↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/50

2

 ——翌朝。

 太陽が上るより先に、スゥは目を覚ました。

 しばらくベッドでもぞもぞしてから、大きく伸びをした。

 カーテンを開ける。表の通りは薄暗く、人気はない。東の空がわずかに白んでいるけれど、太陽が顔を出すには、まだ早すぎる。

 スゥは、シャツとハーフパンツ、そして、昨日洗ったブーツを履いて、宿を出た。

 軽くストレッチをして、街の出口に向けて走っていく。

 守衛の詰め所まで来たら、引き返す。

 街の奥には行かない。見たことのないところに入ってしまうと、引き返せなくなることがある。うっかり入ってはいけないところに入ってしまうかもしれない。スゥは経験的に知っていた。

 朝のランニング。

 スゥの日課だ。

 雨が降っていなければ、必ず毎日、走るようにしている。それをしないと調子が上がらないくらい、スゥの体に染みついていた。

 十往復もする頃には、空が白んできた。朝日が上るにつれて、青い空が見えてくる。人が、鳥が、野良犬が——生き物の息遣いが聞こえてくる。街全体が目を覚ます、得も言われぬこの瞬間が、スゥは好きだった。

 程よく走り疲れた頃に、スゥは宿にもどった。


 汗で濡れたシャツを水で流して、部屋の窓辺に干しておく。

 あたらしいシャツに着替えて、スゥは、バックパックから、ウエストポーチを取り出した。

 中身をたしかめる。

 分厚い手帳に、鉛筆二本。ハンカチ、双眼鏡、お金のつまった袋。サバイバルナイフも、念のため。ひとまずこれだけあればいい。

 スゥがラウンジに行くと、厨房から、おいしそうなにおいがした。

 泊まっていたのはスゥだけで、どの席も空いている。

 広い丸テーブルに腰かけて、朝食を待った。

「おまちどお」

 店主が厨房から出てきて、スゥの前に、パンとスープとサラダを置いていく。

「めったに人が泊まらないから、食材を切らしてたのを、すっかり忘れてた。こんなので悪いが……」

「十分です。ありがとうございます」

 スゥは店主にお礼を言って、パンにかじりついた。

「夜は豪勢にするから、期待しててくれ」

 そう言って、店主はスゥの前に座った。

「それにしても、嬢ちゃんも物好きだね。足なんか見て回って、どうするんだい?」

 スゥはパンを飲みこんで、

「どうもしません。ただ見て回るだけです」

「お金はどうしてるの?」

「必要な物を買いかえたり、宿に泊まったりするとき以外は、めったに使いません。それでも足りなくなったら、立ち寄った街で少し働きます。意外となんとかなります」

 店主はあきれたような、褒めるような調子で、「変わり者だねえ」と言った。

 スゥはしばらく、黙々と食事をしていた。

 やがて、スゥが食後のお茶に手をつけると、店主が口を開いた。

「いっこだけ忠告だ」

 店主は、まるでだれかに見られているのを警戒するみたいに、前のめりになる。

 スゥはまばたいて、居住まいを正した。

 店主が言った。

「街に出たら、きっと、嬢ちゃんに声をかけてくるやつがいる。たいていはガキだ。街を知らない旅行者ってのは、やつらにとって狙い目だからな。だから、ぜったいに返事をしちゃいけない。立ち止まらず、いないものみたいにするんだ。そうすりゃ、ガキは勝手に離れていく」

「どういうことですか?」

 店主は、これまでずっと胸にためこんでいたとばかりに、深く息をついた。

「そのガキは、背信者の子どもだ」

「背信者?」

「そう。そいつらは、足神様の教えに背いている。ありていに言えば、嫌われ者さ」

「教えって?」

 店主はカウンターの奥に引っ込んで、本を一冊、持ってきた。

 えんじ色の表紙で、分厚くて、一生かけても読みきれなさそうだ。

 店主が言った。

「これが経典だ。この街は足神様に造られたとか、民の役目は創造主への献身だとか、そういったことが書いてある。背信者ってのは、経典の教えに背くやつらだ。税も納めず、祈りもせず、それどころか、善良な街人から物や金を盗んだりもしている。……あんまりこういうこと言いたくねえが、けっきょく、蛙の子は蛙だ。親が良からぬことをしてりゃ、その子どもも、同じようなことをする」

 スゥはじっと、店主を見つめた。

「店主さんは、神様を信じてないんですか?」

「どうしてそう思う?」

「足神様を足って言ったり、経典のことを話すわりに、なんとなく他人事みたいな調子に聞こえたので」

 耳の良い嬢ちゃんだ、と店主はうすく笑った。

「……決めかねてるんだ。おれの本心じゃあ、あれが神様だとは思っていない。けど、背信者には必ず罰が降りかかる。この世のものとは思えない場面を、何度も見てきた。仕事を失くした奴がいる。食い物にありつけない奴もいる。なんの前触れもなく家が燃えた奴も……ただの偶然というには、あまりに不思議で……だから、天罰って言葉がぴったりなんだ」

 店主は、窓の外を見つめた。

 小さな窓から見えるのは、朝日に照らされた街の一角だけ。

 けれど、店主の目には、街の向こうにある、巨大な足が映っていた。

「なんだろうな、あれは。おれには、あれがなんなのか、さっぱりだ」

 店主は、スゥに目を移して、

「嬢ちゃんにはわかるか?」

「いえ。店主さんが求めているような答えは、なにも……でも、わかることもあります」

「なんだ?」

 スゥは、巨大な足のある方を見つめた。

「あれは、足です。それ以上でも、それ以下でもありません。わたしたちについているのと同じ、ただの足です」

 店主はそれを、ちょっとした冗談だと受け取ったらしい。

 太い喉をくつくつと鳴らして、

「ま、嬢ちゃんはひとり旅ができるくらい、しっかりしてるから、そう心配することはねえと思うが……気をつけるに越したことはない。荷物を盗まれねえよう、しっかり身につけとくんだな」

「わかりました」

 スゥは、ごちそうさま、と立ち上がり、ウエストポーチの紐を締めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。