3_氷の宮廷
船を下りて馬車に揺られること数時間、ついにわたしたちはノルディアの王都へと到着しました。
窓の外に広がるのは、一年中雪と氷に覆われているという噂通りの、白銀に輝く美しい街並みです。
そして王都の中心にそびえ立つ王城は、まるで巨大な氷の彫刻のように透き通った青白い光を放っていました。
「まあ、なんて美しいお城……」
わたしは馬車の小窓から顔を覗かせ、感嘆の吐息を漏らしました。
陽光を反射してきらきらと輝く尖塔は、おとぎ話の挿絵そのままの美しさです。
ヴァルテンベルク公爵邸の、一年中花が咲き乱れる春のような庭園も大好きですが、この凛とした冬の景色も胸を強く打ちます。
「外の世界は、本当に美しいものがたくさんあるのですね」
わたしが目を輝かせていると、隣に座るレインハルト様が困ったように目を細めました。
「美しいけれど、危険もありすぎる。特に無意識に周囲の男を引き寄せてしまう性質を持つ君にとっては……」
彼はわたしの腰に腕を回し、自分のほうへと強引に引き寄せます。
「それに、この国は少し寒すぎる。君の身体が冷えてしまう前に、僕の熱で温め直さなければ」
そう囁く彼の吐息は甘く重厚で、耳朶をかすめるだけで背筋にぞくぞくとするような甘い痺れが走りました。
分厚い毛皮の外套を着込んでいるにも関わらず、彼の体温と魔力が衣服を通り抜けて、わたしの内側を直接撫で回しているかのようです。
「レインハルト様、もうすぐお城に着いてしまいますわ」
「構わないさ。君が僕の愛で満たされていると、この国の愚か者たちに見せつけてやるのも悪くない」
彼はわたしの唇を軽く啄み、獲物を囲い込む猛禽類のような黄金の瞳で、窓の外の氷の宮廷を睨みつけました。
***
城内へ足を踏み入れると、そこは外の寒さが嘘のように暖かく、魔法石のシャンデリアが眩い光を放っていました。
シルバード王国の王太子代行として訪れた私たちを、ノルディアの貴族たちがずらりと並んで出迎えます。
彼らの視線が、王国最強の魔導師である夫への畏怖と、そしてなぜか、わたしに対する好奇の入り混じった熱を帯びているのを感じました。
魔法が使えない凡庸なわたしなど、美しい異国の貴族たちから見れば、ひどく場違いに見えるに違いありません。
少しだけ身を縮めそうになったわたしを、レインハルト様は力強く抱き寄せ、堂々とした足取りで玉座の間へと進んでいきます。
「ようこそ、シルバード王国の誇る至宝、ヴァルテンベルク公爵と、その美しき奥方様」
玉座の前で私たちを待ち受けていたのは、氷の宮廷に相応しい、プラチナブロンドの髪と深い青色の瞳を持つ青年でした。
彼こそが、現在病床にある国王に代わり政務を執り行っている、王太子ジュリアン・カメリア・ノルディア殿下です。
「お出迎え感謝いたします、ジュリアン殿下。本日は我が国の王太子に代わり、同盟の絆をより深めるために参りました」
レインハルト様は胸に手を当て、完璧な貴公子の微笑みを浮かべて一礼しました。
わたしも夫に倣い、静かにカーテシーを行います。
「顔を上げてください。支援物資の数々、我が国にとってどれほど助けになっているか計り知れません。……それにしても」
ジュリアン殿下は柔和な笑みを浮かべたまま、その青色の瞳をわたしへと向けました。
「噂には聞いておりましたが、夫人はまるで春の女神のように愛らしいお方だ。この凍てつくノルディアに、一足早く花が咲いたようですね」
「もったいないお言葉ですわ、殿下」
わたしは礼儀正しく微笑み返しましたが、彼の視線に、ほんの少しだけ違和感を覚えました。
言葉自体は洗練された貴族の社交辞令です。
しかし、わたしを見るその瞳の奥には、まるで甘い蜜を見つけた昆虫のような、妙に粘りつくような熱がこもっていたのです。
わたしの内にある淫魔の血が、他者の欲情の気配にひっそりと反応し、背筋が粟立ちます。
その瞬間、わたしの腰を抱くレインハルト様の腕に、ギリッ、と痛いほどの力がこもりました。
「お褒めに預かり光栄ですが、殿下。私の妻は大変恥ずかしがり屋でしてね。あまり熱心に見つめられると、隠れてしまいたくなるのですよ」
レインハルト様は極上の笑顔を貼り付けたまま、ジュリアン殿下の視線を遮るようにわたしの前へと立ち塞がりました。
声のトーンはあくまで穏やかでしたが、彼の周囲の空気が、チリチリと焼け焦げるような魔力のプレッシャーで歪んでいるのを、わたしだけが感じ取っていました。
「……ああ、これは失礼しました。あまりの美しさに、つい見とれてしまいまして」
ジュリアン殿下は悪びれる様子もなく肩をすくめましたが、その青色の瞳は、レインハルト様の肩越しになおもわたしを捉えようとしていました。
「夜にはささやかながら歓迎の夜会を用意しております。旅の疲れを癒し、どうか楽しんでいってください」
「ええ、妻と共に、楽しませていただきますよ」
レインハルト様は静かに頷き、わたしを庇うようにしてその場を後にしました。
回廊を歩きながら、彼はわたしの耳元で低く唸るように囁きました。
「……気に食わないな。あの男の目は、他人の宝石箱の中身を値踏みする泥棒の目だ」
「レインハルト様、お相手は他国の王太子殿下ですわ。ただの社交辞令に決まっています」
「……君は自分の魅力を知らなすぎる。あの男が君にこれ以上近づくようなら、この国の王室の血筋を少しばかり間引く必要があるかもしれないな」
それは決して冗談ではなく、明確な殺意を孕んだ響きでした。
わたしは夫の過剰な警戒心を宥めるように、彼の手をきゅっと握り返すことしかできませんでした。




