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5_冬薔薇の夜会、外の世界への憧れ

 ノルディア王宮の巨大な広間は、幾千もの魔法石のシャンデリアに照らされ、昼間のように眩い光に満ちていました。

 壁や柱は透き通るような氷の彫刻で彩られ、そこかしこに魔法で咲かせたという、青や白の美しい「冬薔薇」が飾られています。


 シルバード王国から訪れた賓客を歓迎するための夜会は、異国の華やかさと冷たい空気が入り混じる、不思議な熱気に包まれていました。


「緊張しているのかい、シャルロット。僕の手を強く握りすぎているよ」


 耳元で落とされた甘い声に、わたしはハッとして隣を見上げました。

 夜会用の漆黒の礼服に身を包んだレインハルト様は、息を呑むほどに美しく、完成された彫像のようです。

 彼の黄金の瞳が、面白がるようにわたしを見つめていました。


「申し訳ありません。こんなに大勢の方に見られるのは、慣れていなくて……」

「無理もない。君は僕の邸の、一番奥の美しい鳥籠で大切に囲われているお姫様だからね」


 彼はわたしの手を優しく解き、自らの腕に絡ませ直すと、安心させるようにその手の甲にそっと口付けをしました。

 周囲から、ほうっ、という感嘆の溜息が漏れ聞こえます。


 今日のために用意された、薄紫の髪に合わせた淡い藤色のドレスを纏うわたしは、自分でも驚くほど華やかに着飾っていました。

 ノルディアの貴族たちは、美しい銀髪や金髪、淡い色の瞳を持つ方が多く、わたしたち夫婦の黒髪や緋色の瞳は、ひどく珍しいようです。


 好奇と感嘆、そして時折混じる熱を帯びた視線が、チクチクと肌を刺すように感じられました。

 特に、ジュリアン殿下をはじめとする男性たちの視線がわたしに向くたび、レインハルト様の纏う空気がチリチリと危険な魔力で焦げるのがわかります。


 夜会が始まってしばらくすると、各国の要人との挨拶のため、レインハルト様はどうしてもわたしのそばを離れなければならない時間ができました。

 わたしは少し離れた壁際のソファに座り、彼が用意してくれた甘い果実水を飲みながら、その様子を眺めていました。

 シルバード王国最強の魔導師であり、類まれなる美貌を持つ公爵である彼は、当然のようにノルディアの貴婦人たちの注目の的となっていました。


「まあ!我が国では見られない美しい黒髪ですこと……!」

「高身長ですし、遠目からでも目立っておられましたわ」


 扇で口元を隠しながら、美しい貴婦人たちが甘い声でレインハルト様に群がっています。


「お褒めに預かり光栄です、マダム。ですが、私の魅力など、愛する妻の足元にも及びませんよ」


 レインハルト様は完璧な貴公子の微笑みを崩さず、当たり障りのない会話で彼女たちをあしらっています。

 彼がわたし以外の女性に微塵も興味がないことは、誰よりもわたしが一番よく知っています。

 それでも、自分以外の女性たちが彼に色目を使っている光景は、どうにも胸の奥がモヤモヤとして、面白いものではありませんでした。


(……なんだか、いつもわたしばかりが嫉妬されているようで不公平ですわ)


 わたしは少しだけ唇を尖らせて、果実水の入ったグラスを指でコツコツと叩きました。

 ほんの少しの独占欲。

 わたしの中の淫魔リリスの血が、自分の伴侶に群がる羽虫たちを威嚇するように、微かに熱を帯びるのを感じます。


 すると、その微細な変化に気づいたのか、レインハルト様が不意に貴婦人たちの輪から顔を上げ、こちらを真っ直ぐに射抜きました。

 黄金の瞳が、獲物を見つけた獣のように鋭く細められます。


「申し訳ありません、淑女の皆様。私の愛しい妻が、寂しがって呼んでいるようですので」


 彼は貴婦人たちが引き留めるのも聞かず、優雅な足取りで真っ直ぐにわたしの元へと歩み寄ってきました。


 

「シャルロット。こんなところで一人で、何をすねているんだい?」

「……すねてなど、おりませんわ。レインハルト様が異国の方々に大人気で、誇らしいと思っていたところです」


 わざと顔を背けて強がってみせると、彼は堪えきれないといったように低く笑いました。

 そして、わたしの隣に腰を下ろすと、周囲の目など一切気にすることなく、わたしの腰を抱き寄せて自分の膝の上に乗せてしまったのです。


「きゃっ……! レ、レインハルト様、皆様が見ていらっしゃいます……っ」

「見せておけばいい。僕の妻がどれほど愛らしく、そして僕がどれほど君に狂っているかをね」


 彼はわたしの首筋に顔を埋め、ドレスの隙間から覗く肌に、ちゅ、と音を立てて熱い口付けを落としました。


「可愛い僕の小鳥。君が僕のために嫉妬してくれるなんて、こんなに嬉しいことはないよ。君を見つめるあの男どもを全員氷漬けにしてやろうかと思ったけれど、やめておこう」

「やめてくださいませ……っ」


 彼から流れ込んでくる濃厚な魔力と甘い匂いに、わたしのすねた気持ちなどあっという間に溶かされてしまいます。

 やはり、わたしはこの方の重すぎる愛の檻から、一生逃れることなどできないのでしょう。


「少し、外の空気を吸おうか。君に見せたいものがあるんだ」


 レインハルト様はわたしを抱き上げたまま立ち上がると、広間の喧騒から逃れるように、バルコニーへと続く硝子の扉を開けました。


 外に出ると、冷ややかな冬の夜風が頬を撫でますが、彼がすぐに温かな結界魔法を張ってくれたおかげで、寒さはまったく感じません。

 バルコニーから見下ろす宮廷の庭園は、月光に照らされて息を呑むような絶景でした。


 見渡す限りの氷の木々。

 そして、その枝先で青白く輝く、無数の冬薔薇たち。

 魔法で生み出されたというその花は、ガラス細工のように透き通っており、風に揺れるたびにチリンチリンと美しい音色を奏でています。


「なんて、綺麗……」


 わたしは身を乗り出し、その幻想的な景色にすっかり心を奪われてしまいました。

 シルバード王国では決して見ることのできない、異国ならではの美しさ。

 書物で読むだけではわからなかった、冷たい空気の匂いや、氷がぶつかり合う繊細な音。

 外の世界には、わたしの知らないこんなにも素晴らしいものが溢れていたのです。


「……もっと、見てみたいわ」


 わたしは庭園の輝きから目を離せないまま、無意識のうちに呟いていました。


「氷の国も、砂漠の国も、風の国も。世界中には、わたしの知らない美しい景色が、まだまだたくさんあるのですよね」


 振り返って彼を見上げると、無邪気に笑うわたしの言葉を聞いたレインハルト様は、なぜか酷く傷ついたような、ハッとした表情を浮かべていました。


「レインハルト様……?」


 彼の黄金の瞳が、揺らいでいます。

 わたしは彼の手が、微かに震えていることに気がつきました。


「ああ、そうか……僕は、君からこの輝くような好奇心を奪っていたんだね」


 彼の胸の奥から、声にならない苦しげな響きが伝わってくるような気がしました。


 わたしを誰の目にも触れさせず、安全で甘い黄金の檻に閉じ込めておくことは、彼の最大の平穏であり、同時に、わたしの翼を折る行為でもあります。

 彼はその事実に、今更ながらに良心の呵責を覚えたのかもしれません。


「……申し訳ありません、わたし、我儘を言いましたわ。わたしは、あなたのお側にいられれば、それだけで十分幸せなのですから」


 わたしは慌てて彼の頬に手を伸ばし、不安を拭い去るように微笑みかけました。

 しかし、彼はわたしの手を強く握り締めると、その指先に縋るように口付けをしました。


「……いや。君は何も間違っていない。君は自由であるべきだし、世界中のあらゆる美しさを知る権利がある」


 彼から紡がれる言葉は震えていて、まるで自分自身に言い聞かせているかのようでした。

 しかし、ゆっくりと顔を上げた彼の瞳には、先ほどの戸惑いは消え失せ、代わりに昏くドロドロとした、逃げ場のない執着の炎が燃え盛っていました。


「だが、駄目だ。……僕は君を手放せない」


 彼はわたしの背中に腕を回し、骨が軋むほどの力で抱きしめました。


「君が外の世界を見たいと望むなら、僕が君のために、世界中の美しいものをすべてその手の中に集めてこよう。だから、君は僕の腕の中から出なくていい」


 彼の囁きは、甘く、恐ろしく、そしてどこまでも狂気じみていました。

 わたしは彼の重すぎる愛の鎖にきつく縛り上げられるのを感じながらも、その温もりに安心して身を委ねてしまう。


 バルコニーの下で咲き誇る冬薔薇は、そんな狂おしい夫婦の姿を、冷たい光で静かに照らし出していました。





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