第8話 ツバキ、お風呂に入る
コン、コン、コン
「坊ちゃん、起きていらっしゃいますか?」
返事も待たずに、実家から派遣されているメイドのハンナがドアを開けた。
今日はハンナが来る日だった。ハンナに懐柔されたツバキがハンナの足にまとわりつく。
《ハンナ、おやつー、ごはんー。ニャーはいい子にしてたよぉ》
ほんの子猫の頃に、かぎしっぽに甘えていたときの声だ。
体が大人に近づいてからは、かぎしっぽにもそんな声で甘えたことなかったのに。
「まあまあ、ツバキちゃん。ごはんは、まだだったのかしら?」
ハンナが確認するようにオレに視線を投げかけた。
「いや、ちゃんと食べさせたよ」
しっかり、食後のクッキーまで食べてたよな。
《食べる、多い、ダメ》
ツバキはオレから目をそらした。
「坊ちゃん、今日はツバキちゃんをお風呂にいれましょうかね」
ノラ猫に風呂という概念はないから、どうなるもんかな。
オレの返事も待たずに、ハンナはてきぱきとお風呂の準備を始めた。
お湯を張る間に、ハンナは爪切りを取り出した。
「先に爪を切りましょうね」
ツバキは、まだ何も気づいてない。きょとんとした顔でハンナに抱っこされた。
《ツバキ、動く、しない、すぐ、こわい、終わる》
ツバキは、こわかっただろうに我慢した。
「ハンナ、ツバキ頑張ったから、ほめてやって」
《何でこんなことするのにゃ……》
《ツバキ、我慢、えらい、ハンナ、ほめる、する》
《ニャーは、えらい?》
ハンナが、おやつを差し出しながら、頭を撫でるとだんだんと元気になってくるツバキ。
まだ、お風呂が終わってないからな。
結論、お風呂は大丈夫だった。
まず、ツバキは暖かい雨だと認識したらしい。
泡については、目を閉じてじっとしていればいいと伝えたところ、爪切りと同じでいけた。
そして、今オレのドライヤーの魔法でツバキは、生まれ変わった。
洗う前は白っぽいクリーム色のお腹の毛は、なんということでしょう。純白に。
手を入れるとちょっとひっかかりがあった毛は、ふわふわのもこもこに。
ふんわりと石鹼の香りが漂う別猫がそこにいた。
《ツバキ、きれい、良い、におい、する》
落ち着かなかったツバキは、ほめられてご機嫌になった。
今は、ハンナのスペシャルご褒美に目を輝かせている。
《ツバキ、風呂、我慢、ご褒美、ある》
《ニャーはお風呂入る。いい子する!》
ツバキのご機嫌ゴロゴロは、しばらく鳴りやまなかった。
いい時間になったので、オレは魔法管理局に出かけることにする。
今日はお待ちかねのエディタが返却される予定だ。
オレは軽い足取りで出かけていった。
窓口には、今日も暇そうなダーヴィットがいた。
あいつ左遷されてるんじゃないだろうな?
「お、アル。エディタ返ってきてるぞ」
ダーヴィットは、奥の部屋に引っ込むと、書類とエディタを持ってきた。
「まず、エディタの精査結果で危険コードの使用は発見されなかった。ただな、記憶の魔法は、フォルダに移してなかったろ? 消えてたぞ」
「あー、そういやフォルダの在庫切らしてた。まあ、その魔法はもう使うことないからいいや」
死者の記憶を取り込むとか、怖すぎるし。
「はい、この書類にサインして、あと事故防止講習あるから、その案内用紙な」
オレは、素直にサインした。
ダーヴィットは、サインを確認した後、
「これで事務処理は終了。はい、エディタ。それでちょっと個人的な頼みがあるんだけど」
「あー、エディタ返ってきたから帰ろう」
最後の言葉は聞こえなかったフリをして、オレは帰ろうとした。
「合コン設定するから」
「んー、話だけな」
ダーヴィットは、窓口に【外出中】の札を下げて、出てきた。
いや、本当にそれでいいのか公務員!
今日はツバキがお留守番だったので、喫茶店に向かう。
オレが何をおごられてやろうかと考えていたのに、ダーヴィットはアイスコーヒー2杯をさっさと注文しやがった。
「アル、お前猫の記憶があるんだよな? それで頼みがあるんだが」
「まずは、合コンの詳細を聞かせてもらおうか?」
これは、譲らないつもりだ。
「いやー、頼みが俺の彼女の猫のことだからさ。解決したら彼女が設定してくれるはず」
「……いつ、彼女できたんだよ」
「この前の合コンで――、あっ」
ああ、オレが呼ばれなかった合コンですね。わかります。
「帰っていいか?」
帰ってツバキをもふろう。
「いやいやいや、彼女、魔法管理局の秘書課だから美人揃いで有名なね」
こいつ、こっそり自慢しやがった。
ダーヴィットは、オレの視線を見てやばいと思ったらしく、慌てて話だした。
「いや、彼女の猫が行方不明になっちゃってさ。お前なら探せないかなと」
迷子になっていたツバキを見つけた時のかぎしっぽの記憶が蘇った。
「手伝って……やらないこともない」
あー、不安そうだったツバキの顔が浮かぶ。仕方ないな。
「ありがとうな!明日非番だから、彼女の家に一緒にいってくれるか?」
「できるだけ早いほうがいいだろうし、いいだろう」
「じゃあ、さっそく彼女に伝えにいってくるぜ!!」
ダーヴィットは、喫茶店を元気に飛び出していった。
テーブルには伝票が残されたままだった。
その日、オレはツバキに怒られるまでもふりまくった。
石鹸のかおりが、ふわりと香った。
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