31_第五子の出産と、忠告
白百合の咲き誇る中庭に穏やかな冬の風が吹き込んだ日から、数日が経ちました。
唐突な破水から始まった五人目の出産は、王都から呼び寄せていたベテランの産婆と侍女たちの手によって、無事に終わりを迎えました。
陣痛の最中、レインハルト様はわたしの手を両手で固く握りしめ、産婆の邪魔にならないよう細心の注意を払いながら、痛みを和らげるための癒やしの魔力を絶え間なく注ぎ続けてくれました。
彼の極上の魔力と、医師たちの的確な処置のおかげで、出産自体は驚くほど短時間で、母子ともに安全な状態のまま新しい命をこの世界に迎えることができたのです。
「んぁ……あう……」
寝室の隣に設けられた真新しいベビーベッドの中で、ふにゃふにゃと小さな声を上げるのは、生まれたばかりの元気な女の子でした。
この子の名前は、レインハルト様によって『イリス』と名付けられました。
長男のリオンは夫と同じ黒髪と黄金の瞳、双子のアルテミスとサリエスは銀灰色の髪と黄金の瞳、三女のリリアンは黒髪に緋色の瞳と、これまでの子供たちは皆、どこかしら夫やヴァルテンベルク家の血を濃く受け継いでいました。
しかし、このイリスだけは違いました。
ふんわりとした柔らかい産毛は、わたしと全く同じ薄紫色をしており、そっと開かれた小さな瞳は、透き通るようなアメジストの輝きを放っていたのです。
わたしと瓜二つの色彩を持って生まれてきたこの末娘を見た瞬間、レインハルト様がどれほど狂おしいほどの歓喜の声を上げ、溺愛の眼差しを向けたかは、言うまでもありません。
「奥様、お加減はいかがですか」
コンコン、と控えめなノックの音とともに寝室に入ってきたのは、我が家の専属主治医であるシュルツ先生でした。
彼は白髪交じりの初老の紳士で、レインハルト様が幼い頃からヴァルテンベルク家に仕えている、数少ない古参の外部医師の一人です。
別館に唯一出入りできる身内以外の異性は彼くらいでしょう。
「シュルツ先生。ええ、レインハルト様の魔法のおかげで、産後の肥立ちも驚くほど順調ですわ。痛みもほとんどありませんし」
わたしが微笑んで答えると、シュルツ先生は手早くわたしの脈を診て、安堵したように息を吐きました。
しかし、その背後にそびえるように立っているレインハルト様を振り返った瞬間、先生の表情はひどく真面目で、厳しいものへと変わりました。
「閣下。私は産科医ではありませんが、新参者の彼女は言及できないでしょうから、私から言わせていただきますぞ」
「む、……なんだ」
「奥様のご体調は現在安定しておりますが、それはあくまで閣下の魔力による補助があってこその仮初めの回復です。本来、五人ものお子を立て続けに出産されるということは、母体に想像を絶する負担を強いるものなのです」
シュルツ先生は、王国最強の魔導師であり、畏怖の対象でもある当代公爵に向かって、一歩も引かずに毅然と言い放ちました。
「……分かっている」
レインハルト様は、腕を組んだまま苦虫を噛み潰したような顔で頷きました。
「リリアンお嬢様がお生まれになってから、今回三年という期間を開けられたのは素晴らしいことです。奥様のお身体も、その間に随分と休まりました。……ですが、上のお子様四人が一、二年の間隔で立て続けにお生まれになった時は、奥様のお身体がいつ悲鳴を上げるかと、私は心配で夜も眠れませんでした」
シュルツ先生の言葉に、わたしはシーツの下で小さく身をよじりました。
確かに、結婚してからの数年間は、常にお腹に子供がいるか、授乳しているかのどちらかだったような気がします。
「ですから閣下。奥様のお身体を真に大切に思われるのであれば、引き続き、しばらく子作りはお控えなさるように。少なくとも、今後二、三年は奥様を妊娠させてはなりません」
「なっ……」
主治医からの真っ向からの忠告に、レインハルト様は絶句しました。
「触れるなとは申しておりません。ただ、厳に慎んでいただきたいのです。奥様のお身体を休ませるためにも、確実な避妊の処置を怠らぬようお願い申し上げます」
シュルツ先生の言葉の意図は、わたしにも痛いほどよく分かりました。
つまり、医学的な見地から釘を刺されたのです。
シュルツ先生は深く一礼すると、それ以上反論を許さない態度で寝室を後にしました。
残されたレインハルト様は、まるで雷に打たれたように立ち尽くし、やがてその大きな肩をガックリと落としました。
***
先生が去った後、静まり返った寝室で、わたしは窓の外の青空をぼんやりと見つめながら、これまでの怒涛の妊娠期間について思考を巡らせていました。
もちろん、彼自身の強烈な愛情と、わたし自身が望んだことは間違いありません。
しかし、理由はそれだけではありません。
わたしは、淫魔の血を引く女です。
本来ならば、わたしの身体からはある条件を満たすと、男性の理性を狂わせ、発情を促す危険な『淫魔の芳香』が立ち上がってしまう。
彼がどれほど強固な結界を屋敷に張ろうとも、その匂い自体を完全に消し去ることは難しいのです。
ですが、たった一つだけ、その芳香を完全に抑え込む時期があります。
それが、『妊娠中』でした。
胎内の子供を守るという母体の本能が働くのか、妊娠期間中のわたしからは、あの男を狂わせる甘い匂いがピタリと止むのです。
レインハルト様は、優秀な魔導師として、当然その事実を熟知していました。
つまり、彼がわたしを妊娠状態に置きたかったのは、「間違い」を起こさないため。
他の有象無象の男たちが、わたしの匂いにあてられてすり寄ってくるという、彼にとって最も許しがたい事態を、生物学的なレベルで完全に防ぐための、最も確実な手段だったのです。
自分の愛で満たし、匂いを封じ、絶対に他の男の視界に入れない。
その歪で、狂気的で、けれどどうしようもなく深い愛情の形に、わたしは呆れるどころか、甘い痺れすら感じていました。
その日の夜。
イリスが乳母の元へ預けられ、寝室に夫婦二人きりの時間が訪れました。
ベッドの縁に腰を下ろしたレインハルト様は、昼間シュルツ先生に叱られた大型犬のように、しょんぼりと肩を落としていました。
「……産褥期を終えたら、君に避妊魔法をかけよう……」
彼はわたしの白い手を両手で包み込み、自分の額に押し当てて、ひどく切なそうにこぼしました。
わたしの身体を己の魔力と命で満たすこと。
それが彼の最大の独占欲の満たし方であり、他の男を遠ざけるための防壁でもあったのですから、それを禁じられるのは身を切るように辛いはずです。
「君の身体に負担をかけてまで、これ以上僕の欲望を優先するわけにはいかない。……ただ、君の奥深くに僕の証を残せない夜が何年も続くのかと思うと、気が狂いそうになるが……」
「レインハルト様……」
出産間もない少し気怠い身体を起こし、わたしは彼の大きな背中に腕を回して、優しく優しく抱きしめました。
彼から漂う上質な香木の香りが、わたしの心を温かく満たしてくれます。
「避妊の魔法をかけても、あなたがわたしを愛してくださることに変わりはありませんよね?」
「当然だ。君を愛さない瞬間など、僕の人生には一秒たりとも存在しない」
「ふふっ。なら、ちっとも悲しいことではありませんわ。それに……」
わたしは彼の耳元に唇を寄せ、あえて少しだけ、淫魔のように甘い香りを乗せた声で囁きました。
「妊娠していなければ、わたしのこの『匂い』が戻ってしまいますけれど……あなたは、わたしが他の男性の目につくような『間違い』が起こるのを、心配していらっしゃるのでしょう?」
ビクッ、と彼の広い背中が跳ねました。
僕の意図を最初から見透かしていたのか、という驚きと、焦りが黄金の瞳に浮かびます。
「……、シャル、君は……」
「大丈夫ですわ、レインハルト様。わたしの心も、この身体も、匂いも、すべてあなただけのものです。避妊の魔法がかかっていれば、余計なことを気にすることなく、毎晩思う存分、あなたに愛していただくことができるのですもの」
わたしが彼の頬にチュッと可愛らしい音を立てて口付けると、彼の瞳に、再び強い熱と、狂おしいほどの独占欲が宿るのが分かりました。
「……君という人は、本当に僕をどう狂わせればいいのか、よく分かっている」
彼はわたしの腰をそっと引き寄せ、壊れ物を扱うように優しく、けれど逃げ場のないほど深く抱きしめ返してくれました。
「シュルツの言う通り、少しの期間は我慢しよう。だがその分、君の身体の隅々まで僕の魔力を染み込ませて、他の羽虫どもが君の匂いに近づくことすらできないほど、僕の色で塗り潰してあげるからね。覚悟しておくことだ」
「ふふっ、お手柔らかにお願いいたしますね」
月明かりが差し込む寝室の中、わたしは彼の広く温かい胸に顔を埋め、苦笑しながらもその重すぎる愛情を心の底から受け入れていました。
子作りが制限されたとしても、この黄金の檻の中で彼がわたしに注ぐ熱情が冷めることなど、絶対にあり得ないのですから。




