第10話 新しい居場所
独身の局員は基本的に局寮に住んでいるが、配偶者や家族との同居を望む者は基地の近くに自宅を構えているらしい。剣も梓と結婚してからは局寮から今の自宅に移り、今もそこで暮らしているとのこと。
「ここだ」
剣が自宅の隣に車を止め、絃葉も彼の手を借りて車から降りた。
基地から車で約十分。基地とは異なり、剣の住まいは和風邸宅だった。
母屋の周囲には雅な庭園が広がっており、一人で住むには充分すぎるほどの広さがある。梓と二人で暮らすにせよ、不自由はしなかっただろう。
「綺麗……」
「気に入ったか?」
「はい。とても美しいご自宅ですね」
「梓が洋風よりも和風建築の家がいいと言ったから、この家にしたんだ。俺もここのような静かで落ち着いた雰囲気の家が好きだったから、ちょうど良かった」
そこで剣が初めて微笑を浮かべた。
これまで、憂いのある表情をしていたので、穏やかな一面に絃葉は少し見惚れてしまった。
玄関に入り、靴を脱いで木造の廊下を歩く。
ぎし、と木板がかすかに軋む音。窓から差し込む黄昏の陽光。縁側から垣間見える青々とした緑と石造りの灯篭、鯉が遊泳する丸池。静穏な空気に満ちたこの場所はとても心地よく、絃葉も終始笑みが絶えなかった。
「ここが君の部屋だ。もともと梓がここを使っていたから、調度品はそのままにしてある」
案内されたのは十畳ほどの広さがある部屋で、箪笥や文机、書棚が整然と並んでいた。埃一つなく、毎日掃除を欠かさずしていることがうかがえる。
「もし、足りないものや欲しいものがあれば言ってほしい。手配する」
「いえ、十分すぎるくらいです。ありがとうございます。鳴神様」
「ああ、そうだ。これからはなるべく剣と、下の名前で呼んでくれないか。俺たちは形式上、夫婦になる」
「確かに……。では、剣様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
「ああ。俺も引き続き絃葉さんと呼ばせてもらう。梛のように事情を知らない者の前では梓と呼ぶが」
「梓さんは剣様のことを何と呼ばれていたのですか? 呼び方を統一させないと、怪しまれてしまいます」
「剣と敬称なしで呼んでいた。妖伐局では同期で同い年だったから、お互い呼び捨てだったな」
「つ……つ、るぎ……」
命の恩人、それも二番隊の副隊長という高位の肩書を持つ御仁を呼び捨てにするなんて――
――お、恐れ多すぎる……!
舌足らずな子どものように名前を口にした絃葉に、剣は目を丸くした後、小さく噴き出した。
声を出して笑う剣に、今度は絃葉が目を丸くした。
「申し訳ない。馬鹿にしたわけじゃないんだ。ただ、君があまりにも健気なものだから」
「け、健気でしょうか……」
「普段は呼びやすいほうで呼んでくれたらいい。だが、梛たちの前では梓と同じ呼称で凌いでくれると助かる」
「頑張ります……!」
意気込む絃葉に目を細め、剣は箪笥に歩み寄る。
引き出しを開けると、梓のものと思しき着物が何着か入っていた。
「着替えがないだろうから、しばらくは梓のものを使ってくれるか。採寸が合えばいいんだが」
「よろしいのですか? 梓さんの大切なお着物を、わたしなんかが……」
「君が代わりに着てくれるのであれば梓も喜ぶ。それと、わたし『なんか』と卑下することはない。絃葉さんはもうこの家の一員なんだ」
手渡された藤柄の着物を受け取り、絃葉はそれを大切に抱えた。
新たな居場所と温もりを与えられたような気がして、胸がいっぱいになった。
「ありがとうございます。剣様」
ああ、自分はこの人にお礼しか言っていない。
与えられるばかりで、何も返せていない。そんな思いが脳裏を過った。
――いいえ、これから返していくのよ。
自分が梓として生きること。梓として剣を支えていくこと。それが絃葉にできる恩返しだ。
「一度、着てみてほしいんだが、着付けは一人でできるか?」
「はい。母に教わってからは毎日一人で着付けしていました」
「そうか。俺も着替えてくるから、着替え終わったら声をかけてくれるか。向かい側が俺の部屋だから」
「わかりました」
いったん剣と別れ、絃葉はさっそく着替えを始めた。
室内にあった姿見で確認しながら、藤柄の袖に腕を通す。
「良かった。採寸が合って」
着物は自身の背丈にぴったりで、着心地も悪くなかった。
「よし」
髪も整え直したところで、絃葉は自室を出る。
向かい側が剣の部屋ということで、絃葉は両膝をついた。
「剣様。着替え終わりました」
「どうぞ」
「失礼いたします」
襖を開け、入室すると和装姿の剣が佇んでいた。




