第9話 二番隊の医局長
荷風の補足に、絃葉ははっとした。
「……梛さんが梓さんの死を知れば精神的に不安定になって、御所の結界が消えてしまう……ということですか?」
「そういうこと。最悪、立ち直れんくなって結界の再構築すらできんようになるかもしれん」
「そんな……」
自分の力が必要とされている真の理由に、絃葉は腑に落ちたと同時に得も言われぬ歯がゆさを抱いた。
「だから、絃葉ちゃんには梓として梛ちゃんと会ってほしいんや。あの子が心を壊さんようにするために。少なくとも、楓ちゃんが見つかるまでは剣の家におってくれたらありがたいんやけど」
「楓ちゃん?」
「梓の従姉妹で、梛が着任する前に御所の結界を構築していた人だ。だが、数年前に失踪している」
「それは、どうして……」
「わからない。幸い、その時には梛が結界を構築、維持できるほどの技量を持つようになっていたから、支障はなかったんだが」
「では、いずれ梛さんには真実を伝えるつもりなのですね。心を壊して、御所をお守りすることが難しくなったとしても、楓さんが梛さんが立ち直るまでの代理を務められるように」
「ああ」
剣が首肯すると同時に、「絃葉ちゃん」と荷風が呼びかける。
「この件が一段落したら契約結婚は解消させてもらうし、その後も絃葉ちゃんには警護をつける。事情を聞いてもらったうえであらためて聞くけど、うちらに力を貸してもらえるやろか?」
「はい」
正直なところ、いまの自分に紅華たち陰陽師から自衛できる力はない。妖伐局の後ろ盾がなければ生き延びることすら難しいだろう。
――でも、いつまでも妖伐局に頼ってばかりじゃだめ。
絃葉自身も強くならなければならない。
だが、何よりも絃葉を突き動かしたのは――
「わたしの妖術が少しでもお役に立てるのなら、喜んで」
葛葉の生まれ変わり、白い忌み子として疎まれてきた自分を必要としてくれている。それに応えたいという絃葉の想いが、彼女の決意を確固たるものにした。
荷風は目元を和らげ、「ありがとう」と心からの感謝を伝えた。
「うちもできる限りサポートするさかい、何かあったら遠慮なく言ってきてな」
「ありがとうございます。荷風さん」
「じゃあ、剣。あとのことは任せたで」
「はい。絃葉さん」
剣が立ち上がったので、絃葉もまた席を立ち荷風に頭を下げる。
彼女に手を振って見送られ、絃葉は隊長室を後にした。
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「これから俺の家へ行く。その前に、医局へ立ち寄ろうと思う。佐奈子さんの様子を見ておきたいだろう」
「はい」
――鳴神様は本当にお優しい方だわ。
常に絃葉のことを気遣った言動をしてくれる。それが嬉しくもありつつも、同時に哀切な感情も抱いた。
――梓さんを亡くされて、まだ一年も経っていないというのに……。
それに、赤の他人である自分が愛する人の身代わりとなることを複雑に思っているはずだ。剣たちからの依頼とはいえ、引け目を感じざるを得ない。
あれやこれやと思案に耽っていると、いつの間にか医局に到着していた。
佐奈子がいる病室に入ると、彼女はすでに目を覚ましており、白衣を着た医局員の男性と談笑していた。
「佐奈子さん!」
絃葉が駆け寄ると、佐奈子もこちらを振り返るなり涙を浮かべた。
「お嬢様! ご無事だったのですね」
「佐奈子さんも、目が覚めてよかった。体は大丈夫?」
「ええ。傷も跡形なく消えてほとんど完治しました。まだ少し体が重く感じる程度です。幸徳井先生の呪符のおかげです」
佐奈子は先ほどまで会話していた男性医局員に目を向ける。
長身痩躯で青緑色の長髪を一つに束ねている。垂れ目で温厚そうな面立ちをしており、どことなく絃江と面影が似ていた。
「幸徳井……? もしかして……」
「初めまして。幸徳井世絃です。二番隊医局の医局長をしています。幸徳井絃江の弟で、君の叔父だ」
「お母さまの弟……⁉ わたしの叔父さま、ですか」
母から弟がいることは知らされていなかった。生家である幸徳井家のこともほとんど耳にしたことがない。
「やっと会えたね、絃葉。いやあ、姉さんによく似ている」
「おじ……幸徳井先生が、あの高度な回復呪符を?」
「叔父さまと呼んでくれて構わないよ。むしろ、そう呼んでくれると嬉しいな。僕も陰陽師名家、幸徳井一門の端くれだからね。とはいえ、攻撃術式はからっきしで回復術式しか取り柄がないんだけど」
「そんな、叔父さまの呪符が佐奈子さんを救ってくれたんです。本当にありがとうございました」
絃葉が頭を下げると同時に、佐奈子もまた深々とお辞儀した。
「二人とも、顔を上げて。これが僕の仕事だから」
絃葉たちが言われた通りにするなり、世絃は表情を曇らせながら言う。
「姉さんのことは聞いたよ。土御門一門の陰陽師たちと戦ったって」
どくん、と絃葉の心臓が強く脈打った。
肉親の訃報を耳にして、世絃もまた深く悲しんだに違いない。
「すまない。不安にさせてしまったね。僕は大丈夫。姉さんが命をかけて守った君たちを、今度は僕たちが守るから」
世絃はにこやかに笑んだ。
わずかな気丈が見てとれる。それを懸念に思い、絃葉はたまらず口を開いた。
「叔父さま」
「何だい?」
「辛いなら、辛いとおっしゃってください」
意表を突かれ、世絃は大きく目を見開いた。
「わたしもさっき、たくさん泣きました。その時、荷風さんが言ってくれたんです。我慢しなくていい、泣いていいんだって。だから、叔父さまも――」
そこで、絃葉の頭に手が乗せられた。
大きくて柔らかな温かみがある手だった。
「……いやあ、参ったなあ」
震えを帯びた声が耳朶を震わせた。
世絃の目元には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「慈悲深くて、優しいところは姉さん譲りだね。本当に、いい子に育った」
「叔父さま……」
「ありがとう、絃葉。そう言ってくれるだけで、僕は充分だよ。君ももししんどくなったりしたら、遠慮なく剣くんや僕を頼りなさい」
「ありがとうございます。叔父さま」
「うん。話が変わるけど、佐奈子さんは念のためあと二日ほどここで入院してもらうよ。僕と警護役の局員がついているから、安心して」
「わかりました。よろしくお願いします」
絃葉に続き、佐奈子も小さく頭を下げた。
「じゃあ、佐奈子さん。またね」
「はい。お嬢様」
佐奈子たちと別れ、絃葉は剣の自宅へと向かった。




