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そこは、旅人のあいだで、とても有名な街だった。
遠い昔、そこはただの荒地だった。見るものもなく、飾るものもない。冬になれば猛烈な吹雪が襲いかかり、雪の白と、闇の黒が支配する。春になれば雪は解けるが、あとから出てくるのはやはり、緑のない、荒れた大地だった。
あるとき、そこに巨大な隕石が落ちた。
隕石は、莫大な威力で地上にぶつかり、半径数十キロメートルの、とてつもないクレーターを生み出した。地上が破壊された余波により、クレーターの周囲には、めくれた地表が盛り上がって、大きな岩山ができた。岩山は、底の深い丸皿のように、クレーターをぐるっと囲んでいた。
それだけなら、人が集まり、街をつくったりはしない。
クレーターの内側——そのちょうど真ん中に——一本の足が立っていた。
ふつうの人間の数百倍もある、大きな左足だ。
骨の太さからして、年ごろの少女のものだろう。
つるっとした肌には、傷ひとつ見つからない。
太ももより上は、空気にかすむように透明になっていて、そこで切れているのか、それともその上に胴体があるのか、だれにもわからなかった。
またあるとき、とある遊牧民が、荒涼とした大地に、足を踏み入れた。毎年、春になると、彼らはさらに北の草原地帯に向かうのだが、この荒地は、その旅路の途中にあった。
遊牧民たちは不思議に思った。
半年見ないあいだに、荒地の形が変わっている。
遊牧民は、隕石が落ちたことを知らなかったのだ。
そして、知らぬ間にできていた岩山を見れば、大きな山稜から、巨大な肌色の柱が伸びているではないか。
遊牧民は興味を持って、長い遊牧生活で鍛えた強靭な足で、急こう配の山を上っていった。そのさきには、岩山に囲まれたお盆型の土地の、ど真ん中に、人間よりはるかに巨大な足が立っているのを見つけた。
遊牧民は、それを神の足とあがめ、クレーターの内側に、定住するようになった。
神の足は、不思議な立ち方をしていた。クレーターの内側は、まっさらな土地ではなかった。巨大な足がふんでいる岩肌の広場が中心にあって、その周りを取り囲むように、円状の溝ができていた。溝というより、崖といったほうがいい。
断崖だ。
橋をかけようにも、あまりに淵が広すぎる。足場を見つけようにも、切り立った崖には、足場にできるような場所はない。まるで、神が、だれひとり近づくなと言っているかのようで……遊牧民はますます、その足をあがめるようになった。
いつしか、ほかの遊牧民や、旅人が集まって、街ができた。
技術のある者は、周辺の岩石や粘土を細工して、色とりどりの家を建てた。
力ある者が協力して、岩山にトンネルを掘った。
トンネルによって、より多くの人々が行き来できるようになった。遠方の、温かい色合いの木材が運びこまれた。肉が運びこまれた。魚が、野菜が、他の街の特産品が、いくつも街にやってきた。
観光客も増えた。その中には、信仰心の強い者も大勢いて、「神の踏む地」を巡礼しようと、団体を伴ってやってくることもあった。彼らが街を去れば、また別の者に、巨大な足が噂となって広まっていく。
旅人どうしで話していれば、その街にはトンネルがあり、わざわざ急こう配の山を越えなくても、街を行き来できると、だれでも知ることができた。
近辺の街々で、この足を知らない者はいなかった。
何百年もの時が過ぎた。
いまや、急こう配で、舗装された道のない岩山を、苦労して上る人はいない。あの山を上ろうとするのは、街の事情を知らない旅人や、クレーターの内側にいまだ神秘が隠されていると思いこんでいる馬鹿者くらいだ。
では——
「よっ、ほっ、たあ!」
——軽快なステップで、荒れた山道を進む、この女性は、いったいどちらだろう。
その女性は、岩山の頂上を目指していた。
ひとつ地面を蹴るたびに、つばのある帽子の後ろで、短いポニーテールが、ひょこひょこと揺れている。切れ長の目に、疲れの色はひとつもない。大きなバックパックを背負っているが、足取りは軽く、汗を少しもかいていない。防寒用の分厚いジャケットの下には、ひざ丈のハーフパンツに、黒のレギンス、そして、茶色い見た目のブーツという、山登りをするには、いささか心元ない装備をしていた。
女性は、ついに、岩山の頂上にたどりついた。
季節は春。
地上には温かい風が吹いているのに、岩山の頂では、凍えるような風が吹き荒れている。砂利や凹凸があるせいで、足場はひどく不安定だ。気を抜けば風の餌食になって、岩肌を転がる小石と同じ運命をたどるだろう。
しかし、その女性は、吹き荒れる風をものともせず、二本の足でしっかり立っていた。
彼女は、堂々たるたたずまいで、眼下の景色——クレーターの内部に広がる街を、期待のまなざしで、見下ろした。
「……んん?」
女性は、けげんそうに首をかしげた。
「おかしいな。聞いてた話とちがう」
女性が見下ろす先には、街がある。
隕石の衝撃でできたクレーター。
灰色の空気にかすむ先——街の中心には、巨大な左足が、ずんとたたずんでいる。
その足は、切り立った断崖に囲まれていて、地の淵から伸びる柱のてっぺんのような、わずかな地面を足場にしていた。
そこまでは事前に聞いていたとおりだ。しかし……
女性はすうっと、息を吸いこんで、
「なんか、煙たいな」
よくよく街を見渡すと、異国めいた石造りの街の、あちこちに、細長い煙突のある建物がいくつも建っていた。
考えるまでもない——工場だ。
なにを作っているのだろう。岩山の上にも、工場の方から、金属を打ち鳴らす甲高い音が、響いている。工場の煙突からは、灰色の煙がもくもくと立ちのぼっていて、風にあおられて、街全体に広がっていた。
煙に包まれた街。
そう聞いていれば、いまのこの、陰鬱な街並みを、疑問に思うことはなかっただろう。
女性が、ひとりごちる。
「……え、なんだって?」
まるで、そばにいるだれかと、話すみたいに。
「えっとね。私が聞いたのは、岩山の向こうに足があって、その周りに、きれいな街があるよって話。……それは、えっと、十年くらい前かな。ほら、私と同業の、リジェルっているじゃん。あいつから聞いた」
ややあって、女性はむっと口をとがらせる。
「だってそんな、知らなかったんだもん。十年はたしかに長いけど、まさか、街がこんなに変わってるなんて、だれも思わないじゃん」
女性はふうっとため息をついて、
「まあ、でも、せっかく山を上ってきたんだから、がっかりするのはなしにしよう。私ひとりでも、あんただけでも、ここに来ることはできなかった。私たちだったから、あの山道を越えられた。だからこそ、この景色に気づけたんだから」
女性は、残念そうな、満足そうな、奇妙な笑みを浮かべた。
大きく息を吸って、ゆっくり吐き出す。この場で感じられる風と景色を、胸の奥にしみこませるように、女性はしばし、岩山の頂上に立っていた。
心行くまで眺望して、すっと、視線を下げる。
「……さて」
女性は軽く準備運動をして、これまで来たのと同じような、急こう配の山肌を、ぴょん、ぴょんと、弾むように下っていった。




