14
——とある森の奥深く。
どこにでもあるようなその森に、大きな樹が生えていた。
その樹はあまりに大きくて、木の根が地面から盛り上がり、木の幹と根のあいだに、ちょっとしたスペースをつくっていた。落ち葉を集めれば、急繕いの寝床ができあがる。どこにでもあるような森だが、ここまで都合のいい場所は、そう見つからない。
スゥは、焚火を燃やして、罠にかけたウサギをさばいて、火にかけた。
肉が焼けるのを待つあいだ、バックパックから巻物を取り出して、ひざの上に広げた。
大きな地図だ。地図のそこかしこに、だれかが書いた印やメモが残されている。印の中には、人間の足のようなものが描いてあって、そこに、例の巨大な足があるとわかる。スゥは、自分のいまいる場所をたしかめると、地図をしまった。
空を見上げる。
森の木々が重なって、いびつな円をつくっていた。その円の中に、たくさんの星がまたたいている。……ふと、はじめて旅に出た日のことが、思い出された。
「そういえば、話したこと、なかったっけ」
スゥは言った。
「わたしね、弟がいたの。わたしより九歳下で、生まれたときは、ぷにぷにのマシュマロみたいで、かわいいなって思った。でも、生まれたときから肺が弱くて、長くは生きられないだろうって、お医者さんに言われてたんだ」
「初耳だな」
ブーツが言った——茶色い革製の基礎に、黒塗りのソールがついている——スゥのトレッキングブーツだ。
スゥはうなずいて、
「たぶんもう、死んじゃってると思う。ほんとうは、たくさんお金をかせいで、弟の病気を治してあげたかったんだけど……」
「そう決めつけるのは、早いんじゃねえか?」
ぱちっと火が弾けて、薪がくずれる。
スゥの瞳の中で、明るい炎が、さみしくゆれている。
スゥは、首を横にふって、
「あの街は、長いあいだ、食糧難におそわれていた。街が工業化したうえに、あの左足が余所者をたくさん呼びこんだせいで、閉じた街が人であふれかえったの。だいたいの食糧は、南区の貴族たちに供給されて、ほかの区画の人は飢える一方だった。空気も悪くて、ごはんもまともにない……そんな街で、ひ弱な弟が、生きていられるはずがない」
——それに、と。
「それに、そんな状況でも、余所の街から人が来るし、街のみんなは、子どもを産みつづけた。食料は足らなくなる一方で……だから毎年、儀式と称して、子どもを崖から落としていたの。神様の遣いに出すって言えば、信心深い人たちは、みんな信じたから」
「うへえ、おっかねえ」
スゥもそう思う。
もし、あの街に、ジェーンが来てくれなかったら、どうなっていただろう。少なくとも、いまのわたしは、ここにいない。こうして旅に出ることもなく、暗い地底の染みになって、だれの記憶からも、忘れられたにちがいない。
スゥは言った。
「あなた、わたしをあの街から連れ出すのに、すごく気を使ってくれたんでしょ。なにか気がかりなことがあったら、わたしはあのまま、旅に出られなかっただろうから。たくさん嘘をついて、わたしの足を、無理にでも、前に出させてくれたんだよね」
「さあね。昔のことすぎて、忘れちまった」
ブーツの、ひょうひょうとした物言いに、スゥはかすかに笑った。
本当のことばかり言っていても、うまくいかない。
自分が動くために。
だれかを動かすために。
時には、嘘が必要になる。
ブーツがどうだか知らないけれど、スゥはたしかに、嘘をついていた。
お金を効率よく稼ぐため、男の子のふりをした。
男の子の服を着て。
男の子の名前を使って。
そのほうが動きやすかった。
嘘をつくことの大切さを、スゥは、身をもって知っていた。
夜風が森を吹き抜けて、スゥの髪をなでていく。
つられて、スゥは夜空を見た。
森の木々に囲まれた暗い空に、数多の星が輝いている。
なんだか、あの空の向こうに、切り立った崖があるような気がした。
崖の向こうには、暗い闇。
その闇の中に、星のような輝きを見つけた。それは、ジェーンの、切れ長の目だった。見た目はちょっと怖いけど、話してみると、意外にやさしい。夜空に映ったジェーンの瞳は、真っすぐ、スゥを見つめていた……
もちろん、それはただの幻想だと、わかっている。
けれど、スゥは、そこにいるジェーンに向けて、つぶやいた。
「わたしの名前は、スゥ」
スゥの目から、涙がこぼれる。
「なに泣いてんだ?」
「……なんでもない」
スゥは深く息をついて、
「ジェーン、死んじゃったんだなあって」
スゥは涙をぬぐって、ちょうどよく焼けたウサギ肉をつかんだ。
二本の木の枝を、ナイフとフォークのようにして、肉をはさみ、その真ん中に、思いきりかぶりついた。
——断崖の足 了




