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——翌朝。
太陽が上るより先に、スゥは目を覚ました。
しばらくベッドでもぞもぞしてから、大きく伸びをした。
カーテンを開ける。表の通りは薄暗く、人気はない。東の空がわずかに白んでいるけれど、太陽が顔を出すには、まだ早すぎる。
スゥは、シャツとハーフパンツ、そして、昨日洗ったブーツを履いて、宿を出た。
軽くストレッチをして、街の出口に向けて走っていく。
守衛の詰め所まで来たら、引き返す。
街の奥には行かない。見たことのないところに入ってしまうと、引き返せなくなることがある。うっかり入ってはいけないところに入ってしまうかもしれない。スゥは経験的に知っていた。
朝のランニング。
スゥの日課だ。
雨が降っていなければ、必ず毎日、走るようにしている。それをしないと調子が上がらないくらい、スゥの体に染みついていた。
十往復もする頃には、空が白んできた。朝日が上るにつれて、青い空が見えてくる。人が、鳥が、野良犬が——生き物の息遣いが聞こえてくる。街全体が目を覚ます、得も言われぬこの瞬間が、スゥは好きだった。
程よく走り疲れた頃に、スゥは宿にもどった。
汗で濡れたシャツを水で流して、部屋の窓辺に干しておく。
あたらしいシャツに着替えて、スゥは、バックパックから、ウエストポーチを取り出した。
中身をたしかめる。
分厚い手帳に、鉛筆二本。ハンカチ、双眼鏡、お金のつまった袋。サバイバルナイフも、念のため。ひとまずこれだけあればいい。
スゥがラウンジに行くと、厨房から、おいしそうなにおいがした。
泊まっていたのはスゥだけで、どの席も空いている。
広い丸テーブルに腰かけて、朝食を待った。
「おまちどお」
店主が厨房から出てきて、スゥの前に、パンとスープとサラダを置いていく。
「めったに人が泊まらないから、食材を切らしてたのを、すっかり忘れてた。こんなので悪いが……」
「十分です。ありがとうございます」
スゥは店主にお礼を言って、パンにかじりついた。
「夜は豪勢にするから、期待しててくれ」
そう言って、店主はスゥの前に座った。
「それにしても、嬢ちゃんも物好きだね。足なんか見て回って、どうするんだい?」
スゥはパンを飲みこんで、
「どうもしません。ただ見て回るだけです」
「お金はどうしてるの?」
「必要な物を買いかえたり、宿に泊まったりするとき以外は、めったに使いません。それでも足りなくなったら、立ち寄った街で少し働きます。意外となんとかなります」
店主はあきれたような、褒めるような調子で、「変わり者だねえ」と言った。
スゥはしばらく、黙々と食事をしていた。
やがて、スゥが食後のお茶に手をつけると、店主が口を開いた。
「いっこだけ忠告だ」
店主は、まるでだれかに見られているのを警戒するみたいに、前のめりになる。
スゥはまばたいて、居住まいを正した。
店主が言った。
「街に出たら、きっと、嬢ちゃんに声をかけてくるやつがいる。たいていはガキだ。街を知らない旅行者ってのは、やつらにとって狙い目だからな。だから、ぜったいに返事をしちゃいけない。立ち止まらず、いないものみたいにするんだ。そうすりゃ、ガキは勝手に離れていく」
「どういうことですか?」
店主は、これまでずっと胸にためこんでいたとばかりに、深く息をついた。
「そのガキは、背信者の子どもだ」
「背信者?」
「そう。そいつらは、足神様の教えに背いている。ありていに言えば、嫌われ者さ」
「教えって?」
店主はカウンターの奥に引っ込んで、本を一冊、持ってきた。
えんじ色の表紙で、分厚くて、一生かけても読みきれなさそうだ。
店主が言った。
「これが経典だ。この街は足神様に造られたとか、民の役目は創造主への献身だとか、そういったことが書いてある。背信者ってのは、経典の教えに背くやつらだ。税も納めず、祈りもせず、それどころか、善良な街人から物や金を盗んだりもしている。……あんまりこういうこと言いたくねえが、けっきょく、蛙の子は蛙だ。親が良からぬことをしてりゃ、その子どもも、同じようなことをする」
スゥはじっと、店主を見つめた。
「店主さんは、神様を信じてないんですか?」
「どうしてそう思う?」
「足神様を足って言ったり、経典のことを話すわりに、なんとなく他人事みたいな調子に聞こえたので」
耳の良い嬢ちゃんだ、と店主はうすく笑った。
「……決めかねてるんだ。おれの本心じゃあ、あれが神様だとは思っていない。けど、背信者には必ず罰が降りかかる。この世のものとは思えない場面を、何度も見てきた。仕事を失くした奴がいる。食い物にありつけない奴もいる。なんの前触れもなく家が燃えた奴も……ただの偶然というには、あまりに不思議で……だから、天罰って言葉がぴったりなんだ」
店主は、窓の外を見つめた。
小さな窓から見えるのは、朝日に照らされた街の一角だけ。
けれど、店主の目には、街の向こうにある、巨大な足が映っていた。
「なんだろうな、あれは。おれには、あれがなんなのか、さっぱりだ」
店主は、スゥに目を移して、
「嬢ちゃんにはわかるか?」
「いえ。店主さんが求めているような答えは、なにも……でも、わかることもあります」
「なんだ?」
スゥは、巨大な足のある方を見つめた。
「あれは、足です。それ以上でも、それ以下でもありません。わたしたちについているのと同じ、ただの足です」
店主はそれを、ちょっとした冗談だと受け取ったらしい。
太い喉をくつくつと鳴らして、
「ま、嬢ちゃんはひとり旅ができるくらい、しっかりしてるから、そう心配することはねえと思うが……気をつけるに越したことはない。荷物を盗まれねえよう、しっかり身につけとくんだな」
「わかりました」
スゥは、ごちそうさま、と立ち上がり、ウエストポーチの紐を締めた。




