人には言えない事情があるのは一目瞭然だった。
人には言えない事情があるのは一目瞭然だった。
ういろう先生は、鋭い目のまま周囲を気にするそぶりを見せてから、またこちらに視線を戻した。
「……妻でも娘でもない女性を助手にするのは、珍しい話ではないかと思いまして」
そう言うと、先生は息を吐いてから、「鋭いな」とつぶやいた。
「ケガしてたあいつを助けた縁でな。
独り身だって言ったら、お礼にっつっていろいろ身の回りの世話をしてくれたんだ。
それが始まりで、味をなじませてきた」
ういろう先生が、わずかに表情を緩める。
味をなじませ……?
ああ。関係を深めてきた、わけか。
……裏には、もっと深い事情がある。
けど今は、聞いたところで教えてくれる可能性は低い。
「では、ざらめさんの結婚については?」
「ああ。俺が仲人になった」
「……仲人」
「旦那の母親が病になって、それを甲斐甲斐しく世話したのがきっかけでな。
旦那側が、ざらめをえらく気に入ったらしくてよ」
「その旦那さんには、正妻がいるとか」
「ああ。けど、ざらめがいいって言ったもんでな」
「…………」
先生が、机に置いた空の湯飲みを見つめて、考える。
同意が、まったくなかったわけではない。
妾――愛人。
自分はその人の一番にはなれない。
それをわかった上で、夫婦になった。
『調子のいいことばかり言って、姉上を縛りつけている……私にはそう思えてならないのだ』
……相手方がどんな人物かを知るまでは、なんとも言いがたい。
ガタン、と音を立てて、ういろう先生が立ちあがった。
「話ができてよかった。もし今の仕事がクビにでもなったら、うちにこい。直々に鍛えあげてやるよ」
「……ありがとうございます」
先生は、机の上に団子代を置いて、軽く手を上げ、店を出ていった。
……つかみどころがない人だ。
ゆっくりお茶を飲んでから、僕も店を出た。
そして、改めて目的だった霞月亭にむかう。
……粕谷さんが言っていたとおり、やけに目立つ店構えをしていた。
周りの店と比べても大きさが違うし、茅葺き屋根が異様に見えた。
近づくと、ほんのりと香ばしいにおい。
店員はいるが、小さく「いらっしゃいまし」と言っただけだった。
飾るように並べてある商品の煎餅をざっと見て、ざらめ付きの数枚セットを購入した。
「若旦那様はご在宅ですか?」
代金を払って、丁寧に梱包された商品を受けとる際、さりげなく尋ねてみた。
「若様ですか? 本日は買い付けに行かれております。
帰りがけに奥様の家に顔を出してくるとおっしゃっていたので……お戻りは夕刻頃になるかと。
ご伝言をお預かりしましょうか?」
「……その奥様というのは、粕谷様の?」
「さようにございます」
……いいタイミングだったらしい。
気前よく教えてくれた店員にお礼を言って、店をあとにした。
さっそく一枚取りだして、ざらめがたっぷりついたところを割って、あんこに与えた。
ゴリゴリとすりつぶすような音を立てて食べている。満足げだ。
……たしかに、変にべたつかないし、ざらめの甘さと醤油の塩味が互いを引きたてている。美味い。
もう一枚取りだして、食べながら帰路についた。
「なにしに来られたのですか」
家に入って廊下を進んでいくと、怒気を含んだ粕谷さんの声が聞こえてきた。
足音を消し、そっと声のする部屋へと近づく。
「なにって、このとおり妻に会いにだよ」
「あなたには立派な正妻がおられるではないですか」
「でも、ざらめもまちがいなく私の妻で――」
「ろくに顔を見せないくせに。大概にしていただきたい」
「おやめなさい、輝一」
……修羅場。
部屋には入らず、ふすまを隔てた外側のすこし離れた位置に立って、耳をそばだてた。
「悪いとは、思っているよ。
だから今日は、ざらめや君が喜ぶと思って、仕入れのついでにいろいろ買ってきたんだよ」
「物で釣るおつもりですか。そのような下品な――」
「やめなさいと言っているのです!」
ひときわ大きなざらめさんの声がして、しずまり返った。
「輝一。これ以上、旦那様をけなすのは私が許しません」
「姉上……! このお方は姉上をもてあそんで――」
「あなたはなんのために、甘誠組の副長になったのですか!……旦那様に、上からものを言うためですか?」
語尾が、悲しげに聞こえた。
しばらく沈黙が続く。
……ふと、粕谷さんが拳を強く握って、歯を食いしばっている姿が思いうかぶ。
「……姉上のためです。それから、私たちを助けてくれた、人々をお守りするため」
消えいりそうな声。
直後、ふすまが開いた。
ぼんやりとした目の粕谷さんが、立っている。
「ですがそれは……姉上にとっては迷惑だったのですね」
遠い目をした粕谷さんは、こちらに目もくれず、ずかずかと廊下を歩いていった。
やがて、玄関扉が開く音。
……やはり、こうなるか。
直後に追いかけてきたざらめさんと、目が合った。
違和感がしたので、立ちどまった彼女をよく観察。
……後頭部でまとめた髪にさしていた簪が、なくなっていた。
「今の……お聞きに?」
「はい」
「申し訳ありません。お恥ずかしいところをお見せしてしまって」
ざらめさんが頭を下げた後ろから、風呂敷に包まれたなにかを抱えた男性が出てきた。
……髷を結っている。
そういう文化がないわけではなかったんだな。
「このお方は?」
「蜜森風様。甘誠組の軍師でございます」
「おお……! このお方が。最近の勢いがある様子を見て、父もたいそうお喜びでしたよ。
お目にかかれて光栄です。私は、ざらめの夫で霞月亭の主人の長男、千田忠兵衛と申します」
にこやかな笑顔を浮かべたその人が、包みをそっと床に下ろして頭を下げた。
こちらも、頭を下げる。
……予想どおり、煎餅さん。
煎餅とざらめ。
相性は78%、補完率は64%。
悪くはないが、好みが分かれる。
二人を、じっと見つめる。
目に力を込めて、そのままキープ。
――すると。
(私は……お前だけを選ぶことはできない。だが、軽く扱うこともできないんだ)
(かまいません。私は……旦那様にお会いできる日が待ち遠しくて、嬉しいのです)
二人の声。そして、抱きしめあっている映像が、頭の中に流れこんできた。
……視えた。
「あら!」
現実のざらめさんが、驚いたような声を上げる。
肩の上であんこが突然墨を吐いたので、それを拭いてくれた。
「……粕谷さんの行き先は、見当がついています」
ざらめさんの手が、ぴたりと止まる。
すこし、潤んだ目をしていた。
◇◇◇
日が暮れてきた頃。
やってきたのは、二番隊道場。
やけにしずまり返っている。
扉を開けると、中は薄暗く、人の気配はない。
……神棚にむかって、正座をしている粕谷さんが一人だけ。
道場の中にむけて一礼してから、足を踏みいれた。
「……どうしてここにいるとわかった?」
「他にありません」
「……甘く見られたものだな」
正座したままの粕谷さんの背後に近づく。
彼は、顔を上げて神棚のある方向を見つめた。
「甘いのは……私自身か」
粕谷さんが、膝の上に置いた手を握りしめる。
「……姉上は、私を育てるためにいろいろ犠牲にされてきたはずだ」
語尾を震わせた粕谷さんは、拳を握ったまま顔を俯けた。
「恩返しがしたい。その一心で、鍛錬を積んできた。今の立場になってからも、欠かさずに。
だが……それは、独りよがりの行動だったのだな」
粕谷さんが、肩を落としてため息をついた。
……盛大にこじらせている。軌道修正が必須。
「粕谷さん」
「……なんだ」
「ざらめは、ただふりかけるだけじゃ煎餅には残りません。火を通すことで定着します」
「……は?」
粕谷さんが、振りかえった。
困惑して、眉を寄せている。
――まもなく、目を鋭く光らせ、歯を食いしばった。
「ふざけるな! だれがいつ菓子の話などした!?」
「してません」
「……っなにをわけのわからないことを――」
そこで、扉がガラッと開いた。
中にむけて一礼した煎餅さんが入ってきて、僕の横に移動して正座。
……僕の役目は、ここまで。
端によけて、成り行きを見守る。
「私の気持ちを、聞いてほしい」
「……っ」
粕谷さんは、唇を噛んで目を泳がせた。
その後、大きく息を吐く。
煎餅さんの目をじっと見て、言葉を待っていた。
「……ざらめと会ったのは、母の命を救ってくれたときだ。
弟と二人きりで暮らしていると聞き、苦労が絶えないだろうと思って……援助を申しでた。
そのために、夫婦になったんだ。
けれど、このときはただ、恩に報いるためと思っていた。愛があったとは……言えない」
瞬間、粕谷さんが顔を歪ませて怒り、片足を立てた。
「だが! 今は違う!」
鋭い口調に、腰の刀に手をかけた粕谷さんの動きが、止まる。
煎餅さんが、慈しむような優しい目で粕谷さんを見上げた。
「愛しているんだ」
「……嘘です。そんなの嘘に決まっている!」
「本当だ」
「では! のり子様には、愛がないとでも!?」
優しい目のまま、煎餅さんが首を横に振る。
のり子。正妻の名。
……のりと煎餅。
相性91%、補完率88%。
文句なし。安定した組みあわせだ。
……煎餅は種類豊富。他にもいろいろありそうだけど。
「のり子は、長年私を支えてくれている、守るべき存在。ざらめは、私の心を救ってくれた存在だ。
どちらかに決めるべきだとはわかっているけれど……」
そこで煎餅さんが、土下座をした。
「申し訳ない! すべては、私の煮えきらない態度のせいだ!」
その姿を見た粕谷さんは、立ちあがって首を横に振り、背をむけた。
気持ちをむける場を、見失っている状態。
そこへ、外にいたざらめさんがやってきた。
一礼し、粕谷さんに近づいていく。
「私は、犠牲になったわけではありません。愛する家族とともに生きていくため、懸命に働いてきただけです」
振りかえった粕谷さんの目を、しっかりと見据えて言った。
そして、煎餅さんのそばにしゃがんで、土下座したままの彼の背中に触れる。
「私は……旦那様の愛を、信じたいの」
優しくほほえむざらめさんを見て、粕谷さんが泣きそうな顔をする。
しばらくして、彼は二人の前に座った。
「私には、わかりません。一度に二人を愛することなど、本当にできるのか」
そこで一旦切り、顔をうつむけてしばらく考えこんでいた。
たっぷり間をおいたのちに上げられた粕谷さんの顔には――曇りはなかった。
「しかし、姉上が幸せだとおっしゃるのなら。もう、なにも申しません」
「……輝一」
ざらめさんが、座ったまま粕谷さんに近づいて、手をとった。
「あなたの想いは、決して独りよがりではありません。その気持ち……本当に、嬉しく思います」
「……申し訳、ありませんでした。姉上……と……義兄上、も」
「輝一……!」
三人は感極まり、円陣を組むような格好になって喜びあった。
ふう、と息をついた、その瞬間。
――道場内に、腹の音が鳴りひびく。
すぐに三人に加えて、あんこまでも、唖然としてこちらを見た。
「……夕餉の時間がすぎています。帰りましょう」
「お前……!」
呆れる粕谷さんに対して、ざらめさんと煎餅さんは笑っていた。
そんな二人を見て……思いだす。
あのとき見えた、二人の姿。聞こえた言葉。
――過去の記憶。
どう考えても、偶然じゃない。
……妙なこともあるもんだな。




