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黄金の檻 〜冷淡だった最強魔導師が理性を失った理由〜  第三部  作者: 雪白めると
【第二幕:指令、「公爵夫妻を破局させよ」】
20/21

20_苦しい言い訳 レインハルトside

 錆びついた小屋の扉が開かれた瞬間、僕の心臓は文字通り氷のように凍りついた。

 そこには、陽光を背にして立つ愛しい妻、シャルロットの姿があったからだ。

 そして、彼女の緋色の瞳が捉えているのは、はだけた僕のシャツと、無様にすがりついてくる半裸の女。

 誰がどう見ても、弁明の余地のない決定的な「裏切り」の構図だった。

 僕は全身の血が逆流するような感覚に襲われ、咄嗟に目の前の使用人の女を床へと突き飛ばした。


「れ、レインハルトさま……、あ、わたし、あの、……あ、あぁ、ごめんなさい。……ふえぇぇぇん……!!」


 シャルロットの大きな瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。

 彼女は錯乱したように意味不明な謝罪を口走ると、顔を覆って背を向け、走り出していってしまった。

 僕の築き上げた完璧な「黄金の檻」が、音を立てて崩れ去っていく音がした。


「ち、違う!シャルロット、誤解だ!!」


 僕はシャツのボタンを留めることすら忘れ、血相を変えて彼女の後を追おうとした。

 だが、その行く手を塞ぐように、小さな影が立ち塞がった。


「……最低です……父上。見損ないましたよ」


 僕たちの息子、リオンだった。

 その黄金の瞳は、僕を汚物でも見るかのように冷え切っている。

 だが、今は息子の誤解を解いている余裕すらない。


「だから違うと言っているだろう!!……シャル、待ってくれ!」


 僕は息子を避け、なりふり構わず小屋を飛び出した。

 いつの間にか空は鉛色の雲に覆われ、冷たい雨が降り始めていた。

 森の木立を抜け、ぬかるんだ道を必死に走る。


 少し先の木の陰で、シャルロットが力尽きたようにしゃがみ込み、泥だらけの地面に泣き崩れているのを見つけた。

 僕は彼女の前に滑り込むように膝をつき、冷たい雨に打たれ、ぬかるんだ土の上で泣き崩れるシャルロットを、なりふり構わず抱きしめた。


「僕が浮気などするはずがないと、君が一番よく知っているだろう……!」


 悲鳴に近い僕の声が、雨音に混じる。

 公爵としての威厳も、魔導師としての冷静さも、今の僕には微塵も残っていない。

 高級な衣類が泥にまみれようと、そんなことはどうでもよかった。

 ただ、愛する妻が傷つき、自分を疑っているという絶望だけが、僕の魂をジリジリと焼き焦がしていた。

 彼女に拒絶されれば、僕は文字通り生きてはいけないのだ。


「ううっ、ふうぅっ……だって……あぁ、だって……は……裸の女性があなたに縋り付いて……っ!」


 か弱い力で僕の胸を押し返すその仕草に絶望しながら、それでも彼女のドレスの裾に縋りついて顔色を伺う。

 シャルロットの緋色の瞳から溢れる涙は、泥に汚れた頬を伝い、まるでダイヤモンドが砕けたかのような輝きを放っていた。

 その雫一つさえも、僕にはこの世の何よりも愛しく、そして残酷な刃となって僕の胸を抉る。


「なにも、なにもしていないし、するつもりもない、誤解なんだ、シャル、どうか僕を見て」


 彼女を泣かせるものはすべて排除すると誓ったのに、あろうことか僕自身が彼女を泣かせている。

 その事実が、発狂しそうなほどの自己嫌悪を呼び起こした。


「……はあ、はぁ、はぁ……」

「ひっく……ひっく……」


 しかし、状況的にどう説明すればいいのか。

 新入りのメイドが突然全裸になり、僕に抱きついてきた。

 そこへ運悪く君が現れた。


 真実を語れば語るほど、それは浮気を誤魔化す男の、見え透いた三流の言い訳じみて聞こえるのではないか。

 そもそも、あの女の不穏な気配に気づきながら、密室で二人きりになる隙を与えてしまった僕の落ち度だ。

 シャルロットを失うかもしれない恐怖で、思考が完全に空回りし、僕は考えあぐねて苦渋の表情で眉間を指で押さえた。

 その時だった。


「……もう帰りましょう。母上、父上」


 背後から、静かな、けれど有無を言わせぬ重みを持った声が響いた。

 振り返ると、そこには齢六歳とは思えない落ち着きを払い、僕たち二人に一本の傘を差しかけて立つリオンの姿があった。

 その小さな手には、僕が失ってしまった「冷静さ」がしっかりと握られていた。



 ***



 シャルロットたちが乗ってきたであろう新しい馬車に、家族三人が乗り込む。

 狭い車内には、濡れた衣服が放つ湿り気と、重苦しい沈黙が充満していた。


 僕はシャルロットを自分の膝の上に乗せ、分厚い毛布でくるんで、魔力で少しずつ彼女の冷えた身体を温めていた。

 だが、彼女の細い肩は、まだ時折、しゃくり上げるように小さく震えている。

 僕の腕の中で、彼女の心が僕から遠く離れてしまっているような気がして、恐ろしくてたまらなかった。


 そんな重苦しい空気を切り裂くように、向かいの席に座るリオンが、場を収めるように口を開いた。


「母上。たぶんですが、あの金髪の使用人が、父上を誘惑しようとしたのです。……そうですよね、父上」


 息子の言葉は、深い絶望の淵に垂らされた一筋の蜘蛛の糸だった。


「あ、ああ、そう! リオン、その通りだ。シャル……ごめん。彼女の邪な気配を、もっと早く察して排除しておくべきだった」


 僕は、救い主を見るような目で息子を見つめ、心の底から胸を撫でおろした。

 さすがは我が息子だ。

 この絶望的な状況の「正解」を、瞬時に導き出してくれた。

 第三者である子供の口から告げられる客観的な事実は、僕が必死に弁解するよりも何百倍も説得力を持つ。


「そうなの……? ひっく……ひっく……」


 リオンの冷徹な肯定を受け、シャルロットの疑念が、ようやく朝霧のように霧散し始めたようだった。

 薔薇の花びらのように可憐な唇が、まだ少しだけ不安げに震えながらも、僕を見上げてくる。

 そのあどけなくも色香を含んだ涙顔は、狂おしいほどに庇護欲と独占欲を掻き立てるものだった。


 僕はふと、向かいの席のリオンを見た。

 リオンはその様子を静かに眺めながら、幼い胸の内で独り、静かな誓いを立てているようだった。

 僕にはわかる。

 彼もまた、僕と同じ血を引く男だからだ。

 リオンの金色の瞳が、僕譲りの鋭利な光を宿して一瞬だけ細められる。


「……これでは、父上はおろか、外の世界にいる有象無象の男たちが、この母上に溺れるのも無理はない」


 雨音と馬車のきしむ音にかき消されるような小さな声で、しかし僕の耳にははっきりとその言葉が届いていた。


「でも、レインハルト様も衣服が乱れて……」


 シャルロットが、毛布の隙間から僕のはだけた胸元を指差して、まだ少しだけ拗ねたような声を出した。


「……茶を、頭からかけられたんだ。不手際を叱責しようとした瞬間に、君が来た。それだけなんだ、シャル」


 僕は彼女の額に滲んだ雨水を指で優しく拭いながら、真実を告げた。


「そう……なんですの……」


 ようやく完全に納得したように、シャルロットはふうっと安堵の息を吐き、僕の胸に深く顔を埋めてきた。

 僕のシャツに残るハーブティーの染みと香りが、僕の言葉を裏付けていたのだろう。

 彼女の柔らかな体温と、甘い香りが僕の腕の中に戻ってきた瞬間、僕はすべての機能が停止しそうになるほどの安堵を覚えた。


「ああ、シャルロット……愛している。君だけだ。君以外、僕の視界には入らない」


 僕は彼女の薄紫の髪に何度も口付けを落とし、二度と離さないとばかりに強く抱きしめた。








 妻の心を取り戻した安堵の裏側で、僕の腹の底には、氷のように冷たく、どす黒い殺意が渦を巻いていた。






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