リスクが大きすぎる。
リスクが大きすぎる。
ここから飛びおりて逃げるなど、考えられない。
なぜ彼は、そんなことを言ったのか。
「……あれが見えるか?」
クッキーさんが横に立ち、あごで漁師たちをさした。
「ああやって、指示役と労働役に分かれてるんだ。胸くそ悪くて合理的だろ」
「……そうですね」
吐きすてる彼に、うなずきながら返事をする。
……胸くそ悪い?
潮風に当たりながら景色を眺めていると、不意にクッキーさんがこちらをむいた。
「今日は俺が相手してやるよ。
プリモの奴は失敗したみたいだけど……餡月郷よりうちのが優れてるって、よくわからせてやる」
「……僕をもてなすようにと、ショートケーキ団長から命令されているのですか?」
「は? ショートケーキ団長?」
しばらくぽかんとしていたクッキーさんは、理解したのか、目を大きく開いて軽くのけ反った。
「お前っ! ショルテンハイム公をそんな呼び方するんじゃねぇ!」
「……ショルテンハイム公」
「あの方は貴族の中でも格が違うんだよ! ガレオ王にもっとも近いお方なんだぞ!」
……ガレオ王。メローリアの領主。
その人こそが、ガレット・デ・ロワに違いない。
王と呼ばれている――呼ばせている時点で、自尊心高めの人物だとうかがえる。
次に、ショートケーキ団長の姿を思いうかべる。
威厳は人一倍。柔和な大福さんとは真逆のタイプだった。
……だけど。
彼をお菓子で表したら、「スポンジ生地のショートケーキ」だという点がどうしてもひっかかる。
「いいか。お前はもうこっちの住人なんだから、うちのルールに従ってもらうぞ。
二度とそんな呼び方するな」
「……僕は客人では?」
「仮にでも住んでるんだから、住人みたいなもんだろうが!
それに、近いうち正式にそうなるだろ。今のうちに覚えておかねぇと苦労するし、恥かくぞ」
……苦労とか恥はともかく。
餡月郷とどの程度違うのかは知っておきたい。
うなずくと、クッキーさんがため息をついて、頭をかいた。
「戻るぞ。朝飯食ったら部屋にいろ。準備できたら、すぐに始めてやる」
……いったい、なにをしてくれるのか。
自然と口角が上がった。
「期待、しています」
そう言うと、クッキーさんはふん、と鼻を鳴らし、あごを動かした。
踵を返しつつ、もう一度海のほうを見てから、彼のあとに続いていった。
◇◇◇
同じ頃。餡月郷にて。
輝一が、一人屯所に駆けこんでいった。
「局長! 風の居場所がわかったというのは本当ですか!?」
会議室に飛びこんだ輝一は、その場の異様な空気に気づけなかった。
そのまま、うつむいている大丸のもとに駆けよる。
そこには、大丸を筆頭に他の幹部三人がすでにそろっていた。
みな、一様に険しい顔をして、むっつりと口を閉じている。
「局長」
輝一が呼びかけると、大丸はやっと顔を上げ、無言で手にしていた書状を差しだしてきた。
不審に思いながらも、輝一は立ったままそれを受けとり、読んだ。
――そして。
「……!」
絶句した。
それは、アントルメ騎士団からであった。
内容は、蜜森をしばらく預からせてもらうことにした件。
客人として迎いいれたが、本人の気持ち次第では戻らない可能性もおおいにある、と。
最後に、団長ヴィクトリウスのサインと押印があった。
騎士団が送ってきた、正式な書状に違いなかった。
輝一は愕然として、その場に座りこんだ。
「なにが客人じゃ……! ただのかどわかしじゃろ!」
「……蜜森殿が、誘われて自ら行った可能性は?」
「あいつがわしらに相談もなしに、敵地に潜入したとでも言うのか!
そんなことあるわけないじゃろがっ!」
どら焼きもとい土井が吠えて、自身の膝を強く叩いた。
そして、うなだれている輝一を見る。
「わしらにはともかくじゃ! 輝一や局長にくらい、一言あってもおかしくないじゃろが」
「……弥太郎の言うとおりじゃ」
大丸が、すくっと立ちあがった。
その表情には――憤怒が表れていた。
拳を固く握りしめ、怒りに身を震わせている。
輝一以外の三人が、すこしのけ反るほどの覇気を帯びていた。
「おのれヴィクトリウス……! 儂らの仲間に勝手をしおって。許さんぞ!」
「……っおう! そのとおりじゃ!」
呼応されるように土井が立ち、続いてみたらし団子もとい団、羊羹もとい養田も立ちあがった。
互いに顔を見合わせて、うなずく。
「お待ちください!」
会議室を出ようと一歩踏みだした彼らを、一人だけ座ったままの輝一が止めた。
書状を手にしたまま、必死に気持ちを落ちつかせようと大きく息をした。
「今動くのは、得策ではありません」
「なんじゃ輝一。まさか怖気づいたなんて――」
「風の身が!……危うくなるかもしれません」
それを聞いた大丸が、はっとした顔になる。
他の三人も、息をのんだ。
「風は、人質のようなものです。今攻めこめば、手引きをしたのかと疑われるかもしれません。
そうなれば……っ」
――風の身の安全の保証は、なくなってしまう。
輝一は、手を床について土下座をした。
「お願いいたします! どうか、今は矛をおさめてください!」
「今はって……今動かんでいつ動くんじゃ!」
「機を待つのです! 好機は、必ず訪れます。風もそれを逃しはしないはずです」
輝一が顔を上げ、大丸たちを見上げた。
「奴は、ただでは転びません。我々を捨てて、彼らに従うなどありえません。
私は……っそう、信じております」
一旦そこで切り、口を閉じてこみ上げてくる衝動をこらえた。
――そんな保証は、どこにもないのはわかっているけれど。
「……もし、風がここにいたなら……きっと、こう言うでしょう。
最も優先すべきことはなにか、それをまず考えるべきだ……と」
歯を噛みしめ、膝に置いた拳を強く握った。
体を震わせる輝一を見ていた大丸が、彼の前にしゃがみこんだ。
強く握りしめている拳を手にとり、解かせる。
その手には――爪が食いこんで、血がにじんでいた。
「……輝一」
「……っ申し訳、ございません。私が目を離したばかりに……っ!
ちゃんと、家まで送っていたら、こんなことには……っ」
「おんしのせいではない。自分を責めるな」
声を詰まらせながら言う輝一を見て、大丸は落ちついた表情で首を横に振った。
「……すまんかった。つい熱くなってしまってのう。たしかに今は、急いて動きだすべきではない」
そう言って、大丸は振りかえって他の三人を見て、うなずいた。
土井たちも、大丸同様冷静さを取り戻し、しずかに元の席に座った。
「客人として迎いいれたということは、すくなくとも牢にぶちこまれているわけじゃないじゃろうて」
「……あちらの目的は、いったい何なのでしょうか」
団が、輝一を一瞥したあと、大丸を見て聞いた。
「……もしかしたら、急に勢いづいた儂らを警戒しておったのかもしれん。
蜜森は双甘大試の場にもおったからの。
その存在に気づいていたとしても、まったくおかしくはない」
「つまり、我々に探りを入れていた、と?」
養田が、目を細めて言った。
「その可能性が高いじゃろうな」
「……手引きをした者がいる、とは考えられませんか」
「手引き!? なにを言うんじゃ、三葉!」
「この中に、という意味ではありません。
ですが……念のため、周辺を洗っておいたほうがよろしいのでは?」
「……そうじゃなぁ」
大丸は、腕を組んで考えこんだ。
三葉の言うことは一理ある、と思っていた。
蜜森は、今となっては有名人。
そんな者を、だれにも知られず連れ去るには、まず地理を把握していなければ話にならない。
加えて、蜜森の行動についても。
――その情報を、漏らした者がいる。
にわかには信じられなかった。否、信じたくはなかった。
大丸は大きく息を吐き、団を見た。
「……頼めるか? くれぐれも、この件は内密にな」
「承知いたしました」
団は一礼して立ちあがり、会議室をあとにした。
「輝一」
「……はい」
続いて、大丸は未だうつむき加減の輝一を呼んだ。
彼が自分を見た瞬間、にかっと笑顔を浮かべる。
「案ずるな。図太い蜜森のことじゃ。むこうの生活を満喫しとるんじゃないか?
なぁ。大丈夫じゃろうて」
「……そう、ですね」
大丸に肩を叩かれた輝一は、作り笑いを浮かべてうなずいた。
そして、窓の外に目をむける。
(――風。後生だから、無事でいてくれ)
目を閉じ、心の中で祈った。
◇◇◇
「……ダックワーズですね。食感が好きです」
「これも知ってんのかよ!?」
クッキーさんが、苦虫を噛みつぶしたような顔で、テーブルをドン、と叩いた。
ほろっと崩れるような食感。
アーモンドパウダーの香りと味。
上物だ。
これの前には、たっぷりのフルーツとクリームでデコレーションされたパブロヴァ。
さらにその前には、外はカリッと中はしっとりなカヌレが出てきた。
いずれも、名前を聞いただけではすぐ思いうかびづらいお菓子。
……だが、僕はすべて知っていた。
クッキーさんの「知らないお菓子を出して驚かせる作戦」は、今のところ不発の状態だった。
「お前……! 何なんだよ!? ぼーっとしてるくせに!
餡月郷の奴が、なんでそんなにこっちの菓子に詳しいんだよ!?」
「……餡月郷で生まれ育ったわけではないからです」
「は!?……まさか、移住者か? どこから来やがった?」
「日本の東京です」
「ニホン? トウキョウ?……聞いたことねぇな」
クッキーさんが、目を細める。
テーブルに片腕を乗せて、軽く身を乗りだしてきた。
……怪しまれているな。
残ったダックワーズをちぎり、あんこに与えた。
喜んでテーブルの上でくるくる回っていたが、クッキーさんににらまれると、すぐに僕の肩の上に戻ってきた。
「お前のその……トウキョウとかいう国にも、こういう菓子があったのか?」
「はい。洋菓子も和菓子も豊富にありました」
「ヨウガシ? ワガシ?」
「……種類を区別するための名です」
ティーカップを置き、こちらを凝視するクッキーさんを見つめる。
しばらくにらんでいた彼は、舌打ちをして背もたれに寄りかかった。
「くそが……計画が台無しじゃねぇか」
天井を見上げ、嘆いている。
……しかし、妙だ。
「……このお菓子は、すべて市中に出回っているのですか?」
「ああ? 当然だろ。庶民じゃなかなか手が出ねぇものもあるけどな」
「……例えば、ジェラートとか」
「ばかか。あれは完全に貴族の食いもんだよ」
……昨日、プリンさんに奢ってもらったけどな。
彼女の、思いどおりにならなかった怒りはもっともだ。
「……クッキーさん」
「おいコラ。だれがクッキーだって? 俺はクリスだ!」
吠えるクッキーさんを、じっと見る。
……一つ、わかったことがある。
「あなたは……貴族の出じゃないんですね」
――瞬間、しん、と部屋がしずまりかえった。




