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第3話 幸福の終わり

 翌日。絃葉は佐奈子とともに朝から畑仕事に勤しんだ。

 幸い、この土地は肥沃で作物がよく育つ。大根やじゃがいも、玉ねぎなどの根菜を中心に今は菜の花やさやえんどうも食べごろだ。


「今日もたくさん収穫できましたね」

「ええ」


 空を仰げば、晴れ間のなかに雨雲がいくつかあった。山間なので天候が急に変わることはよくあることだ。


「一雨くるかしら」

「家のなかに入りましょうか。絃江様にもお伝えして、洗濯物を中に入れるようにしないと」


 ちょうど昼餉の時間だ。絃江も食事の準備をしていることだろう。

 二人が家のなかに入ろうとしたところで、


「見つけた」


 聞き慣れない少女の声がして、両者は咄嗟に後方を振り返った。

 視線の先には陰陽師特有の和装に身を包んだ少女と、彼女の部下と思しき陰陽師たちが背後に控えていた。


 濡羽色の髪は二つに結ばれ、ぱっちりとした黒瞳はさながら黒曜石のようだ。まとう緋色の狩衣は華奢な少女の体躯を艶やかに彩り、可憐な印象を与える。


「まさか、こんなところにいたなんてね」


 少女が口の端を吊り上げて歪《いびつ》に笑う。その不気味さと美しさゆえの恐怖に、絃葉は総毛立った。その時、佐奈子が絃葉を庇うように前へ出る。


「お嬢様! 絃江様と一緒に早くお逃げください!」

「佐奈子さん⁉」

「彼女たちは土御門一門の陰陽師です!」


 狩衣の袖の部分には揚羽蝶を模した家紋が。それは土御門家を象徴するものだった。

 佐奈子の焦燥混じりの口調に、絃葉はますます怖気を抱いた。


 ――どうして土御門家がここに……⁉


 足が震えるなか、ふと戸口が開く音がした。


「絃葉、佐奈子。雨が降りそうだからそろそろなかに――」

「お母さま!」


 切羽詰まった娘の声音と土御門家の追手に、絃江は血相を変えて懐から呪符を取り出した。


「太陰《たいおん》!」


 絃江が呼ぶと、呪符が弾けて黄金の巨鳥が出現した。絃江の式神である太陰だ。

 絃江に宿る気は金。五気の力が強ければ強いほど強力な術式を扱うことが可能で、それは式神も例外ではない。太陰は十二天将の一柱であり、式神のなかでは最高位に位置する。


「絃葉、佐奈子! こちらに」


 二人を太陰の背後に下がらせ、絃江は警戒の色を滲ませながら少女陰陽師を見据える。


「金を司る十二天将の太陰を式神として召喚させるということは、やっぱりあなたが絃江さんね。さすが、父上の元妻にして幸徳井家(かでいけ)の出身なだけあるわ」


 幸徳井家は土御門に次ぐ実力を有する陰陽師の名家だ。江戸の世までは土御門に対抗する家門として名を馳せていた。


「どうして私のことを……。それに、父上って」

「あたしは土御門紅華(べにか)。土御門家長(・)女(・)にして次期当主よ」

「長女? それに次期当主って……」

「あなたがそこの化け狐を抱えて土御門家を出た後、父上は母上と再婚し、あたしが生まれたの。そして、次期当主として陰陽師のいろはを叩きこんでくださったわ」


 つまり、紅華は絃葉の異母妹ということだ。


 ――わたしの、妹……。


 父や紅華は自分のことを土御門の血縁者だと認めたくはないだろう。だが、血のつながりは避けようのない事実だ。


「よくやったわ土岐《とき》。あなたのおかげで父上は本懐を遂げられる」

「身に余る光栄にございます」


 紅華のそばに控えていた男性陰陽師が首を垂れた。その顔を見るなり、絃江は目を見開く。


「あなた、あの時の……!」


 昨日、野菜と卵を交換してもらった行商人の男。服装と雰囲気はまるで違うが、絃江が見た顔とまったく同じだった。それに彼は絃江が土御門家を出る前は夫の側近だった。絃江の顔も知っているので、当然彼女を探し当てることもできる。


「十八年も逃げ延びてきたことには素直に賞賛するわ。でも――」


 紅華は懐から呪符を取り出し、式神を召喚した。


「朱雀」


 呪符が燃えるように弾けると、太陰よりも一回り大きな炎鳥が顕現した。


「朱雀⁉」


 絃江をはじめ、絃葉と佐奈子も強大な式神に愕然とした。最高位の式神である十二天将が一柱、四神の二つ名を併せ持つ朱雀の咆哮が轟く。


「父上からの命を完遂すべく、あたしは葛葉と離反者の首を刎ねる」


 紅華という脅威に慄きながらも、絃葉は震える手を懐に入れた。そして、自身も式神召喚の体勢をとる。


 護身として、小さい時に母から基礎的な陰陽術を教わった。陰陽術よりも変化の妖術に長けていたため、絃江ほどの陰陽術は習得できなかったが、無力というわけではない。


「佐奈子、絃葉を連れてここから逃げなさい」

「お母さま!」


 だが、母は絃葉に退避するよう言った。

 絃葉が目を瞠ると同時に、佐奈子も戸惑う。


「で、ですが、それでは絃江様が……」

「お母さまをおいていくことなんてできない! わたしも一緒に――」

「早く逃げなさい!」


 普段は温厚な絃江が張り上げた声に、絃葉はひるんだ。そして両頬を透明な雫が伝う。


「忘れないで。絃葉」


 頬に優しい温もりが広がる。


「あなたを愛している人がいることを。そしてこれからもあなたを愛してくれる人が必ず現れる」


 この世に愛されない人はいないのだから。


 絃江は愛娘の額に自身のそれを突き合わせた。


「愛しているわ、絃葉。私を母にしてくれて、ありがとう」

「お母さま……!」


 最期の抱擁をした後、絃江は絃葉の背を押した。


「佐奈子! 絃葉をお願い!」

「っ――承知しました!」


 佐奈子は絃葉の手を引き、家の背後にある森林へと向かった。


「お母さまっ!」


 母の微笑が遠ざかっていく。必死に手を引き延ばすが、それはもう届かない。もう二度と――温もりを得られないことが直感でわかった。わかってしまった。


「化け狐を逃がすな!」


 紅華の命を受け、陰陽師たちが追尾に走る。だが、絃江はそれを許さない。

 術式用の呪符を取り出し、呪文を唱えて発動。すると陰陽師たちの行く手を遮るように巨大な黄金の壁が隆起した。同時に太陰の黄金の羽が舞い、朱雀に向かって飛翔する。


「小賢しい真似を。金が火に敵うわけがないでしょう」


 紅華もまた朱雀を差し向け、二柱の神鳥が争い合った。紅華も新たな呪符を取り出して呪文を唱えると、空中に三つの炎の渦が具現化し、そこから苛烈な火炎が放射された。

 金と火は相克《そうこく》の関係。火は金に打ち克つため、黄金の壁はみるみるうちに溶かされていく。


「くっ!」

「何としてでも葛葉を討ち取りなさい」

『はい!』


 紅華の指示に陰陽師たちが壁を突破する。彼らを止めようと太陰が短剣の如き鋭利な羽を差し向けるが、すべて朱雀の猛々しい息吹によって溶かされてしまった。


「行かせない!」


 続けて絃江が術式を発動させ、剣山で陰陽師たちの行く手を遮った。が、何人かの陰陽師たちを取り逃がしてしまう。

 すぐに彼らを追おうと走る。だが――


「行かせない、はこっちの台詞よ」


 紅華が立ちはだかり、おまけに自身を包囲するように猛炎がほとばしった。


「可哀そうに。化け狐が生まれてしまったせいで、あなたは土御門家での華々しい人生を手放さざるを得なくなった。自由と幸福を奪われてしまった」

「……そんなわけないでしょう」

「何ですって?」


 片眉を持ち上げて胡乱げに問う紅華に、絃江は気丈に笑んで言う。


「どんなに苦しい生活だったとしても、愛する娘と信頼している友人が傍にいる。それだけで充分幸福だわ」


 他人に哀れまれる筋合いはない。


 断言した絃江に、紅華は口の端をひきつらせて青筋を立てた。


「あらそう。じゃあ、その幸福ごと消し炭にしてあげる」

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