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29_『ターラント(夫婦の日)』 レインハルトside

 あの不快極まりない「レオノーラ騒動」から数週間が経過した。

 本館地下の白百合の養分となった男たちと、ノルディア行きの船底で虚ろに揺られているであろう女。

 彼らの痕跡は、ヴァルテンベルク公爵邸から完全に消し去られ、我が家にはようやくいつもの――少々過保護で、かなり熱烈な――平穏が戻っていた。


 本日は、待ちに待った『ターラント(夫婦の日)』。

 公爵邸本館の広大なダイニングルームでは、家族全員が揃っての特別な夕食会が開かれていた。


 長大で豪奢なテーブルを囲むのは、僕の愛すべき家族たち。

 六歳になり、すでに僕譲りの鋭利な黄金の瞳を持つ長男リオン。

 四歳になる元気いっぱいの双子、銀灰色の髪を揺らすアルテミスとサリエス。

 そして二歳の、黒髪と緋色の瞳が印象的な、母親の愛くるしさをそのまま受け継いだ末娘のリリアン。


 彼らの賑やかな声が響く中、僕は食後のティータイムを見計らい、少しばかり緊張した面持ちで、一つの豪奢な箱をテーブルの主賓席――僕のすぐ隣に座るシャルロットの前へと差し出した。


「……シャル。これは、ターラントの贈り物だ」


 箱を差し出す僕の手は、王国軍を率いる時よりも遥かに強張っていたかもしれない。

 僕は少し言い淀みながら、言葉を続けた。


「例の……あの失礼なメイドに強く勧められて、流されるままに買ってしまったものだから、君の好みに合うか不安なのだが」


 箱の中身は、あの日、王都の最高級ブランド店でレオノーラに押し切られる形で購入した代物だ。

 大粒のダイヤモンドがこれでもかと隙間なく散りばめられた、どぎついほどに真っピンクなクロコダイル革のハンドバッグ。


 あの時は、シャルロットが「少し気分が落ち込みがち」という言葉に惑わされ、身重の彼女が喜ぶならと購入してしまったが、冷静になって見返すと、王宮の夜会でも浮きそうなほどの成金趣味の極みだった。

 控えめで上品なものを好むシャルロットには、あまりにも毒々しすぎる。

 彼女が箱を開けた瞬間、その趣味の悪さに顔を曇らせてしまうのではないか。


(もし彼女が少しでも気に入らない素振りを見せたら、即座にこのバッグを分子レベルで分解して、代わりに星の欠片で編んだ上品なバッグを錬成しよう)


 僕は右手の指先に、いつでも魔法を発動できるよう、うっすらと魔力を込めて待機していた。


 シャルロットは不思議そうに目を瞬かせながら、恭しくリボンを解き、箱の蓋をそっと開けた。

 シャンデリアの光を受け、箱の中から強烈なピンク色と、ダイヤモンドの暴力的なまでの輝きが放たれる。


「まあ……!」


 シャルロットの目が、驚きに丸く見開かれた。

 僕は思わず息を止め、指先の魔力を高めた。

 分解の呪文を唱えようとした、その瞬間。


「なんて綺麗で、可愛らしいのかしら!」


 僕の予想を完全に裏切り、シャルロットはパッと冬薔薇が花開いたような、この世で一番美しい笑顔を浮かべた。

 彼女は両手で大切そうにそのどぎついバッグを胸に抱き寄せ、緋色の瞳をキラキラと輝かせている。


「え……?」

「レインハルト様が、わたしを想って選んでくださった……それだけで、わたし、胸がいっぱいですわ」


 シャルロットは潤んだ瞳で僕を見つめ、蕩けるような甘い声でそう告げた。

 彼女の純粋な愛情が、僕の胸を強く打ち据える。


「見て、リオン。とってもキラキラしていて素敵でしょう?」


 彼女が無邪気にバッグを掲げて見せると、向かいの席に座っていたリオンが、紅茶のカップを置きながら一つ溜息をついた。


「……ええ。母上が持つと、なぜかその『派手なだけの塊』が、聖遺物か何かに見えてくるから不思議ですね」


 リオンは、僕の壊滅的な「女性へのファッションセンス(というか他人の意見に流された結果)」を冷ややかな目で見ていた。

 しかし、母の放つ圧倒的な「幸せオーラ」が、バッグの下品さを完全に浄化していく様を見て、敗北を認めたように感心して頷いた。


 確かに、リオンの言う通りだった。

 シャルロットがそのバッグを手に取ると、彼女自身の内側から発光するような純粋な美しさがバッグの表面に反射し、毒々しいピンク色は温かな桜色に、ギラギラとしたダイヤモンドは星々の優しい瞬きのように見えてくる。


 まるで、最高級の美術品が、それに相応しい主人の手に渡って初めて真の輝きを放ち始めたかのようだった。


「キラキラ! まぶしい!」

「パパ、すごーい! 宝石いっぱい!」


 アルテミスとサリエスが目を輝かせて、シャルロットの持つバッグに群がった。

 さらに、末娘のリリアンがトコトコと歩み寄り、母の膝に登ってバッグのダイヤモンドを小さな指でつついた。


「これ、リリもほしい!」

「ふふっ、リリアンにはまだ少し重たいわね」


 シャルロットが微笑みながらリリアンの頭を撫でる。

 僕はその愛おしい光景を見つめながら、リリアンの小さな頭を撫でた。


「リリアン、これは母上のものだ。君には、もう少し大きくなったら、君にもっと似合うものを僕が選んであげよう。……ただし、このピンク色にするかは要検討だけどね」


 子供たちの無邪気な声と、シャルロットの心からの笑顔。

 そのあまりの喜びように、僕は数週間前のレオノーラへの凄まじい殺意が、ほんの少しだけ軟化するのを感じていた。


(まあ、結果的にシャルがこれほど喜んだのだから、あのメイドの存在も、このバッグを推薦したという一点においてのみ、塵一粒分くらいの価値はあったかもしれない)


「レインハルト様」


 子供たちの相手を一段落させたシャルロットが、そっと僕の手を握りしめてきた。

 その小さな手からは、彼女の熱い体温と、深い愛情が伝わってくる。


「わたし、あなたがくださるものなら、たとえお庭の石ころでも、あなたが編んでくださった毛糸のマフラーでも、世界で一番の宝物になりますわ」


 彼女は僕を見つめ、甘い香りをふわりと漂わせながら、すべてを委ねるような蕩ける微笑みを向けた。

 彼女にとって、バッグが成金趣味かどうかなんて、デザインが派手すぎるかどうかなんて、一ミリも関係なかったのだ。


「……シャル。君は本当に、僕を甘やかすのが上手いな」


 僕は、胸の奥から湧き上がるあまりの幸福感に耐えきれなくなった。

 子供たちがすぐ目の前にいるというのに、僕は彼女の手を引き寄せ、その細く白い指先に深く、音を立てて口づけを落とした。


「来年のターラントは、僕が君の瞳の色に合わせた魔石を一から合成して、バッグを自作することにするよ。……あの店にあるバッグを、全部買い占めて研究材料にしようか」


「まあ、レインハルト様……! それはやりすぎですわ!」

「父上、またそうやって極端な方向に……」


 シャルロットの愛らしい抗議の声と、リオンの呆れたような深い溜息。

 そして、双子たちの無邪気な笑い声が、広大なダイニングルームに響き渡った。


 僕たち夫婦を引き裂こうと、レオノーラが仕掛けた「醜聞」という名の浅薄な罠。

 それは結局、公爵一家の絆の深さを証明する形となり、僕のシャルロットへの「過剰な愛」という炎に、新しい燃料を大量に投下しただけで終わったのだった。


 この完璧で幸福な黄金の檻を、僕はこれからも僕の命と魔力を懸けて、永遠に守り抜いていく。







第三部 三幕、これにて終幕でございます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。


この幕では、甘く見えていた日常の奥にあった不穏さが、少しずつはっきりと形になっていきました。

守るための愛と、閉じ込める執着。

その境界が曖昧になっていく中で、シャルロットとレインハルトの関係もまた、静かに深い場所へ進んでいるように思います。


ここから先も、ふたりの愛がどんな形を取っていくのか、見届けていただけたら嬉しいです。

次回、第四幕:生贄、そして凄惨なる最期

開幕、そして第三部本編最後の幕になります。

ジュリアン王子とレオノーラがどうなったのか……、最後までお楽しみに。

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