第5話 二度目は、毒見役がいるのに
ラントの市は、五日に一度立ちます。
坂の途中の平らな場所に、幌を張った店が二十ほど並びます。王都の市の十分の一もございません。かわりに、どの店も売っている人が作った人でございました。
ヴァンス様に頼まれてまいりました。冬の買い置きを決めるので、見てくれと。
「見るというのは、どこまででございましょう」
「食えるかどうかだ」
「それでしたら、ほとんど食えます」
「じゃあ、どれが長くもつか」
「承知いたしました」
塩漬けの肉を三軒、豆を四軒、干した果物を二軒まわりました。
塩漬けは、二軒目のものが良うございました。塩の当たりが均一で、表面の乾き方が揃っております。一軒目は塩が薄く、三軒目は肉を切る前に塩をしております。切ってから塩をしたほうが、内側まで入ります。
豆は、四軒目を外しました。去年のものと一昨年のものが混ざっております。混ざったものは煮え方が揃わず、煮えていない粒だけが硬く残ります。
干した果物は二軒とも杏でございました。
一軒目は色が濃く二軒目は薄うございます。濃いほうが良いと思われがちですが、逆でございます。濃いのは干す前に一度火を通しているからで、火を通すと日持ちはしますが香りが飛びます。薄いほうは日と風だけで干したものです。冬の終わりまで持たせるなら一軒目、正月までなら二軒目でございました。
わたくしはそう申し上げるつもりで、口を開いて、それからやめました。どちらが良いかを聞かれておりません。長くもつのはどちらかを聞かれております。
どれも傷んではおりません。傷んでいないものの中から、より良いものを選ぶという仕事は、はじめてでございました。八年わたくしがしてきたのは、傷んでいるものを外す仕事でございます。外す仕事と選ぶ仕事は、使う場所が違うようでございました。
外す仕事は速うございます。ひとつ見つければそこで終わりだからです。
選ぶ仕事は終わりません。どれも外れないので、最後まで全部を持っていなければなりません。市を三軒まわるだけで、頭のなかに肉が三軒ぶんと豆が四軒ぶん残りました。八年で一度も使わなかった置き場でございます。
三軒目の干し果物のところで、聞き覚えのある声がいたしました。
「あんた」
振り返りましたら、麻の袋を積んだ荷車の脇に、あの方が立っておられました。王宮の控えの間で、三日待っておられた方でございます。
「ご無沙汰しております」
「なんでこんなとこにいるんだ」
「雇っていただきました。畑の味見でございます」
「畑の」
「はい」
その方は、荷車の縄を叩かれました。
「おれもだよ。売り先が北しか残ってねえ」
「あの三袋は」
「三日外に置いたやつか。ありゃ捨てた」
その方は笑われました。笑い方が乾いておりました。
「あれから五日、通ったんだ。五日通って、五日とも同じ椅子だ」
「検分は」
「済まねえよ。子どもが一人いるだけだ。あの子が十七皿の毒見をやって、そのあとに蔵の検分をやるんだと。回るわけがねえ」
回りません。
蔵の検分は、晩餐とは別に半日かかります。八年、わたくしは朝に蔵、夕に晩餐という順でやってまいりました。順を入れ替えると、蔵のほうが後回しになります。後回しになったものは、翌日に持ち越されます。持ち越しは溜まります。
わたくしは干し杏を一つ買いました。その方は、袋のひとつをほどいて中を見せてくださいました。北の海の魚でございます。良い干し方でした。
「あんたに聞きたいことがあってな」
「はい」
「王宮の茶、あれ、西の葉だろ」
わたくしは顔を上げました。
「ご存じでございますか」
「入れてるのがおれの知り合いだ。三年前からだよ」
三年前でございます。
「知り合いが言うにはな、内膳頭のとこから話が来たんだと。同じ値で倍入れられるところに替えると。それで西の葉になった」
「同じ値で倍」
「ほかにも替わってる。油も、酢も、干し肉も。全部、三年のあいだにな」
その方は袋の口を縛り直されました。
「まあ、上の帳面じゃそんなことになってねえだろうがな」
なっております。
全部、書いてございます。
油が替わった日と、その油で揚げたものの香りの落ち方。酢が替わった日と、酢が薄くなったぶん菜の日持ちが二日縮んだこと。茶が替わった日と、湯の温度を五つ下げるべきだと申し上げたこと。
三年ぶんでございます。月に一冊、三十六冊。どの頁にも日付と、わたくしの名前が入っております。
わたくしは、そこで一度、市の音を聞かなくなりました。棚の三段目。九十六冊。ギルベール様が二歩お進みになって、それから止まられた、あの棚でございます。
あのとき背表紙をご覧になっているのだと思っておりました。どれがどれかは背の文字を読まねば分かりませんので、読んでおられるのだと。
違ったのかもしれません。
あの棚には三年ぶんの替えが書いてございます。替えた日と、替えた先と、替えたことで何がどう落ちたか。落ちたぶんをどこで補うべきかも書きました。補われたことは一度もございません。
わたくしは八年、それを仕事だと思って書いておりました。書いて渡して、読まれずに戻ってくる。戻ってきたら棚へ入れる。入れたら次の日の朝がまいります。
読まれない紙を毎日書くのは、慣れます。慣れると、書くこと自体が目的のようになってまいります。
ただ、読まれないというのは、無いということではございませんでした。
あの棚は、三年のあいだ誰も開かなかった代わりに、三年のあいだずっとそこにございました。開かないというのは、いつでも開けるということでもございます。
開けられたら困る方が、この話には一人おられます。わたくしはその方に、匙を返してまいりました。
受け取っていただけませんでした。
「おい、どうした」
「……いえ」
「顔が白いぞ」
「もともとでございます」
その方は、袋のなかから魚を一枚出して、こちらへ差し出されました。
「持ってけ。売れ残りだ」
「頂戴いたします」
屋敷へ戻りましたら、ヴァンス様が門のところに立っておられました。手に紙を持っておられます。折り目がまだ立っております。今日届いたものでございます。
「王都からだ」
「はい」
「読むか、それとも聞くか」
「お聞きいたします」
「オルシュ侯爵家の娘が、また倒れた」
わたくしは、干し杏の袋を持ち直しました。
「昨夜の晩餐でだ。三皿目の途中で倒れて、そのまま運ばれた。前と同じらしい」
「毒見は」
「済んでる。その子どもがやった。全部の皿に匙を入れて、印も押してある」
済んでおります。
済んでいるのに、倒れられました。
「王宮は、いま何と申しておりますか」
「二つに割れてるそうだ」
ヴァンス様が紙を畳まれました。
「ひとつは、子どもが見落としたという話。もうひとつは」
「もうひとつは」
「前の毒見役が犯人なら、もう王宮にいないのに、なぜ二度目が起きるのかという話だ」
夕方の風が坂を下ってまいりました。誰かがようやく、それを口に出したのでございます。二度目が起きるまで、誰も口に出しませんでした。一度目のときには、誰も。
「殿下が、帳面を出せと仰ったそうだ」
わたくしは顔を上げました。
「昨夜の分ではなく、八年ぶん全部だと。それで」
ヴァンス様が、こちらをご覧になりました。
「内膳頭が、紛失したと答えた」
わたくしは、しばらく何も申し上げませんでした。紛失とは、無くなったということでございます。
九十六冊でございます。厚みは、両手で抱えて胸までございます。棚の三段目に、隙間なく並んでおりました。わたくしが最後の一冊を入れて、棚が埋まりました。埋まったところを、わたくしは見て出てまいりました。
あれが、無くなるということが、ございましょうか。
「イレーナ」
「はい」
「あんた、あれを書いたんだよな」
「書きました」
「そうか」
ヴァンス様は、それ以上お聞きになりませんでした。屋敷の窓に灯りが入りました。バルダ様が夕餉の支度を始められたのでしょう。豆の煮える匂いがいたします。塩は、まだ多うございました。
蔵の検分と晩餐の毒見は別の仕事です。前者は半日、後者は一日の終わりにあります。順番を入れ替えると蔵のほうが後回しになり、後回しは必ず翌日へ持ち越されます。持ち越しは、溜まるまで誰にも見えません。
九十六冊の帳面は、両手で抱えて胸までの高さがあります。無くすには、少々かさばります。




