↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒見役を追い出したので、王宮の食卓に保証はありません  作者: 星詠みミラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/15

第14話 保証は、置いてまいります

 四人が広間に通されました。


 式部の御方。給仕頭。それから見覚えのない五十ほどの男の方。


 最後に、背の低い子が入ってまいりました。わたくしがその子を正面から見るのは、はじめてでございました。廊下ですれ違ったことは二度ございます。二度とも目を合わせておりません。


「ティモと申します」


 その子はそう申しました。それから両手を膝でこすりました。


「イレーナ・ドーレンでございます」


「……はい」


「歩いてこられましたか」


「はい」


「坂は」


「ながかったです」


 わたくしは椅子を勧めました。座られませんでした。座ってよいと言われたことがないのだと思います。八年前のわたくしと同じでございます。


「座ってよろしゅうございます」


「はい」


 それでも立っておられましたので、そのままにいたしました。式部の御方が、書状を出されました。


 封に、殿下の印がございました。


「読み上げる」


 三つ、書いてございました。ひとつ。先の断罪において、王宮は誤った。イレーナ・ドーレンに落ち度はない。適性を欠くという判断は取り消す。


 ふたつ。当時の内膳頭による記録の秘匿と、進言の握り潰しについて、王宮は責を負う。みっつ。以上を、王宮の記録に残す。


「以上だ」


「ありがとうございます」


「三つ目が肝要だ」


 式部の御方が仰いました。


「消すのではない。残す。そなたが正しく、王宮が誤ったと、紙に書いて残す」


 わたくしは頭を下げました。八年つとめて、王宮から紙をいただいたことは二度ございます。一度目は採用の書き付けで、二度目が罷免の申し渡しでした。どちらも半枚でございます。


 三度目のこれは、一枚半ございました。消すと仰らなかったことが、いちばんありがたうございました。消すというのは無かったことにするということでございます。無かったことにされますと、次に同じことが起きたときに、誰も前の例を引けません。


「それから、これは殿下の言葉だ」


 式部の御方が、書状を裏返されました。


「三度目になるが、戻ってきてもらえぬか、と」


「お断りいたします」


「三度目だぞ」


「三度目でございます」


 式部の御方は少しだけ笑われました。わたくしは立ち上がって隣の部屋から包みを取ってまいりました。


 卓の上に置いて布を開きました。


 紙の束でございます。厚さは指を三本重ねたくらいでございます。十日で三分の一と申し上げましたのは、記法のところだけでございました。灰汁の色の話をうかがってから、あとは早うございました。


 早かったのは、書き方が分かったからでございます。それまでは、正しいことを正しく書こうとしておりました。正しく書こうとしますと、例外を全部拾わねばなりません。例外を拾うと、どの行も長くなって、長い行は読まれません。


 いまは、こう書いております。まず短く言い切る。そのあとに、当てはまらない場合を一つだけ足す。二つ以上ある場合は、行を分ける。


 読まれない紙を八年書いてまいりましたので、読まれる紙の書き方を、わたくしは知りませんでした。


「これは」


「御膳検分覚書と申します」


 わたくしはいちばん上の一枚を出しました。


「四つに分かれております。一つ目が記法の読み方。九十六冊を読むためのものでございます。二つ目が、検分の順序。三つ目が、判断のつけ方。四つ目が、蔵と厨房の見回り方でございます」


「三つ目が、書けなかったところであろう」


「はい」


「書けたのか」


「半分ほど」


 わたくしは三つ目の束を開きました。


「たとえば、灰汁は三度取って四度目は取りません。四度目かどうかは、色で分かります。三度目までは灰色で、四度目は白うございます。白いものは豆から出たもので、取ると味が薄くなります」


「……それは」


「厨房の者に教わりました」


 式部の御方が給仕頭のほうをご覧になりました。


「わたくしは、その書き方でよいのだと十日前に気づきました。それまでは、こういうことは言葉にならないと思っておりました。父がそう思っておりましたので、わたくしもそう思っておりました」


 わたくしは束を戻しました。


「父の知っていたことは、父で終わりました。わたくしのぶんは、ここに書いてございます」


 見覚えのない男の方がはじめて口を開かれました。


「新しく内膳頭を仰せつかりました」


「はい」


「うかがいたい」


 その方は卓の束をご覧になりました。


「これがあれば、王宮の食卓の保証は立ちますか」


「立ちません」


 広間の空気が少し動きました。


「紙だけでは立ちません。紙と、読む者と、読んだとおりにやる者が要ります。三つ揃って、はじめて立ちます」


「では、そなたが要る」


「わたくしは要りません」


 わたくしは申し上げました。


「八年、王宮の保証はわたくしの舌でございました。舌は一つでございますので、一つが抜ければ保証も抜けます。実際に抜けました。使節の晩餐が流れて、条約が半年延びましたのは、そういうことでございます」


「……はい」


「保証を一人の舌に載せますと、その一人がいなくなった日に全部が止まります。ですので、載せる先を替えていただきたいのです」


「替える先は」


「これでございます」


 わたくしは束に手を置きました。


「わたくしは戻りません。保証のほうを、置いてまいります」


 しばらくどなたも仰いませんでした。新しい内膳頭様が束を手に取られました。厚さを確かめるように両手で持ち上げて、それから卓に戻されました。


「重うございますな」


「四つ目まで書きますと、あと倍になります」


「倍」


「春までに書きます」


 それからティモのほうを向きました。


 まだ立っておられます。


「ティモ様」


「……はい」


「冬のあいだ、こちらにおられますか」


 ティモが顔を上げました。


「坂が閉まっております。春まで王都へは戻れません。戻れませんので、そのあいだ、ここにいていただきたいのです」


「なにを、するんですか」


「教わっていただきます」


「ぼくは」


 ティモは両手を膝でこすりました。


「ぼくは、にがいとしか、いえません」


「はい」


「だから、だめだと言われました」


「だめではございません」


 わたくしは申し上げました。


「苦い、というのは正しい言葉でございます。ただ、苦いには七つございます。焦げた苦み、青い苦み、油の回った苦み、薬の苦み、金気の苦み、古い豆の苦み、それから、鍋を洗い残したときの苦み。七つを七つとも苦いと申しますと、伝わりません。七つに名前をつければ、伝わります」


 ティモはわたくしの顔を見ておりました。


「なまえを、つければ」


「はい」


「それだけですか」


「それだけでございます。それだけを、七年かけて覚えました」


 ティモは、しばらく黙っておりました。この子は、あの晩、王太子殿下の御前で吐いております。壇の下で膝をついて、内膳頭様に苦いで済むと思うかと問われて、答えられませんでした。


 あれから三月でございます。三月のあいだ、この子に何と言えばよいのかを教えた者は、一人もおりません。教えないまま毎晩十七の皿の前に座らせて、間違えるたびに叱っておりました。


 叱るのは、いちばん楽な教え方でございます。教える側に何も要りませんので。ティモが顔を上げて、卓のほうを見ました。


「そこに、書いてありますか」


「三つ目の束に、四つまで書いてございます。残る三つは、まだ書けておりません」


「じゃあ」


 ティモが一歩前へ出ました。


「じゃあ、ぼくがおぼえたら、書けますか」


 わたくしは束の一枚目を取って、その子に渡しました。


「お名前を、ここへ書いていただけますか」


「なまえ」


「この覚書を継ぐ方の名前でございます。いちばん上に書きます」


 ティモは紙を受け取って卓に置き、筆を取りました。両手を膝でこすろうとして、途中でやめられました。


 拭かずに、筆を持たれました。書かれた字は崩れておりました。線の始めが強く、終わりが弱うございます。ただ、順番は合っておりました。


 その晩、わたくしは自分の部屋で覚書の四つ目を書きはじめました。あと倍でございます。春までに書き上げれば、全部済みます。


 済みましたら、この仕事は終わりでございます。


 終わりましたら、そのあとどうするのかはまだ決めておりません。決めておりませんが、決めなければならないことは、もう一つも残っていないはずでございました。

 苦いには七つございます。焦げた苦み、青い苦み、油の回った苦み、薬の苦み、金気の苦み、古い豆の苦み、鍋の洗い残しの苦み。七つを七つとも「苦い」と申しますと伝わりません。名前をつければ伝わります。それだけを、わたくしは七年かけて覚えました。

 覚書の一枚目には、いま、崩れた字で名前が書いてございます。

 春になれば坂が開きます。開いたら、あの子は王都へ帰ります。帰るまでに、七つのうちいくつに名前がつくでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。