
大福さんの顔を見つめた後、若抹茶さんは、がっくりと膝からその場に崩れおちた。
その後、大福さんがこちらを見てうなずき、外に出て応援を呼びにいった。
呆然としている、抹茶父子を見る。
――事故が起こったのが冬でも、池に落ちただけで即死はしない。
抹茶さんの、「儂が殺したようなもの」という言葉を思いだす。
……見届け、たんだな。
視線をはずし、窓の外、遠くを見つめた。
◇◇◇
若抹茶さんは、連行されていった。
「抹茶――茶之介様」
それを呆然と見ていた抹茶さんに呼びかけると、虚ろな目がむけられた。
「神殿は、どうされるのですか」
「……元々、茶吉になにかあったときは、分家から養子をもらう取り決めになっていた。
こんなことになって……それが正しく履行されるかは怪しいがな」
抹茶さんは、投げやりにそう言って、おぼつかない足取りで母屋へとむかった。
……正式に後継ぎが決まって、業務の引き継ぎが終わった後。彼がどんな行動に出るかが問題だ。
見回り頻度を見直す必要がある。
そこで、やっとあんこが襟の中からはい出てきて、肩の上に戻ってそわそわしていた。
あんこから抹茶さんの背中に視線を移して考えていると――ふと、思いだした。
若抹茶さんの祖父で、抹茶さんの父が歴史書の執筆者の一人。
だったら、裏の歴史についても詳しい可能性は、十分ある。
「……餡月郷とメローリアで国を共同統治しようという話が出ていた件は、ご存じですか」
問いかけると、立ちどまった抹茶さんが勢いよく振りかえった。
その顔にあったのは、驚愕。
そして、困惑。
「いったい、どこでそれを……!?」
……十分、だった。




