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7-12 大好物

「冬志さん……!」


 バルコニーに近づくにつれて、身体を包んだ光はうすれ、俺の身体も自由に動くようになった。

 俺はよろけながらバルコニーにぴょんと降り立ち、小走りで駆け出した。

 厳原のおじさんやおばさん、お兄さんたちが、横たわった冬志さんを取り囲んでいる。


 冬志さんの顔は青ざめて、いっそ作り物のように精巧に見えた。


「冬志さんは……!?」

「呼吸は戻ったんだが、意識がまだだ……名前を呼んでやってくれ」


 狩野さんが本当に冬志さんを死なせるはずがない。

 俺は押し込まれるように冬志さんの横に寄り添った。落ち着かなくて手を握る。


「……冬志さん」


 大丈夫だと思う。狩野さんを信じてる。

 でも、こんな冬志さんを見ると怖い。


 どうしよう。狩野さんが行ってしまったのに、もし冬志さんが目を覚まさなかったら……?


(狩野さん、良い人だけど、うっかり屋さんだし……)


 不安で頭の芯が冷たくなってきた。

 俺はぎゅっと冬志さんの指を握りしめた。


「……冬志さん、……冬志さん!」


 声が震える。


「しっかりしろ冬志! 薫くんとの結婚を認めるから!」

「そうですわ、冬志さん! 春花家もあなたと薫の結婚を認めます!」


 左右で母さんとおじさんが何か言ってるけど、頭に入ってこない。

 俺は声を励ました。


「冬志さん! 目を覚ましてください……冬志さんに何かあったら、俺……!」


 そのときだ。

 冬志さんのまつげが震えた。

 ゆっくりとまぶたが持ち上がる。


 その下から真っ黒な瞳がのぞいた。きょろ、と動いて俺のうえにとまる。


「……薫……?」

「……はい!」


 冬志さん……よかった……!


 ほっとして目頭が熱くなった。

 目が潤んだのを隠そうとして顔をそらそうとすると、ちかりと冬志さんの瞳が光を取り戻した。

 

 腕を動かそうとするのが視界に入り、慌てて手を差し伸べて助け起こした、次の瞬間。

 俺は冬志さんの腕の中にいた。


「薫……!」


 頭の上で深いため息のようにささやかれる。

 

 ちょっと待ってちょっと待って。

 人がたくさんいるのに――俺の両親や、冬志さんのご両親までいるのに、急に……!


「あ、あの、冬志さ……」


 真夏の日だまりに出たみたいに全身が火照って、俺は慌てて冬志さんを押し返そうとしたけど、でも冬志さん、さっき死んでたよね……強く押すのも心配だ……。

 

「と、とりあえず一度、病院に行った方が……」

「そうだな、そうしよう。車もそろそろ来ているだろうし……冬志、気持ちはわかるが」

 

 とにかく冬志さんをなだめようと、背中や肩をぽんぽんしながら言うと、おじさんが笑いながら言ってくれた。

 スッと母さんが立ち上がり、バルコニーの手すりに近寄っていく。

 不安がっているだろうお客様に呼びかけた。


「みなさま! お騒がせいたしましたこと、お詫び申し上げます。厳原冬志さんはご無事です。予定より早いのですが、本日のパーティはここまでとさせてくださいませ……そして……!」


 振り返った母さんの邪気のない笑みに、俺は何故かぎくりとした。

 母さんの合図で俺と冬志さんは立ち上がり、隣にならぶ。母さんは両腕を広げるように、


「神の啓示により、春花は、ふたりの結婚を認めようと思っております!」


 俺は、これ以上ないというくらいに目を見開いた。

 母さんは持ち前の、芽生えの時期のような温かい笑みを浮かべて俺たちに微笑みかけている。冬志さんはまたたきしたあとさっと俺を見た。俺も冬志さんを見つめ返した。


 ………………結………………婚……………………?


 

 話が……話がスピーディーすぎるのでは……!!

 俺、冬志さんのことは好きだけど、まだそんな結婚なんて……!!


 呆然と母さんを見つめている俺の隣にぬっとあらわれたおじさんも、大らかな笑顔で、


「もちろん、厳原も異議はありませんぞ!」

  

 わああっと拍手が起きた。見下ろすと、瑞樹兄さんたちが悔しそうに何か叫んでいるけれど、歓声や拍手に邪魔されてよく聞こえない。雅子さんたちも笑顔で手を振っている。口の動きからして、「お幸せに」と叫んでいるように見える。


「いやー、神をも退けるとなると、認めないわけにはいきませんなあ」

「春花さんは神に嘉された特別な家系だから、不思議なことも起きますなあ」

「さすがですよ! 」


 湧き上がる祝福の声と拍手を前に、俺はたじたじとなった。

 冬志さんを見上げると、こちらも困った顔をしている。


 ……どうしよう。

 まだ高校生だし、それは冬志さんも戸惑うよね。


 冬志さんが身をかがめて、俺の耳元にささやいた。


「あとで話そう。今は混乱をおさめるのが先だ」


 うなずくと、冬志さんは俺の手を取り、


「体調が優れないので、病院へ移動します。行こう、薫」

「はい」


 おじさんや母さんに頭を下げて、俺たちは拍手のなか退場ということになった。 

 恥ずかしい。

 拍手に包まれて会釈して車に向かいながら、俺の中には、だんだんしずかな実感が生まれていた。


(シナリオ……クリアできた……?)


 狩野さんに出会って記憶が戻ってからこっち、俺はひたすらシナリオと戦い続けてきたわけだけど……

 闘いの日々がついに、終わったんじゃないだろうか。

 ついに、花婿候補の誰とも結婚させられずにすみ、冬志さんのことも守れたのでは……!


 安堵のあまり、肩から力が抜けていく。


(……終わった……!)


 結婚の話をどうするかはまだ問題だけど、でも……終わったんだ……!

 どうしよう、今すぐ歓喜を叫びたい……!


 会場をあとにしながら、俺は精一杯、口の内側をかんで、踊り出したい自分をおさめていた。

 





 


 カーテンを開けると、真っ青な青空が待っていた。


 軽井沢の別荘は何年ぶりだろう。

 冬志さんの検査結果を確認すると(異常なしだった)、俺はそのまま荷物をまとめて東亰を出て、この別荘へ来たんだ。

 いつもお願いしている管理人さんに電話を入れてから来たので、着いたのは遅かったけど、別荘は綺麗に片付いていた。

 すぐにベッドに潜り込んで嘘みたいにぐっすり眠った。

 頭もすっきりしてるし、気分も最高にいい。


「……俺、もう自由なんだ……」


 別荘を取り囲んだ美しい白樺の林を見渡しながら、あらためてそう言い聞かせる。

 嬉しい。

 心が嘘みたいに軽い。

 これを実感したくて、軽井沢に来たんだ。シナリオには、軽井沢の別荘の話なんて含まれてなかったみたいだったから、クリアしたことをあらためて感じられるような気がして。


 ふと気がついた。

 モンシロチョウが一匹、青いカーテンの裏にとまっている。


(出られなくなったのかな……?)


 俺は窓を開け、蝶をそっとてのひらにくるみこんで、外に差し出した。指を開くと、白い小さな羽がふるえ、ゆるやかに飛び立っていく。


「元気でね」


 蝶が消えていった晴れた空には、もうセミの鳴き声が響き渡り、今日も賑やかになりそうだった。


 そう言えば、以前に狩野さんが「バタフライ効果」について話してくれた。

 ちょっとしたことが、たくさんのことを変えていく、って。


 俺が男として生まれたのは、不幸だと思ってたけど……。

 でも、今の俺だったから、冬志さんと友だちになれた。

 そして何もかも変わった。

 ……だったら、これでよかったのかもしれない……。


「……狩野さんに二度と会えないのは、淋しいけど……」


 ため息をついたときだ。





「誰に会えんって?」


 子どもの声がした。

 振り返ってみると、子どもの姿の狩野さんが、咲き乱れる花々にすねまで埋めて、偉そうに胸を反らして立っていた。部屋にいたはずなのに、俺も花の中にいる。

 あたりはいつのまにか、森の花園になっていた。空気はかぐわしい香りに満ちて、蝶や蜂が飛び交っている。


 ここ、最初に会った森の中では……?

 いや、それよりも……!


「狩野さん……! もう会えないかと思いました……!」


 思わず声が弾んでしまう。

 俺は狩野さんに駆け寄った。狩野さんも楽しそうな笑顔で腕組みし、


「そんなにワシに会いたかったか。うむうむ、素直でよろしい」

「だって、全部終わったら記憶を消すっていう話でしたし……このまま記憶が消えたら淋しいじゃないですか」

「そうじゃった、その話もしようと思っておったんじゃった」

「……やっぱり記憶はなくなるんですか?」


 ゲームの記憶はまあ……しかたないけど……、狩野さんのことは忘れたくないな……。


 狩野さんは笑った。


「まず順番に話をしよう。こないだから話そうとしていたこと、まだ話せとらんからな」

「あ、あの、そのまえにお礼を言わせて下さい……!」


 俺はおずおずと(死神の手を握っていいかわからなかったけど)、狩野さんの手を握った。意外だけど、狩野さんの手は、生きてる人みたいに温かった。


「昨日、パーティ会場で……助けて下さったんですよね?」

「おお! まあどうなるかと思ったが、何とかうまく落ち着いたようでよかったわい!」

「落ち着いたかはまだわかりませんけど……あっ、もしかしてあれが本当の姿なんですか……?」

「ワシの本当の姿? ああ、違う違う。せっかくじゃし、見てみるか?」


 ドロン、と煙が上がって、狩野さんのいた場所には、犬――じゃないよな、狐が現れた。

 でも普通の狐じゃない。毛並みは白銀で水のように美しく輝き、ふさふさのしっぽは三股に分かれている。顔や全身に、狐面のような赤や青の模様が入っている。

 俺はおもわず感嘆の声を上げてしまった。


「う、うわあ……撫でてもいいですか!」

「ふっふっふ、特別に許そう。美しいとほめたたえて良いんじゃぞ」

「はい、美しいです!」

「そうじゃろそうじゃろ。まあいつも人間と会うときはな、勝手に怖がられるし、小回りもきかんので人間の姿をとっとるんじゃが」


 背中を撫でられながら、得意げに狩野さんは鼻をふんふんとさせた。

 俺はもう一つ気になっていたことを聞いてみた。


「あの……大丈夫だったんでしょうか?」

「ん?」

「力を使ったら、それに気付かれて問題になるかもしれないっておっしゃってたのに……昨日みたいなことして、大丈夫なんですか?」

「実はな……その話をおぬしにしようとしてたんじゃ」


 狩野さんは前足で頭をかいた。人間が照れるようなものだろうか。


「異動願いが通った。ワシはもう死神課の所属ではない」

「えっ、そうなんですか? じゃあ今の狩野さんは……」

「うむ。死神ではなく、守護神課じゃ。そして最初の担当が……」


 言いながら、ピタッと俺に顔を向けた。黄色の目が鋭く俺を射すくめる。


「お主じゃ」

「え?」

「奇遇じゃよな。じゃから、お主のために何かするぶんには、業務内なんじゃ。心配するな」

「あんな派手なことをしてもですか……!?」

「まあ、ちょと派手すぎたかもしれんが、ええじゃろ。何しろこの異動は、おぬしが隠蔽に協力してくれたおかげじゃからな! ここ数年、死神に向いてない気がして異動願いを出し続けた甲斐があったわい!」


 た、確かにそうかもしれない。自覚はあったんだな。

 頭がついていかなくて、呆然と狩野さんを見つめてしまった。


「嬉しいじゃろ! まだまだワシと会えるんじゃぞ! ま、姿を見せるかどうかはワシの気まぐれ次第じゃがな!」

「はい……!」


 気がついたら、俺は笑顔になっていた。

 ちょっと冷静に考えると、狩野さんのせいでだいぶ混乱が起きてるんだけど――でもけっこう俺、狩野さんのこと好きになったみたいだ。

 すごく嬉しい。死神――じゃなくて守護神か、守護神様のことをこんなふうに言っていいかわからないけど、いつのまにか友達みたいに思うようになっていた。

 手を取り合って喜んだあとで、狩野さんは明るい顔で言った。


「それでのう、薫。記憶の件じゃが」

「あ、はい!」


 いよいよ消されるのかな……!? 狩野さんの記憶だけは残してくれるのかな……!?


「ついでにおぬしの前いた世界をチェックしてきたんじゃが」

「あ、え、はい?」

「お前の前の世界な、《はなこい》が大幅にバージョンアップしておったぞ」

「……え?」


 笑顔が強ばる。

 狩野さんはにこにこと、


「花婿候補の新しい夏休みシナリオが追加&新規花婿実装じゃ! そこでワシも考えたんじゃが、何があるかわからんから、おぬしの記憶は残しておこう、とな! どうじゃ、嬉しいか?」

「え、いや、待って、待っ……追加と実装? どういうことですか……?」

「おっ、そろそろ冬志が来る! ワシはここまでじゃな! ではな、なにか困ったら呼ぶんじゃぞ! 暇なら来てやろう!」


 狩野さんは清々しいまでに俺に遠慮なく、ぱちんと指をはじいた。

 その瞬間、俺は、別荘の俺の部屋に戻っていた。


 ま……待って、狩野さん……。

 いま、なにか恐ろしいことを言いませんでしたか……!?


 


 玄関の方からチャイムの音が鳴り響いた。



 


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