第8話 遠くから、食べさせる
書いたのは、献立でございます。
薬のことは書きませんでした。書けません。わたくしは医師ではございませんので、何を飲ませれば治るかを存じません。
存じているのは、何を口に入れると悪くなるかでございます。八年、それだけを見てまいりました。悪くなるものを外していくと、残るものがございます。残ったものを、順番に並べただけでございます。
三日ぶん、書きました。
一日目。
朝。水のみ。井戸から汲んだものではなく、一度沸かして冷ましたものを。碗に半分。四半刻おきに、三度。一度に飲ませないこと。戻すのは量が多いからでございます。
昼。同じ水に、塩をひとつまみ。ひとつまみというのは、指三本でつまんで、そのうち半分が落ちるくらいのことでございます。落ちたぶんが、ひとつまみでございます。
夕。米を炊いた汁だけ。米は入れないこと。汁は、鍋の上のほうから取ること。下のほうには澱が沈んでおります。
二日目。
朝。前の晩の汁に、米粒を十ほど入れたもの。噛ませずに飲ませること。
昼。同じもの。米粒を二十に。
夕。同じもの。米粒を三十に。
二日目は、それだけでございます。増やしたくなりますが、増やしてはいけません。
三日目。
朝。粥。ただし薄いもの。匙で掬って、傾けて、糸を引かずに落ちるくらいのもの。
昼。同じ粥に、卵の黄身をひとつ。よく溶いてから入れること。白身は入れないこと。
夕。同じ粥に、青菜を茹でて刻んだものをひとつまみ。茹で汁は使わないこと。捨てること。
三日を過ぎましたら、普通の粥に戻して構いません。それから、末尾に四行足しました。
右の献立を作る鍋と匙は、ほかのものに使ったものを使わないこと。
水は、裏の甕から汲まないこと。北の井戸から汲むこと。鼠取りの皿を数えること。十二枚あるかどうか。十二枚なければ、足りないぶんがどこかにございます。
以上を、誰が何刻に行ったか、紙に書いて残すこと。最後の一行を書いてから、しばらく筆を止めました。
紙に書いて残すこと、と書きました。わたくしが八年やってきたことでございます。誰も読みませんでした。読まれなかったので、いま無くなっております。
それでも、書けと書きました。書いた紙は残ります。読まれるかどうかは、あとの話でございます。
書き上げたのは、夜半でございました。厨房へ降りて、水を一杯いただきました。バルダ様がまだ火のそばにおられました。
「書けたのかい」
「書けました」
「見せてみな」
「バルダ様は、字が」
「絵で分かるよ。何日ぶんある」
「三日でございます」
わたくしは紙を卓に置きました。バルダ様は上から順に指でなぞっていかれました。
「一日目、これ、水だけかい」
「水だけでございます」
「三日目は」
「粥でございます。薄いもの」
「あいだの二日目は」
「米の汁に、粒を十、二十、三十でございます」
バルダ様の指が止まりました。
「粒を、数えるのかい」
「数えます」
「なんでだい」
「増やす量を、作る者の匙加減に任せないためでございます。ひとすくい、と書きますと、その日その人の手の大きさで変わります。十粒と書けば、誰が作っても十粒でございます」
バルダ様は、しばらく紙を見ておられました。それから、こう仰いました。
「うちの息子が小さいころ、腹をやられたときはね」
「はい」
「三日、重湯だけ飲ませたよ。四日目にちょっと粥にして、そしたら戻してさ。また重湯に戻した」
「戻されたのは、増やした量が多かったからでございます」
「そうなんだろうね。あんたのこれ見て、いま分かった」
バルダ様は紙をこちらへ押し返されました。
「三十年、勘でやってたんだよ」
「勘で正しくやっておられたのなら、それは技でございます」
「うまいこと言うね」
「本当のことでございます」
バルダ様は火を落とされました。
「早く出しな。四日かかるんだろ」
「四日でございます」
「あと四日、その子は水も飲めないんだよ」
封をして、翌朝の便に乗せました。ラントから王都まで四日でございます。その四日のあいだ、わたくしは畑におりました。
根菜を抜く時期でございます。抜いてよいものと、あと十日置いたほうがよいものがございます。葉の色と、根の肩の出方で分かります。肩が土から一寸ほど出て、葉の縁が黄ばみ始めたものが頃合いでございます。
ヴァンス様が畝の向こうから声をかけてこられました。
「送ったのか」
「はい」
「なんて書いた」
「献立でございます」
「薬は」
「存じません」
「じゃあ効くのか、それ」
わたくしは根を一本抜いて、土を落としました。
「効きません」
「効かないのか」
「治すものではございませんので。ただ、悪くならないようにはできます」
ヴァンス様は畝をまたいでこちらへ来られました。
「悪くならなけりゃ、そのうち治るのか」
「そのうち治る方は、そのうち治ります。治らない方は、何をしても治りません。わたくしが決められるのは、そのあいだに悪くしないことだけでございます」
「なるほどな」
ヴァンス様は根を一本抜かれました。まだ小そうございました。
「これは」
「あと十日でございます」
「見りゃ分かるのか」
「肩でございます。土から一寸出ておりません」
ヴァンス様は根を穴に戻して、土をかけられました。
五日後に、返事がまいりました。
給仕頭からでございます。
こう書いてございました。
六日目の朝、起きました。
二日目までは戻しておりましたが、三日目の粥から戻さなくなりました。四日目に自分で起き上がって、五日目に厨房へ出てまいりました。まだ立たせておりません。
鼠取りの皿は十一枚でございました。足りない一枚は、裏の甕の後ろにございました。八年前から置き場は北の物置と伺っておりましたが、いつからか裏へ移っておりました。誰がいつ移したのかは、誰も覚えておりません。
水は北の井戸に替えました。書いて残すことも、いたしております。厨房の者三人が交替で、何刻に何をしたかを書いております。三人とも、はじめは何を書けばよいのか分からないと申しておりました。いまは書いております。
その紙が、六日で十四枚になりました。
同じ封に、もう一枚入っておりました。薄い紙でございます。字が震えております。前より少しだけ、線の終わりが持っておりました。
三行でございました。
いれーなさま
こめのつぶを、かぞえてくれたひとがいましたぼくは、まだ、にがいとしか、いえません
わたくしはその三行を読んで、二度読み返しました。
一行目でございます。
米の粒を数えてくれた人がいた、と書いてございます。
誰かが、厨房で、あの子の椀に十粒を入れたということでございます。翌日は二十、その次は三十。数えるのは面倒でございます。ひとすくい入れれば済むものを、三日のあいだ、誰かが指で数えました。
わたくしはその人の顔を存じません。存じませんが、数えたということだけは分かります。数えなければ、あの子は四日目に戻していたはずでございますので。
三行目でございます。
あの子は、まだ言えないと書いております。言えるようになったとは、どこにも書いてございません。
毒見役の言葉は、覚えるのに七年かかります。わたくしがそうでございました。父に教わって、はじめの三年は「変な味がします」しか言えませんでした。変な味、では帳面に書けません。書けない言葉は、伝わらない言葉でございます。
苦い、というのも同じでございます。
あの子はいま、そこにおります。七年のうちの、一年目でございます。治ったのは体でございます。言葉のほうは、誰も教えておりません。誰も教えないまま、あの子は明日もまた、十七の皿の前に座らされます。
わたくしは紙を畳んで、机の引き出しに入れました。給仕頭の手紙の終わりに、もう一行ございました。
あの献立の写しを、一部お預かりいたしました。お求めになった方のお名前は、書きません。
わたくしは、そこを二度読みました。控えの棚にでも置かれるのでしょう。厨房の者が三人で書いているのですから、手元に一部あったほうが早うございます。
そういうことだと思いました。
筆跡までは、まさか見られますまい。
塩ひとつまみというのは、指三本でつまんで半分が落ちるくらいの量です。落ちたぶんがひとつまみで、手に残ったほうは多すぎます。厨房ではこれが伝わらないので、わたくしは八年、必ず「落ちたほう」と書き足しておりました。
明日は、王都から人がまいります。馬車が二台、坂を上ってくるそうでございます。




