第28話 ミリアムの決断
ペシ、ペシ、ペシ。
ツバキがオレの顔を叩いている。まだごはんの時間にはだいぶ早いと思うのだが。
《アルー、あいつ来てるって、起きてー》
ペシ、ペシ、ペシ。
あいつって誰だろう……オレは飛び起きた。
「エル兄さん……」
両手に猫じゃらしを持った兄がいた。
「おはよう、アル。起こしちゃって悪かったね」
たぶん……猫に構ってほしすぎて早朝から来たんだな。
ただ目がバキバキで、オレから見てもちょっと怖い。当然、ツバキもブラウも遠巻きだ。
「エル兄さん、あのね。猫をガン見しちゃだめだよ。あと高めの声でゆっくり声かけて、ゆっくり動くこと」
オレは見るに見かねてアドバイスをすることにした。
「何で?」
「視線が合うってことは、いつでも飛び掛かれるように構えているってこと」
エル兄さんは慌てて猫たちから目を逸らす。
「低い声は猫にとって、あまりいいサインじゃないから警戒される」
慌てて口に両手をあてる。いや、しゃべるなって意味じゃないんだよ。
「次の動きが予測できないと怖いんだよ。だからゆっくり動いてあげたら警戒が和らぐ」
エル兄さんはピタリと動きを止めた。面白いかも。
「あと距離が縮まったからってすぐに撫でたりはダメ。指一本突き出して匂いをかがせる。これは挨拶だからね」
あ、ツバキをロックオンした。
そんなに見たら、嫌がられるよ。あ、顔を逸らした。
「アル……どうすればいいんだ?」
エル兄さんは情けない声をあげた。
「猫を気にしないで、普段通りに行動すればいい」
動物以外は完璧な兄が頭を抱えていた。
《ブラウ、一緒、行く、ミリアム、会う》
《ミリアムに会えるの?》
ブラウは尻尾をピンと立てて、そわそわし始めた。
《ニャーも行くの?》
ツバキも釣られてそわそわ。だけど残念ながら、
《ツバキ、お留守番》
ツバキのしっぽがだらーんと下がった。
久しぶりのひとりぼっちだもんな。
《なるべく、早く、帰る、ツバキ、いい子、する、ご褒美、ある》
ツバキの目が輝いた。
《おやつ、おやつー。早く帰ってきてね》
下がっていた尻尾もピーンと立っている。
オレは、ブラウをいつものカバンとは違うフタ付きのカゴに入れた。
エル兄さんに連れられて、顔合わせの場所に着いた。
「おはようございます。ジルバーシュタイン様。お待ちしておりました」
既にヘルマンさんがいた。
建物の中に入ると会議用の部屋に通された。
部屋の奥にもうひとつ扉がある。小さな小部屋があった。
小部屋はもうひとつ隣の会議室にも通じていた。
ヘルマンさんが、確認できるまでは、エル兄さんとオレとブラウはそこで待機らしい。
レーヴェさん本人ではない、もしくは複数人で来た場合は、反対側の会議室から脱出して帰ることになるそうだ。
できればひとりで来て欲しいな。ブラウをそのまま連れて帰りたくない。
約束の時間より少し早くレーヴェさんはやってきた。
ヘルマンさんが合図を出す。
良かった。ブラウに会わせてあげられる。
最初にエル兄さんが、会議室に入り、ブラウの入ったカゴを抱えたオレも続く。
レーヴェさんは、疲れた顔をしていたが、目が爛々としていた。
「あの、ブラウを保護していただいたのですよね!!ブラウに会わせて」
《ミリアムー!!!》
飼い主の声に反応して、ブラウが大きな声で鳴いた。激しくカゴがゆれる。
《ブラウ、落ちる、落ち着く、待つ》
オレはそっとカゴを床に降ろし、会議室の扉がきちんと閉まっていることを確認してから、フタを開けた。
「ブラウ!!」
カゴの前に膝をつくレーヴェさん。カゴから飛び出すブラウ。
「ああ……良かった」
レーヴェさんは、ブラウの体に異常がないか確認した。そして、ふわりと漂う石鹸の香りに気づいたらしく、
「あの、ブラウを保護していただいてありがとうございます。本当によくしていただいたようで……なんか肉付きも良くなって」
恐縮しながら、ブラウをしっかり抱えたまま、オレたちに頭を下げた。
とんとん。
エル兄さんが軽く机を叩いて、注目を促す。
「レーヴェさん。ブラウがどのような状態で見つかったかお話します」
エル兄さんは、長い金髪の女性がタクシーからブラウを放り出したこと、タクシーの運転手の証言からその女性がブラウの入った麻袋を持って郊外でタクシーを拾って乗ったことを伝える。
レーヴェさんの顔が驚愕にいろどられる。
「ブラウが捨てられることが再発しないと判断できない限り、ブラウの引き渡しに応じることはできません」
エル兄さんは、最後にそう締めくくった。
オレはハラハラしながらレーヴェさんの反応を伺った。
レーヴェさんは、俯いて腕をふるわせながら小さな声でつぶやいている。
「……ゆるさない」
ん?
「あのクソ女、絶対許さない!!!!」
地を這うような声と共にレーヴェさんは顔を上げた。般若の形相だった。
「長い金髪の女性は、お知合いですか?」
エル兄さんはたんたんと事実確認をする。オレはちょっとびびってます。
「イザベラよ!!私に嫌がらせするだけじゃ飽き足らず。ブラウにまで……」
「そのイザベラさんとはどういうご関係ですか?」
資料で分かっているのに、エル兄さんはたんたんと確認を進めていく。
「……一緒に暮らしています」
レーヴェさんは絞り出すように言った。
「一緒に暮らしている人だと、再発する可能性が高いですよね。原因に心当たりはありますか?」
「……イザベラは私が気に入らないのです。日々嫌がらせを受けています。私が苦しむようにブラウを捨てたのだと思います……」
《ミリアム、泣かないで》
ブラウが慰めるようにレーヴェさんの顔をしきりに舐めている。
「今の状態では再発する可能性が高い。ブラウの引き渡しには応じられませんね」
無情にもエル兄さんが厳しい判断を突き付けた。
レーヴェさんは震えながら俯いた。
「あんまりだわ……」
小さくつぶやく声がする。オレも見ててつらい。
「うわああああああ―――ん!!」
突如、レーヴェさんは泣き出した。
「私が何したっていうのよ!!無理やり外国に移住させられて!!」
レーヴェさんは吐き出すように慟哭した。
「私の身寄りはブラウだけなのに……!!」
「あの女も何が気に入らないのよ!!移住だって私が決めたんじゃないのに!!」
エル兄さんは、動かない。オレはいたたまれない気持ちのまま、1時間近く彼女の叫びを聞いていた。
「……もう嫌だ。あそこに居たくない…」
トーンダウンしてきたレーヴェさんがポツリとつぶやいて黙った。
「あなたに聖教会を出て、ブラウとふたりで暮らしていける当てはありますか?」
エル兄さんがレーヴェさんに問いかける。オレは黙っているって約束だから。でもきついな。
「……ありません」
レーヴェさんは悲壮な顔をして答える。
「では、亡命しますか?」
エル兄さんは何をいってるんだ?レーヴェさんもぽかんとしている。
「ぼうめい……?」
「ええ、あなたの国籍はアウロラ聖教国ですので、聖教会から出るには亡命するのも手だと思いますよ」
亡命の条件って、母国で迫害されて命に危険がある場合だったっけ?
「広義では、同国の人間によって、あなたの飼い猫が危険にさらされました。このままエスカレートする可能性があります。これは命の危険があるともいえる状況ではないでしょうか?」
うーん、そうなの?
「亡命ならば、匿う準備はありますよ」
「えっ?」
「もちろん、母国を捨てるのが嫌ならば仕方ありません」
いやー、いきなり判断できることなの。亡命って?
「聖教国なんて、母国じゃない。違う国にいけるなら行きたい……」
レーヴェさんって、聖教国以外で育ったんだったっけ。オレは資料を思い出す。
「亡命するならば、ブラウとの生活も住居も仕事も保障しましょう」
さすがに、オレでもそれは驚くよ。どういうこと?
「なぜ、そこまで?」
ほら、レーヴェさんだって不審に思ってるじゃないか。
「あなたを受け入れるのは我が国にもメリットがあります。まず、あなたと一緒に来た一団ですが、あなたの商業取引資格を使って我が国の滞在許可を取っています」
基本的に留学、商会の出店でもなければ長期滞在は認められない。商業取引資格がないと商会として成立しないのだが、それはレーヴェさんが担当だってこと?
「私の商業取引資格を使って?」
「ええ、あなたの名前で登録されていますよ。あの集団にはあなたの他に持っている人はいません」
「そんな勝手に……」
「あなたが移住組に入れられた理由はそれでしょうね。そしてそれを隠れ蓑に聖教会を作ることを狙っていると思っています。あなたが亡命してくれれば、その理由もなくなるので1年以内に国外退去になりますね」
そんなカラクリだったんだ。
「まあ、そんなことより。うちのかわいい弟が、ブラウと飼い主を幸せに過ごさせてやりたいって私に頼んだのが理由ですけどね」
オレ、口には出してないけど。でも、オレの願いだね。
「どうします?私はかわいい弟の願いを叶えたいんですよ」
エル兄さんは、にやりと笑った。
悪役っぽいんだけど、オレは恰好いいと思ってしまった。
レーヴェさんは、ブラウを撫でながら、ずっと考え込んでいる。
《アル、あなたの兄がミリアムをいじめているの?》
《違う、兄、ミリアム、助ける、つもり》
《ミリアムは、ずっと我慢してたの。助けて》
《兄、頑張る》
オレとブラウは小声で会話していた。やがて、
「私、亡命します。助けてください」
レーヴェさんは、頭を下げた。
そこからは早かった。
特に聖教会に大切なものはないとのことで、レーヴェさんとブラウは着の身着のままに新住居へ移動。
最低限生活に必要なものは、揃っているそうだ。猫グッズ含めて。
落ち着いたら仕事の斡旋もするそうで、あまりの段取りの良さに目を白黒させていた。
《ブラウ、ミリアム、幸せ、なる、さようなら》
《ありがとう!ツバキにもよろしくね。最後にあのおいしいごはん食べたかったけど……》
オレは、レーヴェさんにハンナ謹製の猫おやつを渡した。
「これブラウが好きだったおやつです。良かったら食べさせてあげてください」
「…ありがとうございます。本当にブラウは良くしてもらってたんですね。いい香りがしたときに、ブラウが取られたような気がしちゃって…あのごめんなさい」
レーヴェさんは、涙の跡が残る顔で笑った。
まさか、ブラウとレーヴェさんにすぐ再会することになるとは、このときのオレはつゆとも思わなかった。
今夜のツバキはオレのベッドで一緒に眠った。
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