第十三章 眷属
それはまだ、行慶が山伏となり山間の村を渡り歩いていた時のこと。山深い山の沢に沿って歩いていると、行慶が進む先に何やら生き物が横たわっているのが見えた。
「死んだ獣か。」
身動き一つしない様子に行慶は一人つぶやいた。近づいてみると、それは一羽の大きな鳥であることが分かった。羽には矢が刺さっている。
「かわいそうに、どこかで人に射抜かれてしまったのか。」
行慶が鳥にそっと手を添えると、まだ温かい。胸や首のあたりを触るとわずかながらまだ脈が感じられた。
「いちかばちか、試してみるか。鳥よ、ちと我慢せい。」
そう言って、行慶は矢をギュッと握ると鳥の羽から引き抜いた。矢の反しが再び羽の骨と肉を痛めつけ、鳥は弱弱しく“ギー”と泣いたが抵抗する力も残っていない。行慶は羽の傷口を沢の水できれいに洗い、持ち歩いている薬草を付けると紐で羽を固定した。
沢の水を布にしみ込ませると、鳥の口もとで絞り少しの水を飲ませてみた。
「吐き出さぬなら飲めたのだろう。」
行慶はこの大きな鳥を布で包み、片腕で抱えるとまた沢沿いの道を進んだ。
「今夜はこの沢沿いでしのぐ様だな。」
そう言って、行慶は鳥と背負っていた負い子を河原に降ろした。
「日が暮れぬうちに、魚を捕らねばな。」
そう言って行慶は沢に入ると難なく小魚を数匹捕まえ、山に入って枯れ枝を拾い集めて焚火を用意した。小魚をすりつぶしてお湯でよく煮ると、弱った鳥のために餌を作ってやった。温まった魚のすり身からは魚の匂いが立ち昇り、鳥の口に近づけると食べる気力がうかがえた。餌を少しすくってくちばしに流し込むと、それは鳥の腹の中へと吸い込まれていった。
「食えるようだな。」
鳥に生きる望みが見られ、行慶はホッとした。用意した餌は全て鳥の腹の中に入って行った。木々は紅葉し始め、時折冷たい風が吹きすさぶ。行慶は鳥を焚火に近づけ、暖を取りながら一緒に眠った。
空が白み始めると行慶は目を覚まし、火の弱まった焚火に枯れ枝をくべた。物音で鳥も目を覚まし、目を開いて首を上げた。
「首が上がるようになったか。」
一晩たって鳥が動けるようになり、その様子に行慶は目を細めた。
「お前はフクロウのようだが、この辺りでは見かけない姿形だな。フクロウは夜に活動するから、そうだなお前の名前は宵、宵と呼ぶことにしよう。」
「宵、今朝もまた餌を食べさせてやるからな。」
そう言うと、行慶はまた沢に入って魚を捕った。宵は人の射た矢によって怪我をし、餌も捕れぬまま衰弱していたが、茶色の羽毛に覆われた体は大きく翼を広げればおそらく二メートルを超えるだろう。この辺りで見られるフクロウは顔が大きく丸い形をしているが、宵の顔は小さく耳のあたりに飾り羽の様なものが左右に付いている。
「さあ、餌ができたぞ。たんと食べて元気になれ。」
行慶はまた魚をすりつぶしお湯で柔らかく煮た餌を宵に与えた。宵は首を持ち上げ、くちばしに入れられる餌をゴクリゴクリと飲み込んだ。生きる気力がよみがえって来たのがよくわかった。餌を食べ終えると、行慶は宵の傷口の薬草を取り替え、また布で羽を固定した。また飛べるようになるのかわからないが、傷が癒えるのにはまだしばらく時間がかかりそうだ。
行慶は焚火の後始末をすると、再び負い子を背負い、宵を片手に抱きかかえ沢沿いを歩み進めた。日に日に宵は回復し、行慶が捕ってやる魚をモリモリと丸呑みして食べられるようにまでなった。しかし、羽の傷はそう簡単には治らない。折れた骨が治るにはやはり時間を要する。行慶は宵を抱えて山間の村を渡り歩いては、人々のために祈祷を行った。祈祷を行うと村人はお礼に軒下や空き部屋を寝床として貸してくれたが、行慶はいつも宵をそばにおいた。宵も命の恩人であり、世話を焼いてくれる行慶にすっかり懐いた。
寒い冬が過ぎ、春の気配が感じられるようになった頃、宵の傷口に新しい羽が生え揃い始めた。宵は地面に立っては羽を広げバサバサとよく羽ばたくようになった。
ウグイスの声が聞こえ始め、温かい日差しが心地よいある日、宵が大きな羽を広げ
バサバサと羽ばたくと宵の体が浮かび上がった。この時を待っていたかのように、宵はそのまま近くの木の枝まで飛び上がった。そして枝から助走をつけて上にジャンプすると、二メートルにもなる大きな羽を上下に優雅に羽ばたかせ、ヒューっと大空に舞い上がった。宵は上昇気流に乗って、羽を一文字に開いたまま上へ上へと上がってゆく。遥か上空まで上り詰めた宵は、円を描いてクルクルと回っている。
「よかったな、宵。」
行慶はその様子を下から眺めながらつぶやいた。瀕死の状態だったフクロウが命を持ち直し再び大空で舞う姿は、数か月を共にした行慶にとって大変嬉しいものであった。その悠々とした姿は誇らしく、いくばくかの寂しさをも感じさせた。
「もう、人のいるところになぞ来るでないぞ。」
空に向かってそうつぶやくと、行慶は歩を進めた。宵は再び自然界に自分の本来の居場所に戻って行った、と思ったのである。
ところがその日の夜、行慶が再び沢沿いで焚火の用意をしていると、どこからともなく“ホー、ホッホー”とフクロウの声が聞こえたかと思ったら、バサッバサッと大きな羽音がして宵が現れた。
「宵。」
もう会うことはないだろうと思っていた宵が再び現れ、行慶はたいそう驚いた。
「これはどうしたことだ。」
行慶がつぶやいたが、宵はそれまで通りしばらく行慶の近くにいたかと思うと、バサッとすぐ近くの木の枝に止まりそのまま動く気配はない。
「宵、もしかしてそこで私を見守ってくれるのか。」
そう言うと行慶は宵に向き合い、手を合わせて頭を下げた。話すことのできない宵の真意をわかることは出来ないが、自分のことを思い戻って来たのではと思うと行慶は胸がいっぱいになり目に涙を浮かべてくしゃくしゃの笑顔を見せた。
それからも、行慶が山の中を歩いているとどこからともなく“ホー、ホッホー”と宵の声が聞こえ、夜には必ず姿を見せ朝まで行慶を見守った。
ある時のこと、この日は目的の村までたどり着かず山の中で野宿をすることになった。いつもの様に焚火を炊き、宵が見守る中行慶は眠りに就いた。
「ホー、ホッホー、」
宵の声に行慶が目を開けると、暗闇の中人の気配を感じた。次の瞬間、バサッバサッという大きな羽音と、
「ぎゃー、」
という人の叫び声、音の方を見ると二人の男に宵が飛び掛かり、鋭い足爪で男の肩辺りをわしづかみにし男が痛みに叫び声をあげている。もう一人の男が手に刃物のような物を持って、宵に切りつけた。宵は寸前のところでこれを除け、今度はこの男の頭をわしづかみにした。
「いでーっ、」
男はあまりの痛みに絶叫している。
二人の男は這う這うの体で逃げ出したが、それを宵が低空飛行で追いかける
「やー、勘弁してくれー、」
男たちの声はどんどん遠くなり、辺りから人の気配はなくなった。しばらくすると、バサッバサッと羽音が聞こえ、宵が戻って来た。行慶は宵が止まる枝に近づいた。
「宵、私を助けてくれたんだな。ありがとう。」
そう言って行慶は深く頭を下げた。
「ホー、ホッホー、」
今夜の宵の泣き声はどこか誇らしげに聞こえた。
こうして、宵は行慶がどこに行っても夜は必ず行慶の傍に行き見守りを続けた。
行慶は少しでも人を救いたいがために山伏となり、山々を渡り歩いている。そうすることが自分の人生と思ってきたので、一人が寂しいなどと考えたこともなかった。しかし、言葉を交わさずとも長い時間を共にする宵の存在は行慶にとって特別のものとなって言った。
そんなある日、日が暮れはじめこの日も行慶は野宿のため焚火の用意をしていた。いつもならば“ホー、ホッホー”と声がして宵がやって来る頃だが、この日は来ない。行慶は一抹の不安を感じた。しばらく行慶は宵を待っていたが、結局この日宵は行慶の元にやって来なかった。
次の日も山の中で“ホー、ホッホー”と宵の声が聞こえないかと行慶は耳を澄まして歩いたが、宵の声は聞こえなかった。その夜も宵は行慶の元に現れなかった。その後も宵は現れず、もう宵が姿を見せることはないと行慶は悟った。
沢沿いの河原に焚火の用意をしながら、
「ずいぶんと長いこと共にいたから、そろそろ寿命だったのかもしれないな。気づいてやれずにかわいそうなことをした。」
そう言うと、行慶は手を合わせて頭を垂れた。行慶の涙が鼻を伝ってポトリポトリと落ちていった。
「ねえねえ、最近神社の杉の木にフクロウが巣を作ったんですって。」
「えっ、フクロウが。珍しいわね。」
「何でも、あの大きな杉の木の洞を巣にしているって。」
今日は月に一度の女将会である。女将たちはパンフレットの折り込みをしながらも噂話に暇がない。
「今度見に行ってみようかしら。」
「野生のフクロウなんてなかなか見れないものねえ。」
今日はフクロウの話でもちきりだった。
女将会で聞いた噂話を、早々に真言坊の夕食で紅が披露する。
「神社にフクロウが巣を作ったって噂になっているの。」
「え、本当。野生のフクロウがあんな人の多い所に巣を作るかな。」
喰いついてきたのは郁人だ。
「そうだよね。本来ならなるべく人のいない所に巣を作るよね。」
紅もそう思う。
「妖怪とかじゃねえだろうな。」
蒼がモリモリご飯を食べながらいぶかしがっている。
「その可能性も捨てきれないね。」
「じゃあ、パトロール行くか。」
久しぶりのパトロールに蒼はちょっと嬉しそうだ。
「一応、見ておこうか。まあ、フクロウを驚かせないように気を付けて。」
ということで、二人は神社に夜のパトロールに行くことになった。
鬼の姿に変身した紅と蒼は、家々の屋根を飛び移りながら戸板神社の本堂までやって来た。
「確か、大きな洞のある杉の木って言ってたな。」
紅がそう言って辺りを見回す。
「大きな洞ねえ、」
蒼がそう言いながら、本堂から杉の木の枝に飛び移った。ちょうど蒼が移った杉の木に大きな洞があった。
「おーい、紅。ここに洞、あったぞ。」
紅が慌ててシっと人差し指を口に当て、それを見た蒼が黙った。紅が音をたてないように蒼のいる杉の木に飛び移る。二人はそっと洞の中を覗き込んだが、そこには何もいなかった。ふーっと同時にため息をつく。その時、二人の上の方から声が聞こえてきた。
「お前たちが探しているのは、私か。」
紅と蒼が驚いて上を仰ぐと、バサッバサッと大きな羽音と共に大きなフクロウが現れた。近くの枝に止まったそれは紅や蒼と大きさがさほど違わない。二人は顔を見合わせると眉をひそめた。
「やっぱり、妖怪だ。」
蒼が怪訝な顔でぽつりと言うと、
「妖怪とは失敬な。私は行慶様の眷属である。」
とフクロウは怒っている、なかなかの迫力だ。
「行慶様の眷属。聞いたことないけど。」
紅もすんなり認められない。
「それよりも、お前たちは何者なのだ。鬼がなぜ行慶様の神社にいる。」
フクロウがそう言ったとき、
「本殿に参れ。」
天から行慶の声が聞こえてきた。紅、蒼、フクロウはハッとし慌てて本殿へと移動し、途中フクロウは若い男へと姿を変えた。
本殿に入ると、蝋燭に火が灯り、明るく浮かび上がる行慶が座っていた。
三人は行慶の前に座ると頭を下げた。
「話しておかなければと思っておった。」
そう前置きをすると、行慶は宵との馴れ初めを紅と蒼に語って聞かせた。
「なんだよー、フクロウは良い奴なんじゃないかよー。」
情に厚い蒼は話を聞いて既に泣いている。
「その、宵さんがどうやって眷属になったんですか。」
紅が質問すると、これには宵が答えた。
「私は寿命が来て行慶様と別れることになりましたが、亡くなった後も行慶様のお傍でお役に立ちたいとずっと願っておりました。フクロウの姿で死んだ後、何度も何度も転生しましたが、その願いは消えませんでした。何十もの転生を繰り返し、とうとう願いかなって行慶様の眷属となれたのです。」
「そうか、がんばったんだな、よかったなー。」
涙が止まらない蒼の背中を紅が優しく撫でる。
「そうだったんですね。私と蒼も行慶様に以前助けていただいて、それからお傍で使えさせていただいてます。先ほどは失礼しました。」
紅がそう言って頭を下げた。
「こちらこそ、失礼しました。これからは宵とお呼びください。」
誤解が解け、宵も表情が柔らかくなっている。
「誤解が解けて何より。これからもこの御戸を守るために力添えを頼む。」
そう言うと、スーっと行慶は消えた。
紅葉の季節となり、戸板神社も観光客が増え賑わいを見せている。
紅が村の直売所で買い物をしていると、何やら外が騒がしい。買い物を中断し外に出てみると、観光客がわらわらと神社と反対の方向に足早に去ってゆく。人の流れに逆らい神社の方に進んで行くと、男の大きな声が聞こえてきた。
「俺はもうどうなったっていいんだ。だからこいつを道連れにする。」
声の方を見ると、中年の男が若い女性の首に腕を巻き付け、反対の手には何かを持っている。日の光にキラッと反射したところをみるとナイフか何かの刃物だ。
「こいつを道連れにして、俺も死ぬんだ。」
男は叫びながら右に左にふらふらと動き、女性はそれに引きずられる。警察はまだ到着していない、人質となってしまった女性の連れが男を取り押さえようと間合いを詰めているようだ。
「彼女は関係ないだろう、今すぐ放せ。」
男は自暴自棄になって、
「どうせ死ぬんだから、どうだっていいんだよ。」
と、説得はもはや効かないようだ。
「困ったな。これだけ人目があると出て行ってどうにかするわけにもいかないし、」
人目さえなければどうとでもなるのだが、ここで紅が出て行って本領を発揮してしまうとまずいことになってしまう。これはどうしたものかと紅が焦っていた時、バッサバッサという大きな羽音と共に、宵が空から現れた。
「あー、」
「フクロウだ、」
「でっけー、」
まわりにいた人達は宵に目が釘付けとなり、口々に何か言っている。宵は犯人の男に上方後ろから近づくと鋭くとがった足爪で男の肩の辺りをギューッとつかんだ。
「いでー、」
宵の爪が肉に食い込み、痛さのあまり男が悲鳴を上げる。それと同時に人質は放され、刃物も男の手から落ちた。間合いを詰めていた人たちが女性に駆け寄り抱きかかえ、刃物を拾いあげた。宵は男をつかんだまま大きな羽を優雅に羽ばたかせ、杉の木の大きな洞まで飛んでいった。洞の所で犯人は解放されたようだが、人が降りられるような高さではなく男はガタガタと震えていたようだ。
驚いたのはその様子を見ていた観光客だ。人ほどもある大きさのフクロウが突然現れたかと思うと、犯人を捕まえて自分の巣に持ち帰っていったのだから、これはすごい光景だ。
「あれは、神様の化身だ。」
誰かが叫んだ。
「神様が犯人を捕まえて下さったんだ。」
また誰かが叫ぶと、パチパチと拍手が起こった。
「よかったー。助かりました、宵さん。」
紅は拍手を聞きながら胸を撫でおろした。
「いやー、見たかったなー宵さんのかっこいいところ。」
蒼はもう目がとろんとして、出来上がっているようだ。
「本当にすごかった。タイミングが絶妙だったんだよね。ちょうど良い所で宵さんの登場だった。」
今晩は紅もけっこう飲んでいる。
「恐れ入ります。様子を見ていたら無性に腹立たしくなって、結構本気で爪立てちゃいました。」
そう言って宵は頭に手をあて笑っている。
今夜は真言坊で酒盛りが行われている。メンバーは、紅、蒼、郁人、狛犬の源太と弥吉、ここに宵が加わった。
「もちろん、俺らも見てましたよ。なあ源太。」
「ええ、かっこよかったっすよー。」
源太と弥吉は宵とすっかり意気投合している。
「俺も見たかったなー。」
郁人が残念そうな声を出す。
「まあ、俺らが活躍することはないにこしたことないですけどね。」
宵がしみじみと言い、皆が微笑みながら頷いた。
「よーし、じゃあ宵さんの活躍にもう一回乾杯しよっか。」
蒼が音頭をとり、また皆が乾杯をする。温かい空気に包まれ、真言坊の夜は更けていく。




