22_このままでは終わらせない レオノーラside
冷たい雨が叩きつける中、あたしはヴァルテンベルク公爵邸の重厚な鉄格子の門から、文字通り放り出された。
「荷物は後日、安宿に送りつけてやる。二度と閣下と奥様の視界に入るな」
無表情な騎士が冷酷に言い放ち、ガチャンと門が閉ざされる。
あたしは泥だらけになったドレスの裾を握り締め、雨に濡れた金髪を掻き乱しながら、閉ざされた門を力の限り睨みつけた。
「……なによ! あんな狂った家族、こっちから願い下げよ!」
罵声を浴びせたところで、空しい雨音に吸い込まれていくだけだ。
あの密室での出来事の後、あたしは弁明する隙も与えられず、執事たちの手によって即座に邸を追い出されたのだ。
ノルディア一の美女と謳われ、男たちを意のままに操ってきたこのあたしが、こんな惨めな扱いを受けるなんて。
三億フランの報酬がフイになったことよりも、女としてのプライドを完膚なきまでにへし折られたことへの屈辱と怒りが、腹の底でマグマのように煮えたぎっていた。
公爵の、妻に対するあの常軌を逸した異常な執着。
そして、それを受け入れ、不貞の疑いすらあっさりと水に流してしまった妻と、あの不気味なほど冷めた目の子供。
彼らにとって、あたしの極上の魅力など、道端の石ころほどの価値もなかったのだ。
「……このままでは終わらせないわ。絶対に、終わらせてたまるもんですか!」
あたしはギリッと奥歯を噛み締め、雨の王都を足早に歩き出した。
***
その日の夜、王都の裏路地にある薄暗い酒場で、あたしはグレンとアジールと密会していた。
ラム酒のグラスを煽りながら顛末を話すと、二人は呆れたように顔を見合わせた。
「つまり、お前の色仕掛けはまったく通用せず、ただ追い出されただけってことか?」
グレンが嘲笑うように言うと、アジールの奴もニヤニヤと笑い声を上げた。
「ジュリアン殿下にはなんて報告するんだ? 三億フランの夢は泡と消えたな」
「うるさいわね!」
あたしはドンッ、とテーブルを強く叩いた。
「たしかに公爵の誘惑には失敗したわ。あの男の奥様への執着は、殿下の想像を遥かに超えて異常よ。正攻法で夫婦の絆を壊すなんて不可能だわ」
「じゃあ、これで撤収だな」
「いいえ、あたしはまだ降りないわよ」
あたしは目をギラつかせ、身を乗り出した。
「公爵の愛を壊せないなら、せめてあのいけ好かない夫婦に、公の場でこれ以上ないほどの恥をかかせてやるのよ。プライドの高い公爵様と、泥にまみれることすら知らない温室育ちの奥様にね」
あたしは懐から、公爵邸のメイドとして潜入していた時に書き写しておいた、一枚のスケジュール表のメモを取り出した。
「五日後、王宮で大規模な舞踏会が開かれるわ。シルバード王国の名だたる貴族が集まる、一年で一番華やかな舞台。……当然、ヴァルテンベルク公爵夫妻も主賓格として出席する」
あたしの言葉に、グレンとアジールは身を乗り出した。
「そこで、業者に変装したあんたたちが、あの二人にたっぷりと赤ワインを浴びせてやるのよ」
「赤ワインだと?」
「ええ。真っ赤なワイン。まるで血のようにね。華やかなドレスも、公爵の威厳も、衆人環視の中で台無しにしてやるの。夫婦仲を裂くことはできなくても、ノルディアの王太子をコケにした報いとして、シルバードの社交界の笑い者にしてやれば、ジュリアン殿下も少しは溜飲が下がるはずよ」
報酬は満額出ないかもしれないが、手付金の一億フランだけでも持って帰らなければ、あたしたちの首が危ない。
「……なるほど。ただの不注意を装った嫌がらせか。それなら俺たちの得意分野だ」
アジールが太い指の関節を鳴らしながら、ニヤリと笑った。
「五日後だな。準備を整えておこう」
あたしたちはグラスを合わせ、冷酷な復讐の計画を誓い合った。
***
そして、五日後の夜。
王宮は、魔法石の光で昼間のように眩く照らされ、幾千もの花々で飾られていた。
庭園の入り口には、各国の要人や名門貴族の馬車が次々と到着し、着飾った男女がエントランスへと吸い込まれていく。
あたしは王宮の庭園の暗がりから、その光景を息を潜めて見守っていた。
少し離れた場所では、酒樽の運搬業者に変装したグレンとアジールが、大きな台車を押しながら機会を窺っている。台車の上には、中身がたっぷりと入った巨大な赤ワインの樽が載せられていた。
「来たわ……」
あたしは無意識に呟き、目を細めた。
どの名家のものよりも絢爛豪華で、一際目を引く漆黒の馬車が、庭園の車寄せに静かに停まった。
ヴァルテンベルク公爵家の馬車だ。
御者が恭しく扉を開けると、まず初めに、夜の闇よりも深い漆黒の礼服に身を包んだ公爵、レインハルトが降り立った。
その圧倒的な美貌と、周囲の空気を支配するような極上の色気に、近くにいた貴婦人たちがほうっ、と感嘆の溜息を漏らす。
しかし、彼の視線は周囲の女たちには一切向けられず、馬車の中へと優しく手を差し伸べた。
「さあ、おいで、シャルロット。足元に気をつけて」
甘く、愛おしげな声。
公爵のエスコートを受けて馬車から降り立ったのは、まるで月の光を織り上げたような、真珠色の美しいマタニティドレスに身を包んだ奥様だった。
五人目の命を宿し、まだ平坦に見えるお腹の膨らみをふわりと覆うドレスは、彼女の純真で儚げな美しさをこの上なく引き立てている。
薄紫の髪には、控えめで上品なダイヤの髪飾りが輝いていた。
「まあ……なんてお美しい……」
「まるで女神のようね……」
周囲から、ため息と称賛の声が波のように広がる。
公爵は妻の腰を大事そうに抱き寄せ、誰の目にも触れさせたくないとばかりに、彼女を庇うように歩き出した。
誰もが羨む、完璧で美しい夫婦の姿。
(ふん、今だけよ。その綺麗な真珠色のドレスを、無惨な赤に染め上げてやるわ)
あたしが物陰から合図を送ると、グレンとアジールが頷き、台車を押して公爵夫妻の進行方向へと割り込んでいった。
「おっと、どいてくれ! 通るぞ!」
アジールがわざとらしく粗野な声を上げながら、夫妻のすぐ脇を通り抜けようとする。
そして、計算通り、二人がすれ違うその瞬間。
「うわっ!」
アジールが足をもつれさせたふりをして、台車を大きく傾けた。
固定を外されていた巨大なワイン樽が、ゴロンと音を立てて台車から転がり落ちる。
タガが外れ、真っ赤なヴィンテージワインが、まるで決壊したダムのように、真珠色のドレスと漆黒の礼服を目掛けて、勢いよくぶちまけられた!




