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最終話

 冬志さんだ!


 急いで階段を駆け下りていくと、登与さんがきびきびと玄関を開けたところだった。


 開いた戸の隙間に、明るい光に包まれた男性の胸から下と腕が見える。

 光の当たり具合で黒にも紺にも見える上品な仕立てのシャツと、細身のスラックス。

 なぜだろう、すぐにわかった。


(……冬志さん……!)


 胸の中に明かりが灯ったみたいだった。


 冬志さんが来ることは狩野さんが教えてくれてたし、実は昨夜のうちに東京から電話が入ってもいた。

 最初は母さんからで、冬志さんに軽井沢のことを教えていいかの確認。


「婚約者ですもの、いいわよね?」


 母さんの中では、もうすっかり婚約者ってことになっている……。

 昨日の時点で、細かいことは厳原さんとご相談しなきゃね、とうきうきしながら母さんは言っていた。軽井沢へ来たのはそれもあるんだ。


 二本目が冬志さんだった。

 訪問のアポイントを取りたいと時間を丁寧に打ち合わせた。商用とかじゃないんだから時間くらい適当でもいいのに、そういうところが冬志さんらしいと思う。


 でも、もし何も知らなくても、きっと冬志さんだとわかっただろう。

 顔が見えなくても、すらっと引き締まってしっかりとした身体つきと、真っ直ぐな姿勢は、冬志さんだ。


「登与さん!」


 俺は急いで階段の手すり越しに身体を乗り出して呼んだ。

 なんだかとても弾んで響いた。


「大丈夫です、俺が対応します」

「まあ、坊ちゃま」


 俺が赤ん坊のころから家にいてくれている登与さんは、ほほえましそうに笑って身を引いた。

 かわりにお客さんが足を踏み出し、ドアの間から顔がのぞいた。


 俺を真っ直ぐに見上げる。

 やっぱり冬志さんだ。


「おはようございます」

「……おはよう」


 冬志さんの端正な目鼻立ちがやわらかくなる。

 笑ってる……?

 

 登与さんがにこにこしてるから、妙に気恥ずかしい。

 昨日のこともあるし。ちょっと照れくさかった。だけど素直に嬉しくて、俺は顔がほろほろっとほころぶのをとめられなかった。


「遠くまで、ありがとうございます。あの、お食事は?」

「朝食はすませてきた」

「でも始発だったんですよね? 軽い食事を用意してありますから……」


 登与さんが会釈して、すぐに準備のために下がっていった。

 冬志さんをガーデンテーブルに案内する。椅子に腰を下ろすと、――急に緊張してきた。


 昨日のことを考えたら……きっとなにか話をしにきたんだよね……?


「薫」

「ははははいっ」


 声が甲高く裏返った。

 赤くなっていると、冬志さんは苦笑して、


「……そんなに緊張するな。話を強引に進める気はないから」

「あ……」


 切れ長の瞳が、穏やかな優しい色をたたえて俺を見る。


「……ただ、会えて嬉しい。昨日、別れた瞬間から会いたかった。ずっと」

「え」


 口調は温かかった。

 まっすぐ見つめながら言われると、どんどん顔に熱が集まっていって、顔を上げていられない。俺はどんな顔をすればいいかわからなくて、うつむいてしまった。膝の上でぎゅっと手を握りしめたのを見つめる。

 

 と、冬志さんって、こんなこと言う人だっけ? 

 もっとクールな……氷と言われるような人だったんじゃ……?


「……ほ……本当に冬志さん……ですか……?」


 小さな笑い声がした。


「……感情を伝える努力中だ」

「……か、感情を……」

「ああ。……俺もいくらか考えが変わったかもしれない。……おまえを傷つけたくなかったし、厳原の者として後ろ指を指されてもいけないとも思っていた。……だが、……おまえが受け入れてくれるなら、……俺のプライドはもうどうでもいいんだ」


 冬志さんの声は優しい。

 そっと目を上げると、木漏れ日がちらちらと揺れる下で、静かな――愛情に満ちた瞳が、俺を待っていた。それきり、吸い込まれるようで、俺は目が離せなくなった。俺と冬志さんは見つめ合った。

 セミの声が降ってきて、木陰は涼しく気持ちが良かった。


 

 カチャカチャと食器の音がした。

 我に返り、立ち上がる。


「と、と、登与さん、ありがとう」

「お待たせいたしまして」


 運ばれてきたのは、登与さんお手製のサンドイッチだ。昨日、冬志さんが来るとわかってから、念のために軽食を用意してくれるようにお願いしてあったんだ。


 み、見つめ合ってたの、見られてたら恥ずかしいけど……。

 大丈夫かな……。


「と、登与さんのお料理はおいしいので、どうぞ」

 

 笑顔で勧めたけど、多分まだほっぺたが赤い。

 冬志さんは気を遣ってくれたのか、食事中は子どものころの思い出話を振ってくれた。


「何度かここへ泊まりに来たことがあったな」

「そうですね。懐かしいです」

「家中使ってかくれんぼをした。薫はかくれるのがうまかったな」

「外に行けなかったから。家の中のことはよくわかってるんです」


 ふふ、と笑う。

 軽井沢は涼しくて、寒暖差に弱かった俺がすぐ熱を出してしまうから、母さんは心配していた。

 外に出してくれるのは冬志さんがいるときだけだった。


「久しぶりに散歩したいな。あのへんの小さな森でよく鬼ごっこをした。おぼえてるか」

「はい! もちろん!」

「どうなってるか、行ってみないか」

「はい」


 楽しくなってきて、俺はうなずいた。 


「そうだ。かくれんぼもしませんか」


 提案したら冬志さんはおかしそうな目をして、でもうなずいてくれた。

 食事をすませると、子どものころにふたりで遊んだ小道を散策に出かけた。澄んだ気持ちの良い森の空気を吸って砂利を踏んでいると、冬志さんと会ってからの緊張がとけていくのがわかる。


 いつのまにか俺は、冬志さんといてもリラックスできるようになってる。

 ううん、ただのリラックスじゃなくて――気持ちがすごく楽になる。

 森の空気を深呼吸できるような、そんな胸が広がる感じ。

 子どものころとも違う。

 

 俺は隣をゆっくり歩く冬志さんを見上げた。


 俺は、恋をまだわかってない。

 ――でも、愛なら知ってるのかもしれない。






「三十だ。三十、数えてやるから、そのあいだに隠れろ」

「はぁい!」


 じゃんけんで冬志さんが鬼に決まり、居間の長椅子で腕組みして目を閉じているあいだに、俺は廊下に飛び出した。

 くすくす笑ってしまいながら、足音を忍ばせて階段を駆け上がる。


 かくれる場所は決めてあった。

 三階の廊下の突き当たりに小さなドアがあって、開けると急な階段が上へのびている。のぼりきると屋根裏部屋だ。

 小さなころ、俺たちはこの屋根裏部屋を「秘密基地」と呼んでいた。

 

 冬志さん、憶えてるかな。

 憶えてたらきっと見つけてくれるはずだ。


 後ろ手に戸を閉め、急な階段を静かに上った。

 天井がななめになった屋根裏は、長い午後の光で満たされていた。

 大きな天窓は閉め切りで、空気を入れ換えてないからか、さすがに少し暑い。

 光を横切るように、ほこりがきらきらと光りながらゆっくりと舞っていた。


 使わない家具が壁に沿っていくつか並べられ、ほこりよけの白い布がかけられている。

 そのなかのひとつを外すと、アンティークな革張りのソファーがひっそりとうずくまっていた。布を背もたれにかけると腰を下ろした。腰の下できしむスプリングは、だいぶ甘くなっている。

 俺は耳をすませてみた。


 階下からはまだ何も聞こえない。

 なんだか、やけに笑ってしまいそうになる。俺は両手で口元を押さえて飲み込んだ。

 危ない危ない。

 さっき褒めてもらったんだから、ちょっとは探し回ってもらわないとだよね。

 

 ふ、と息をついて、背もたれにもたれかかる。


 改めて屋根裏を見回してみる。ほこりっぽい日向のにおい、古い足踏みのミシン、姿見、机、ベッド……。

 そう言えば、このソファで並んで絵本を読んだなあ……。あのベッドはごっこ遊びの中では船だったし、机は下に潜り込むだけで不思議に楽しかった。


 記憶の深いところから、ちぎれちぎれに映像が浮かんでくる。


(……冬志さん……)


 こんなに深く、俺の中にいる人。


 ――ここしばらく張り詰めていたものが、まるで氷が溶けるように溶けていくのを感じた。

 シナリオも終わって、もうそのことは心配しなくてもいい。

 そう思えたからだろうか。 


「……あれ?」


 急にびっくりした。

 頬に当てていた指先がひやりとしたから。

 顔を上げたら濡れている。頬をなぞって気が付いた。


 泣いてる。


 俺は泣いていた。

 気付かないうちに涙をこぼして。


「なんで……?」


 途方に暮れながら、すうすう、水みたいにあふれてくる涙をとめることができない。 


 階段の下でドアが開く音がしても、俺は身動きしなかった。


「……薫? いるのか」


 冬志さんの声だ。

 戸が開いたせいか、空気の流れが変る。軽い足音が段を上ってくる。

 急いで涙を袖でぬぐったとき、手すりの向こうに冬志さんの顔がのぞいた。


「……薫」


 驚いたように駆け上がってくる。


「……どうした?」


 冬志さんは眉をひそめ、床に膝を突いて俺と目を合わせた。


「……泣いてたのか」

「……そういうわけでは……」


 俺はあわてて顔を伏せたけど、冬志さんの手がほっぺたに触って、まっすぐ顔を向けさせられた。


「……どうした」


 慌てて首を振って払ったけど、ほっぺたの上には冬志さんのてのひらの感触が残っていた。

 冬志さんは床にあぐらをかいた。


「……言うまで動かない」


 ……どうなるにしても、ちゃんと向かい合おう。

 冬志さんとも。自分とも。

 言葉にする努力をしよう。冬志さんが言葉をくれるように。

 冬志さんは受け止めてくれる。

 いや、それだけじゃない。俺が話したい。冬志さんなら何て言ってくれるか、聞きたい。


「……冬志さん」

「なんだ」

「……俺は冬志さんを好きです」


 頭が熱い。どうしてだろう。涙がにじんでくる。


「でも……俺は、やっと、冬志さんを好きだと思ってもいいんだって、気がついたばっかりで……」


 俺はどもりながら言った。


「……でも、周りの流れが速すぎて……気持ちがついて行けないんです」

「……薫……」

「ごめんなさい、昨日結婚の話が出て、母さんたちも認めてくれていたけど……今、結婚をしたいって言われたら……俺は断るしかないかもしれません。だけど……」

「……だけど……?」

「だけど……断って、冬志さんと離れてしまうのは……嫌なんです……。この数ヶ月で色々な人に会って……色々なことがあって……そんな中で俺が、触れられてどきどきした人は、……冬志さんだけなんです。……それは、冬志さんがただ幼なじみだからってだけじゃなくて……冬志さんの手が俺にさわったら、そこから溶けてしまいそうな気がします」


 言葉をかき集める。

 自分がとても支離滅裂な、我儘なことを言っている気がする。


 受け入れられないなら、離れるしかないんだろう。きっとそういうものだ。

 

 涙がぽろぽろ転がり落ちていく。

 冬志さんの手が俺の手を包むように握りしめた。

 どうしてまだ、こんな風に優しく触れてくれるんだろう。


「……ごめんなさい。冬志さんはあんなに一生懸命に気持ちを話してくれたのに……俺はこんなに自分勝手なことを言って……」

「……薫」


 次の瞬間、俺は痛いくらい冬志さんに抱きしめられていた。


 ……え……?


 耳元で冬志さんのささやきが聞こえる。

 感情を抑えようとしているような。


「……今日は、薫を待つ許可を得るつもりで来た」

「……待つ……?」

「……お前の気持ちがまだ固まっていないのはわかっていた。急かすのも、待つのも、薫の性格上きっと苦しめるだろうと思っていた……」


 冬志さん……。

 そこまで考えてくれてたなんて……。


「だがそれなら……俺が薫のそばで待つことを、許してくれるか……?」

「……いいんですか? 俺……すごくわがまま言ってるのに……」

「感情は自分でもどうにもならない。なのにどうにかしてくれと懇願している俺がよっぽどわがままなんだ。…」


 冬志さんはどこかさばさばと言った。

 もうこのことは何百回も考えた、というみたいに。


 ああ。やっぱりこの部屋は、すごく暑い。

 顔が火照ってくる。冬志さんの身体が熱いんだろうか。


「……冬志さん……」


 俺は顔を上げた。

 多分、変な泣き笑いの表情をしてると思う。

 冬志さんはとてもかっこいいので気が引けるけど。


「……待っていてもらえるんですか……?」

「待つ。いくらでも」


 即答だった。

 俺は笑った。

 

「じゃあ……冬志さんをただ大好きなところから、始めさせて下さい……」


 頬に冬志さんのてのひらが触れた。深くて強い瞳がすぐそこにあって、視線を奪われた。

 心臓が甘く痛い。

 冬志さんはまるで泣きそうな表情をしていた。


 いつか、冬志さんは言ってた。好きになったらわかるって。ただわかるんだって。

 本当だった。


 冬志さんと俺は、顔を見合わせて泣き笑いして、そうしてまた抱き合って、――……



 

「かおちゃ~ん!」




 階下から届いた声に、俺たちは動きを止めた。


 瑞樹兄さんの声……?


「えっ?」

「……無視しろ」


 一気に冬志さんの声がトーンダウンする。


「そ、そうもいきません……」


 わたわたと立ち上がって階段の上から様子をうかがうと、冬志さんは屋根裏への入り口を閉めないで来たらしい。空いた小さな戸の向こうからは、階下を歩き回る賑やかな足音が響いてくる。


「登与さん、こんにちは。かおちゃんは軽井沢だって、おばさんから聞いてね。かおちゃんは?」

「上にいらっしゃいますが、お客様でございますので……」

「ああ、そう。厳原くんだろう? ご挨拶させてもらおうかな」


 足音が三階への階段を上ってくる。

 ……どうしよう。


 会いたくないとまでは言わない。こうなってみると、俺は瑞樹兄さん――というか花婿候補の皆のことを、けっこう好きだと思う。あくまで友達としては、ってことだけど。

 シナリオが終わったら、普通に戻ってるんじゃないかと思いたい。

 でも、何だろう、この不安は……。


(……戸を閉めたら見つからないかも……!?)


 咄嗟に俺は足音を忍ばせて階段を駆け下り、ドアノブに手を伸ばしたけど――……、


「あ」

「あっ」


 声が重なった。

 階段を上ってきた瑞樹兄さんと目が合ってしまったんだ。

 瑞樹兄さんはパッと笑顔になった。


「かおちゃん! 昨日のパーティで疲れたんだって? お見舞いに味生堂パーラーのフルーツゼリーを買ってきたから一緒に食べよう!」

「あの……」


 言葉を探して小首をかしげたところに、


「春花! 昨日は大変だったな! ケーキ作ってきた!」

「薫さ~ん! こないだ話したクルージングの相談しようよ~!」

「よお、ツーリング行かねえか?」


 瑞樹兄さんのうしろからひょこひょこと顔が出てきた。あっという間に、四人。


 瑞樹兄さん。

 四方田くん。

 宮くん。

 桐谷さん……。


 ……この人たち、けっこう仲良いのでは……?


「まあ、状況的に共同戦線を張ることにしたんだ」


 瑞樹兄さんがにやりと言った。追い打ちをかけるように登与さんものぞいて、


「坊ちゃま、学校の先生からお電話でございます。担任の占戸先生が、体調はどうかと……」


 ――勘弁してほしい……。

 俺は思わず顔を覆った。


 不吉な予感は当たった。

 どうして? シナリオは終わったんじゃなかったの?


 うしろから冬志さんが降りてきて、俺をかばうように前へ出てくれる。


「薫は体調が悪い。そのへんを観光して帰れ」

 

 ……さっき、狩野さんはなんて言ってた?


《はなこい》に新しいシナリオが追加されて、新キャラも登場していた――だっけ?


 待って待って。

 俺、新しいシナリオの記憶はないのに……。

 

 黒雲のように不安が沸き起こってきた。

 わあわあ言う皆を押し戻していく冬志さんの背中を見ながら、でも不思議に、俺は楽天的な気持ちも感じていた。


 きっとなんとかなる。

 俺も少しは強くなったし。狩野さん――は多少頼りないけど、でもきっと助けてくれる。

 何より、冬志さんと二人なんだから。


(……うん、大丈夫)


 廊下に出ながら、ふと、窓の外に目が行った。

 さっき離してやった蝶だろうか。

 白い羽が、ふわっと羽ばたいていったのが見えた気がした。




おつきあいいただいて、まことにありがとうございました。


「なろう」は初めてで勝手がわからなかったのですが、

とにかく更新だけはちゃんとするのを目標に、なんとか続けてきました。

いろいろと至らない点もあったと思います。

でも、楽しい経験でした。


ここまで読んで下さってありがとうございました!

ブクマして下さっている方がおられたので、それを支えに頑張れたような気がします。


また新しい小説でお目にかかれたら嬉しいです。


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