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街を歩きながら、男の子は何度も、スゥに話しかけた。
「おねえさん、名前は?」
「スゥ。きみは?」
「レイン。雨の降る日に生まれたからって、かあちゃんがつけてくれた」
区画と区画をつなぐ細い路地を、レインはするすると進んでいく。
区画を移動するごとに、レインは、通りにあるものをあれこれと紹介した。
「スゥはどこから来たの?」
「ここからずっと西にある街」
「どんなところ?」
「工場ばっかり建ってて、毎日空が曇ってるところ」
「ええ、なんか息苦しそう」
「レインは、ほかの街に行ったことある?」
「ないよ。働いてるんだもん、旅行する暇ないって」
「じゃあ、この街のこと、教えて」
「まっかせて! それならまず、ここのカフェ! ハニートーストがすげえうまいんだって。街のおばさん、みんながうわさしてるんだ」
空を見れば、ちょうど、太陽が真上に上っていた。
スゥは言った。
「ちょうどお昼だし、寄ってもいい?」
「じゃあ、食べておいで……ぼく、待ってるから」
「そんなこと言わないで」
と、今度はスゥが手を引いた。
「いっしょに行こう。おごってあげる」
「いいの?」
「もちろん、案内してくれたお礼に」
「やった!」
——太陽が西に傾いていく。
レインの案内で、街を見て回っていたら、いつのまにか午後を過ぎていた。日差しはまだ明るいが、わずかに茜が混じっている。日差しは斜めに街を照らし、影を長く、色濃くしている。
レインはゆったりした足取りで、さいごの路地を進んだ。
レインの口数が減っている。
歩き疲れたのか。
話し疲れたのか。
カフェのハニートーストを食べすぎたのか。
スゥは、だまって、レインの後ろをついていった。
路地を出ると、さっきよりずっと広い場所に出た。
さっきまでの通りとちがって、左右に広がる景色に、建物の連なりは見つからない。
その代わり、スゥの目の前に、大きな塀が張り巡らされていた。塀の左右は、奥に大きくカーブしている——塀は、その先の敷地を円形に囲んでいるようだ。
レインが塀を指さした。
「あの足は、この塀の向こうだよ。神父様の敷地にあるんだ」
「神父様?」
レインは、わずかに息をついて、
「街の領主、みたいな人。その人、神様の声が聞こえるんだって。だから、神様の近くに住んで、いつでもその声を聞けるようにしてるとか」
レインが、塀を見上げる。塀の高さと、いまいる場所の関係で、いまは塀の向こうに、巨大な足は見えなかった。
レインが言った。
「この向こうに、神父様の家がある。ほら、向こうに、大きい門があるでしょ。神父様とか、シスターが街に来るときは、あの門を通ってくるんだ」
レインが言うように、塀の左手に、大きな鉄の門が見えた。門の前には、槍を持った門番が立っている。
スゥはじっと、門の方を見つめた。
「じゃあ、あの足を見ようと思ったら、あそこを通るしかないんだね」
「そういうこと。でも、すぐにみられるわけじゃない。神父様にあいさつしないと」
「自由に見られるわけじゃないの?」
「あたりまえじゃん。足神教に入信するときに、あの足を前にして、なにかお祈りみたいなのをするんだけど、そのときにしか見えない——」
そこまで言って、レインはふと、スゥを見上げた。
「スゥは、なんで、足が見たいの?」
「それが目的だから」
「旅の?」
「そう、旅の」
レインは、ふんっと鼻を鳴らした。
スゥはたずねた。
「レインは見たことあるの?」
「まあ……そうだね」
レインは塀に背を向けて、路地を引き返した。
この場所に案内できるところは、もうないらしい。
スゥは一度、塀に振り向いて、レインの後を追った。
露店が店じまいする前に、スゥは目星をつけていた雑貨屋に立ち寄った。
新しいブラシとタオルを取り、それから、ほかに入用のものがないか探す。
そのあいだ、レインは、店の端にある棚を見ていた。
ほかにほしいものがなく、スゥは会計をすませる。
「銀貨一枚ね」と店主。
スゥはポーチの中に手を入れ、包みから銀貨二枚を取り出し、店主に渡した。
「あれ、一枚多いよ?」
「チップです。受け取ってください」
店主は断ろうか受け取ろうか、迷うような顔をする。しかし、スゥのあどけない笑顔に当てられて、照れたように笑った。
「じゃあ、ありがたく」
「はい」
スゥが会計を終えると、それを見越したように、レインが棚から離れた。
「そんなの買ってどうするの?」
「靴をきれいにする」
「靴?」
レインがスゥの足元を見る。一日じゅう歩いて、スゥのトレッキングブーツには、ところどころ土汚れがついていた。
「ぜんぜんキレイじゃん」
「キレイに見えても、キレイにしたいの」
「なんで?」
「一日歩けば、靴だって疲れるから」
レインは、きょとんとまばたいて、次の瞬間には、可笑しそうに笑った。
「スゥって、なんか変だな。靴が疲れるわけないじゃん」
ふたりは並んで、スゥの泊まる宿まで帰ってきた。
「これ」
と、スゥはポーチに手をいれ、金貨を一枚取り出して、レインの手におさめた。
レインは、なにを渡されたのかわからないような顔をして、何度かまばたいたのち、ぶるっと背筋をふるわせた。
「こ、こんな大金、もらっていいの?」
「うん。街を案内するのがお仕事なんでしょ。これはその対価」
「で、でも、おれ——ああいや、ぼく、カフェでごちそうになったし。てっきりそれがお代だって」
レインは、手の中の金貨を凝視して、おずおずと上目になる。
「ほ、ほんとに、いいんだな」
「いいよ」
レインは、遅れてやってきた喜びにつき動かされたように、飛び跳ねながら、夕暮れの向こうに去っていった。
スゥが一度まばたいて、そのときにはもう、レインは長い影になっていた。
「おい」
トレッキングブーツから、不服そうな声がした。
「見てたんだろ?」
「うん」
「じゃあなんで金貨なんかやった?」
「それとこれとは話が別」
スゥは宿に足を向ける。
「わたしのために一日使ってくれたんだから、その対価は払うべき」
それより、とスゥは言った。
「どうしようかな」
「なにが?」
「わたし、まだ足を見てない。足を見るために、この街に来たのに」
「歩いて越えろよ。それくらいできるだろ」
「あの先は神父様とかいうひとの敷地でしょ。勝手に入ったら怒られちゃう」
「変なところで律儀だな」
——その日の夜。
スゥは、宿の店主がつくってくれた豪華な料理を味わって、部屋にもどった。
昨日と同じように、水の張った木桶を用意して、トレッキングブーツを、ブラシとふきんできれいにする——使っているのは、昨日使ったのと同じブラシとタオルだ——最後に乾拭きをして、ブーツを置いた。
使い切ったブラシとタオルは、ゴミ箱に。
今日買ったブラシとタオルを、バックパックに。
そこで、はたと、スゥは手を止めた。
「……いいこと思いついた」
「なんだ?」とブーツ。
「あの足を見る方法。それに、ちょうど、興味もあったし」
「興味だあ?」
スゥはジャケットとハーフパンツを脱いで、ベッドに仰向けに寝転がった。
「この街の、神様ってやつに」
木目のまばらな天井を見つめる。
その天井に、明日からの予定を映しているあいだに、いつのまにか、眠っていた。




