第十四章 蒼の悩み
「最近の蒼、ちょっとおかしくない。」
紅が郁人に小声で言った。
「俺も思ってた。」
郁人が大きく頷く。
「何かあったのかって聞いたけど、別に何もないって言うんだよね。」
おかしい、と紅が首をかしげる。
「紅ちゃんに言わないなら、俺が聞いても言わないだろうしな。」
何か聞きだす方法はないかと郁人が考えている。結局調理場の片付けが終わるまでに良い考えは思いつかなかった。
その日も紅、蒼、郁人はお客様の夕食の後片付けを終え、三人で遅い夕食を食べていた。
「ねえ蒼、今晩久しぶりに村のパトロールに行こうか。最近見回りしてなかったから。」
パトロールが好きな蒼は、少し体を動かせば元気になるのではと紅は考えた。もちろん行くという答えを想像していたのだが、
「俺は、今日はいいや。」
というそっけない答えに、紅と郁人は顔を見合わせた。
「ねえ蒼、このところ元気がないよね。いつもならよろこんでパトロールだって行くのに。具合が悪かったり何か困ってるなら、何でも言ってよ。」
そう言って紅は向かいに座る蒼の手をつかんだ。
「おれ、」
蒼は一瞬何かを言おうとしたようだったが、その後うつむくと、
「何でもない。何もないよ、ご馳走さま。」
と言って部屋に戻って行った。
「何もない人の様子じゃないよね。」
紅がつぶやき、郁人が頷く。その後も蒼の様子は元に戻らなかった。
真言坊では薬草入りのリンゴジュースを製造販売している。何しろ三人が営む宿坊での自家製なので大量生産はできないが、それでも村の直売所や土産物店、下の町の農産物直売所に置いてもらってなかなかの売れ行きだ。
リーン、リーンと真言坊の黒電話がなる。
「真言坊でございます。」
フロントにいた紅が電話を取った。
「農産物直売場です。お世話になります。」
「ああ、こちらこそいつもお世話になっております。」
町のもう産物直売所ではリンゴジュースをたくさん売ってもらっているので、紅の対応も自然と丁寧になる。
「いつものリンゴジュースが在庫ゼロになったところに、今朝お客様からの注文も入りまして、早めに配達していただけると助かるのですが。」
農産物直売所のスタッフは申し訳なさそうに言った。
「わかりました。では準備が出来次第伺います。いつもありがとうございます。」
紅は電話を切り、メモ用紙にリンゴジュース二十本と書き込んだ。
調理場では郁人が調味料などの在庫確認をしていた。
「郁坊、町の農産物直売所からリンゴジュースの注文が入ったから届けに行ってくるね。」
紅は食品倉庫から自家製のリンゴジュースを二十本取り出した。
「気を付けて行ってきてね。蒼ちゃんも一緒。」
「ん-、蒼は客室の掃除してるよね。一応聞いてみるわ。」
紅はリンゴジュースを車に積み込むと、蒼の所に行った。
「蒼、」
紅が客室に入ると、蒼はベットのシーツを交換しているところだった。名前を呼ばれて蒼が振り返る。
「これから町の直売所にジュース配達に行くんだけど、一緒に行く。」
「ん-、まだ掃除にかかるからな。紅一人でも大丈夫か。」
「もちろん大丈夫だよ。じゃあ、掃除よろしくね。」
やっぱり蒼の様子がおかしい。いつもなら部屋の掃除を中ほっぽりだしても紅と一緒に出掛けるのが常である。紅はため息をひとつつくと車に乗り込んだ。
戸板村から下の町までは車で二十分程の距離だ。新緑の季節、やわらかい黄緑色の木のトンネルを通り抜け紅の運転する車は下って行く。
「すこし雲行きが怪しいな。雨が降って来るかな。」
進む先には厚く濃い灰色の雲が垂れこめている。
「こんにちはー。真言坊です。」
紅はリンゴジュースを持つと農産物直売所の裏口から店に入った。
「やあ、紅さん。早速配達してもらって助かります。」
紅の姿を見て、スタッフが寄って来た。
「こちらこそ、いつもお世話になってありがとうございます。」
紅はリンゴジュースの定位置に真言坊の特製ジュースを並べる。
「紅ちゃんのところのジュースは評判が良くてね。リピーターもついているから。」
スタッフのおじさんは愛想よく微笑んだ。
「今後とも宜しくお願いします。」
二十本のリンゴジュースを並べ終えた紅は、挨拶をして頭を下げると再び車に乗り込んだ。
車が走り出すと、ぽつりぽつりとフロントガラスに雨粒が落ちてきた。
「運び終わった後でよかった。」
紅はつぶやくと、真言坊に向かって山道を登り始めた。真言坊まで二十分の道のりではあるが、もちろん急な坂道が続くと同時に、所々にはかなり急角度なカーブもある。注意して運転しなければならない。降り出した雨は激しさを増し、あっという間に土砂降りとなった。ワイパーを高速で動かしても数メートル先が良く見えない。
「ゆっくり進めば大丈夫。」
紅は自分に言い聞かせハンドルをギュッと握った。悪天候の中、対向車も後続車もいない中紅の運転する車が一台山道を上って行く。
少し雨の降り方が弱くなり、紅がフーっと息を吐いた時、突然目の前に何かが飛び出してきた。慌てて紅は右にハンドルをきる。同時に急ブレーキを踏んだがアスファルトに溜まった水の上を車は横滑りし、そのまま崖下に落ちて行った。
「紅、おせーな。もう昼めしの時間だぞ。何やってんだ。」
調理場で昼ごはんの準備しながら蒼が心配している。午前中に出かけた紅がまだ帰ってこない。下の町までは車で二十分。農産物直売所に荷下ろししても、一時間ちょっとあれば十分帰って来ることが出来る。
「何かあったのかな。」
今までこんなことはなかったと、郁人にも不安がよぎる。
「とりあえず、昼飯食っちまおう。そしたら俺探しに行ってくるわ。」
そう言って蒼はご飯を口にかき込んだ。
急いで昼ご飯を食べると、蒼は郁人の車を借りて町の農産物直売所に向かった。道中あたりをキョロキョロと見ながら下ったが、紅の車はどこにも見当たらない。
「こんにちは。」
直売所に蒼が入って行くと、客の対応を終えたスタッフがやって来た。
「これは蒼さん、いつもお世話になります。今日も早々にリンゴジュースを運んでもらってありがとうございました。」
そう言って軽く頭を下げた。
「こちらこそお世話になります。ところで、うちの紅はいつごろこちらを出ましたか。」
意外な質問にスタッフのおじさんはえっ、と言う顔をした。
「紅さんなら、そうだな十時前にはジュースを届けてくれてそのまま帰って行きましたよ。どうかしたんですか。」
「それが、まだ真言坊に帰って来ていなくて。」
それを聞いたスタッフの顔も曇った。
「どこかに別の用事で寄っているとかないんですか。」
「ええ、今日はジュースの配達だけだったんで。」
蒼はスタッフに挨拶をすると、急いで車に戻った。
「ここから真言坊に帰る間に何かがあったんだな。」
蒼はつぶやくと、車を発進させた。
「さっきも見たけど、何もなかったもんな。」
辺りをきょろきょろと見回りながら、蒼はゆっくりと山道を上って行く。しかしどこにも紅の車は見当たらない。
「もしかして、崖下に落ちたなんてことあるか。」
いやそうなれば、ガードレールが壊れたりして何かしらの跡が残っているはずだと蒼は考えを打ち消した。結局帰り道でも紅を見つけられず蒼は真言坊に帰って行った。
本来ならば、こんな時は警察に連絡をして大人数で探してもらうべきだが…。何しろ紅は鬼だから、もしかするとこの世のものではない何かに連れ去られたとか、人に知られたらまずい状況もあり得る。
蒼と郁人の心配が増していく中、時間だけが過ぎていく。今日は二組のお客様がお泊りで、紅不在の中蒼と郁人は大忙しとなっている。日がとっぷりと暮れ、心配で仕方ないが今はお客様の対応で手いっぱいだ。
夕食の配膳が済んで、蒼と郁人が調理場の片付けをしていると、“ガラッ”と調理場の扉が開いた。蒼と郁人が扉の方を見ると、そこにはボロボロの紅が立っていた。服は所々破れ、破れたところからは擦り傷や切り傷が見えて血がにじんでいる。顔にもあざがあり、体全体がひどく土と誇りにまみれたいた。
蒼が駆け寄り紅を抱きしめた。
「紅、どこ行ってたんだよ。どんだけ心配したと思ってんだよ。」
そう言って蒼は涙を流した。
「よかった、無事で。」
郁人も目を潤ませている。
蒼と郁人の顔を見て、紅はやっと真言坊に戻って来られたと、ほっと安堵した。
とりあえずは風呂に入れと蒼に言われ、土と誇りを洗い流し、紅は蒼に傷の手当てをしてもらっている。
「どうやら狸か何かが飛び出してきたようなの、そこで避けようと慌ててハンドルを切ったら崖下に車ごと落ちてしまった。とこういう訳で。」
二人に心配をかけ申し訳なさそうに紅が話した。
「まあ、そういうことならしょうがないよな。」
蒼は紅に傷テープを貼っているが、紅が無事に?帰ってきたことが嬉しくて仕方ないようだ。
「でもな、俺山道をよーく見ながら探したけど、崖に落ちてる車なんかなかったぞ。」
蒼が首をかしげながら言った。
「それがね、ちょうどガードレールの切れ目だったうえに、落ちたところは木が生い茂っていて、道から下の様子は見えないようなところだったのよ。運が悪かったわ。」
「それで見つからなかったのか。」
なるほどと蒼が頷いている。
「何とか車から出て、崖を這いあがって来たけど、人間なら亡くなってたわね。」
鬼の強靭さは半端ではない。
「車は後日引き上げてもらうようね。新しいのを買わないといけないわ。ごめん蒼と郁人。」
紅が手を合わせて頭を下げた。
「何を言ってるの。無事に帰って来れて何よりだよ。車なんて買えるんだから。」
郁人の優しい言葉に紅は胸が温かくなる。
「そう言えば、蒼、元気になったね。」
そう言って紅が郁人の顔を見る。確かにそうだ、と郁人も蒼の顔を見た。
蒼は少しうつむいていたが、意を決したように話した。
「実はしばらく前から俺の角がちょっと。」
蒼は言葉を詰まらせ、立ち上がると青鬼の姿に変身した。そのまましゃがんで紅と郁人に自分の角を見せた。
「ここを見てくれ。」
そう言って、角の横の辺りを指さす。
「ちょっとでっぱてるのわかるか。」
確かに、よく見ると角のよこから小さな突起が数ミリ出ている。
「気が付いたら、こんなところに出っ張りができて、この出っ張りが少しずつ伸びてきてるんだ。これがこのまま伸びたら、俺二股の角になっちまう。そんな鬼見たことあるか。」
蒼は悲痛な顔をして頭を抱えた。
「なんだ、そんなこと。」
そう言って紅と郁人は顔を見合わせ笑ってしまった。
「そんなこととは何だ。大変なことだぞ。このままこの突起が伸びていったら…。」
蒼が悲しそうな顔をしている。蒼のこんな顔が見られるのはかなり珍しいことだ。
「確かに、二股角の鬼は見たことないわね。」
「そうだろ。かっこ悪いだろ。俺が二股角の鬼一号になっちまうんだ。」
蒼に悲壮感が漂う。
「まずさー、鬼の郷にちょっと行って聞いてみたらいいよ。何かわかるかもしれないよ。」
「そ、そうだな。長老とかなら何かこの出っ張りを取る方法を知ってるかもしれないしな。」
蒼は鬼の郷に一縷の望みを託し、早速次の日、竈から鬼の郷を訪ねて行った。
「それがさ、母ちゃんに聞いたら“なんだ蒼も出てきたのか、母さんに似たんだね”って言うんだよ。」
紅と蒼は調理場で山菜のよごれを丁寧に落としているところである。
「蒼のお母さんも角にでっぱりがあるの。」
「そうらしいんだ。気になるならざらざらしたもので削れって。母ちゃんは削ってるらしくて、でっぱりはなかったよ。」
「そうなんだ。じゃ、ヤスリで削ればいいってことね。心配事が無くなって良かったね蒼。」
そう言われ蒼は嬉しそうに鼻をこすった。
紅と蒼が笑いあい、真言坊の空気が一段と明るくなったようだ。




