第七章 宮司
今から約1400年前。
山間に小さな集落があった。
長をはじめとする6家族、およそ30人ばかりの集落である。
山深い地ゆえ、平地はほぼない。わずかばかりの土地に雑穀を育て狩猟をし、集落の民は肩を寄せ合って生きていた。
「ほら、ちょうどいいのが来たじゃないか。」
そう言ったのは山の神、大山祇神である。
見ると向こうから若い男の乗った馬が走ってくる。見たところ、馬は何とか走っているが首が低く落ち体が左右に揺れている。馬にまたがった人もまたひどく疲弊し、振り落とされないよう必死に馬にしがみついている有り体だ。
「あれは、豪族の敗残者じゃの。」
「どれどれ、ああ、まあ中身は悪くない、悪くない。」
実はこの地、現世と常世の境目が薄い場所である。
今のところは問題ない。だが、境が揺らげば悪霊が現世に出たり、人間が常世に迷いこむこともある。常世から悪霊が湧き出たりしたものならば、現世は今以上に混乱し神々の力を持ってしても納めることが難しくなってしまう。
そこで、山の神、生成の神 高御産巣日神、天地境界の神 天之常立神の三神が相談しているところであった。
「問題が起こる前に手を打っておかないとねえ。」
生成の神が手をさすりながら言った。
「天之御中主神に怒られちゃうから。あの人怖いのよ。」
何か思い出したのか、天地境界の神が身震いする。
「少し様子を見ることにするかの。」
三人は天界から集落の様子をしばらく見ることにした。
馬にまたがり山間の集落に向かう若者、名を武名という。
他の豪族との戦に敗れ、命からがら逃げてきた。親も兄弟も皆殺され、生まれ育った地は全て焼き尽くされ戦うことをあきらめただひたすら馬を走らせた。山を一つ越え、二つ超え、もう三日間何も食べていない。幸いなことに山には清水があるので、それで命をつないできた。
直刀の重さが肩に食い込み、馬の背何度も意識が途切れかけた。
「ここまで来れば、追手も来ないだろう。」
武名は馬の歩みをゆるめ、大きく深呼吸すると辺りを見回した。
見ると山間から煙が立ち上がっている。人がいる印だ。
どんな人間がいるかわからないが、迷っている余裕はない。武名はそこに行ってみることにした。
近づくとそこは小さな集落だった。少ない平地にぽつりぽつりと家が建っている。
畑仕事をしていた女が武名の姿に気付き怯えて身構える。
「すみません。この集落の長と話がしたいのだが。」
武名は馬から降りると、すがる思いで声をかけた。ここまで命からがら逃げてきて、体も心もぼろぼろだ。
女は返事もせず逃げるように家のある方へと走って行った。
武名は手綱を握ったままその場の草の上に座り込んだ。体が限界を超えて目をつぶればこのまま寝入ってしまいそうだ。
座り込んだまましばらくいると、先ほどの女と共に体格の良い男が現れた。武名は慌てて立ち上がった。
「私と話がしたいのはおまえか。」
長はあからさまに警戒した様子で聞いてきた。この時代至る所で豪族同士の争いは絶えず、小さな集落も敗残者や山賊の襲撃に常に怯える生活を送っていた。長が警戒するのは当然のことだ。
武名は自分の村が他の豪族によって全滅させられ、命からがらここまで逃げてきたことを話した。
「どうか数日食べ物と寝るところを与えてもらえませんか。御恩は必ず何かの形でお返しします。」
ここで断れれば自分が生きながらえるのは難しいかもしれない。武名は藁にもすがる思いで地面に手をつき頭を下げた。
長は武名をじっと見つめ、しばらく考えていたが、
「よかろう。お前は槍は使えるか?」
と聞いてきた。
「はい。戦では直刀も使っていました。」
そう言って、武名は唯一持ってきた自分の直刀を両手に持って長に見せた。
「では、ここにいる間この集落の守りをやってもらおう。よいか?」
長は野太い声でそう言うと、睨むように武名を見据えた。
「ありがとうございます。」
武名は深く頭を下げると同時に体中の力が抜けた。これで何とか生きながらえることができる。
「では後について来い。」
武名は馬を引き、長の後について行った。長は自分の家に武名を招き入れてくれた。
家は他の家よりも一回り大きく、長の嫁とその娘二人が暮らしていた。
建物の中央には炉があり、木がパチパチと燃えている。
長の嫁は穏やかそうな雰囲気をまとい、麻の衣に長い髪を後ろで一つに束ねている。
「大変な思いをされましたな。」
そう言って嫁は炉に掛けた鍋から椀に稗の粥をすくい、武名に差し出した。
椀を受け取ると、持つ手が温かい。熱い粥をフーフーと冷ましながら口に入れる。3日ぶりの食べ物は腹にしみわたり、稗がこんなにうまいものかと思われた。
「たんと召し上がれ。」
静かにそう言って嫁はおかわりを進めてくれた。
いたわりの心遣いが心底ありがたく、粥をかき込みながら涙が流れた。
「食べ終わったら、お休みなされ。心も体も疲れていなさるだろう。」
嫁は部屋の隅に敷かれた藁を指さした。
この集落に落ち延びて助かった。そう思うやいなや藁の上に身を倒すと、瞬時に武名は意識を失った。
命を救ってくれた長とこの集落に大きな恩義を感じた武名は畑仕事や狩猟を熱心に手伝い、少しずつこの集落に溶け込んでいった。
「良い雰囲気になってきたじゃない。このまま長の娘と一緒になってこの地を守ればいいのよ。」
生成の神は武名が気に入ったようだ。
「そうよね。任せても大丈夫そうね。」
境界の神も賛成している。
「ん。何か、悪い気がこちらにやって来るぞ。」
山の神が何かに気づいた。
見ると槍を持った二人の男が集落に近づいてくる。
「あら、禍々しいものが憑いてるわ。どうしましょう。」
「まあ、様子を見てみよう。」
山の神には何か思惑があるのか、頷きながらそう言った。
「煙が見えるな。」
「ああ、なんか食うものもあるだろう。」
二人は山賊である。小さな集落を襲っては、食べ物を奪い糧を得ている。
山賊は畑仕事をしていた女の背後から近づくと、女を羽交い絞めにした。
「キャー、」
女が悲鳴を上げる。
「この集落の長を出せ。」
山賊の一人が女に刃物を突き付けながら大声で怒鳴った。
「こいつの命が惜しければ、食い物をありったけ持ってこい。さもなくば、どうなるかわかってるな。」
そう言って山賊は刃物を女の喉にさらに突き付けた。一緒に畑仕事をしていた女が慌てて長を探しに走って行った。
忌々しいがどうすることもできない。
「これをくれてやる、早くその女を放せ。」
長は仕方なく山賊の前に稗が入った袋を投げた。
「足りねえ、足りねえ。もっとあるだろ。あるだけ出せっつってるんだよ。耳の穴かっぽじってよーく聞け、あるだけ食い物を出さねえとこの女の命はねえぞ。」
山賊は稗の袋を蹴飛ばしながら怒鳴った。長と山賊が睨みあう。
「早くしろよ!こっちは腹が減って気が立ってんだ。この女殺しちまうぞ!」
山賊は語気を荒げ、長を威嚇する。
武名は山鳥を狩りに山の中へ入っているところだった。
キジが2羽捕れたので集落に戻ってきた所、山賊の怒鳴り声が聞こえてきた。ちょうど良いタイミングだ、山賊は武名の存在に気が付いていない。
山賊から森の中の武名は見えないが、武名から山賊達の様子は丸見えだった。武名は狩猟に使った弓矢をかまえ、山賊の一人に的を当てた。
神経を集中し力いっぱい弓を弾く。極限まで引かれた弓はギリギリと音をたてる。息を止めて狙い定め武名が矢を放つ、と矢はヒューと空気を裂いて進み山賊の背中に吸い込まれるように命中した。
矢は背中に深々と刺さり、その場に倒れた山賊は痛みに悶絶している。
もう一人の山賊が矢の来た方向に振り返り、武名の存在に気付いた。
「お、の、れ。」
山賊が鬼の形相で眉間の血管を浮き上がらせながらそう言い放つと、体から禍々しい黒い煙が立ち昇った。
立ち昇った煙は集まって大きな渦を作った。黒い煙の渦はうねうねと動き回りまるでそれ自体が生き物のような動きをしている。その渦と共に山賊は直刀を振り上げ武名に切りかかって行った。すかさず武名は腰の直刀を手に取ってかまえた。禍が憑いた山賊が振り下ろす直刀は凄まじい力で、武名の刃は簡単に弾き飛ばされる。直刀を落としたら一貫の終わりだ、武名は直刀を力いっぱい握り山賊に対峙しながら後ずさる。武名の心の焦りを読むかのように、山賊はじりじりと武名との間合いを詰め襲い掛かる瞬間を伺っている。
その時、集落のはずれにある小さな石の祠がカタカタと揺れ始めた。
「これ、まずいわよ。」
生成の神が、眉間にしわを寄せて言った。
「現世と常世の境界が悪気に呼応してるわ。このままでは、」
境界の神がそう言ったとき、ドドーンという轟音と共に山が揺れ始めた、揺れはどんどんと大きくなり誰も立っていることができずに地べたにしゃがみこむ。あちこちで木々がこすれあってぎしぎしと音をたて、斜面では地すべりが起きて土砂が流れ落ち土煙が舞い上がる。それでも山は揺れ続け、みしっみしっという音と共に今度は所々で地割れが始まった。地表に筋が入ったかと思うとそこから地面が裂けていく、口を開けるように裂けは広く深く広がってゆく。皆はなすすべなく、しゃがみ込んだまま動けない。すると山賊の足元に筋が入り地面が割れ始めた。
「誰か、助けてくれ。落ちる、落ちる、わー!」
割れはどんどん大きくなり叫び声もろとも山賊を飲み込み、その奥深くへと連れ去ってしまった。
「ふー、危なかったわね。さすが山の神。」
そう言うと生成の神はパチパチと手をたたいた。
「そろそろ、しっかりと境界を閉じる必要があるな。」
山の神は低い声でそう言うと、様子を伺っていた天界から武名達がいる地上へと降りて行った。
山賊が地割れに飲み込まれると、地割れは再び塞がり何事もなかったように田畑は元通りに戻った。山の揺れもやっと納まり集落に静寂が戻った。
皆がホッとしたその時、天から光が差し、白い衣をまとった大柄の山の神様が降りて来た。皆は眩い光に目がくらみ、目が慣れてくると降り立った神様に驚いて腰を抜かし、また動けなくなった。
山の神の声が響き渡る。
「皆の者、集落のはずれにある祠は現世と常世の境界にあたる。この先この祠を奉り境界を守ることをこの集落の役目とする。よいな、武名。」
武名は名を呼ばれ目を見開いて驚いた。周りにいた集落の人達が武名を見て皆頷いている。武名が長を見ると、長も黙って頷いた。
武名は、神の思し召しと承諾し手をついてひれ伏した。
武名の様子を見た山の神は、霧が晴れるように消えていなくなった。
「武名、神様のご使命だ。これからはこの集落にとどまり共に境界を守ることになる。」
長が低く言った。
「助けていただいた御恩を返しながら、境界とこの集落を守っていきます。」
武名もここに骨を埋める覚悟を決めた。
これが戸板村の始まりであり、こうして戸板神社の礎がつくられた。
その後御戸を守る神様が奉られるが、それはまた後々お話しすることにしよう。
言い忘れるところだったが、この武名の子孫が代々戸板神社を守る宮司としてここに住まわっている。




