12
左奥の扉を開け、神様の庭に飛び出す。
——月明かりの下。
小さな影が、縄の下に立って、なにやら手を振っていた。
何度か振るうちに、影の手元で、ぶちっとにぶい音がする。
いま、ぴんと張っていた縄の一本が、はじけるようにちぎれた。
「やめろ!」
神父の声に、影——スゥが振り向いた。
半そでのジャケットに、ハーフパンツに、トレッキングブーツ。
そこにいるのは、新人のシスターではなかった。
スゥは、右手のサバイバルナイフを下ろして、おじぎした。
「こんばんは、神父さん」
「貴様……」
神父が頬を吊り上げる。
「ここでなにをしている?」
「ご覧のとおり、縄を切っています」
スゥは、自分の手柄を披露するように、両手を広げてみせる。
八本あった縄のうち、すでに二本がちぎれている。ちぎれた縄の切れ端は、巨大な足のくるぶしあたりに、だらんと垂れさがっていた。
館の方から、大柄な男たちが走ってくる。
眠っていたシスターたちも、新人がなにかやらかしたと聞いて、すっかり眠気の消えた顔で、庭の出入り口にかたまっていた。
神父が言った。
「それは神の縄だぞ。それを切るなど、罰当たりにもほどがある」
「罰なんて当たらないよ。だって、」
スゥはくだけた調子で言った。
「この世界に神様なんていないもの。これはただの足。あなたが勝手に、神様に仕立て上げただけ。自分の、欲望のお腹を満たすために」
「なんのことだ」
神父は憮然と言う。
「私は、神の代行者だぞ? その私に、そのような口の利き方をするとは、神への冒涜と変わりないと、わかっているのか?」
スゥは、神父が言うのも構わず、足元を見た——そこには、さっきまで張られていた太い縄の残骸が転がっている。
「神父さん。あなたも、ほんとは、この足が怖いんでしょ」
「なに?」
スゥは、背後の足を、振りあおいだ。
「足は、ただそこにあるだけ。動く足もあるけれど、なにもせずじっと立っているだけの足もある。この足がどちらなのかはわからないけれど、足が自分で縄を巻いたなんて、ありえないもの」
「なにがありえないというのだ? それは神が、自らの意思で巻いたもので——」
「よく見てよ。足は手じゃない。自分で縄を巻けるわけがない」
神父は、冗談かなにかと思ったらしい。
ひとしきり声を上げて笑って、
「神を侮辱する似非信徒め!」
神父が大きく右手を上げた。
「捕まえろ! 神の怒りを、その身に刻んでやる!」
行け! と、神父が右手を振り下ろす。
神父の後ろに控えていた男たちが、駆けだした。六人の男たちは、みな片手に細長い剣を持っていた。
駆ける勢いをそのままに、男たちが一斉に、スゥをめがけて、剣を振り下ろした。
「きゃあああ!」
成り行きを見守っていたシスターたちが、目をおおう。
あれほど親身に、神に仕えようとしていた、かわいらしい新人が、恐ろしい男たちの手で殺されるところを、見ていられなかったのだ。
しかし——
「……なん、だと」
神父は目を疑った。
男たちが剣を振り下ろした先。
そこに、スゥはいなかった。
スゥは、男たちの剣を、たった一度の跳躍で、躱してしまった。月明かりを背に、踊り子のような身軽やかさで、ひらりと宙返りしてみせる。着地の足もしなやかで、わずかにひざを曲げた姿勢で、身を低くした。
——怒涛の反撃。
身を低くしたスゥは、地面を蹴り出す勢いで、男たちに肉薄する。
手近な男がスゥに向くより先に、スゥは男を転がして、みぞおちにかかとを蹴り落とした。
新たにふたりが斬りかかってくる。
それをまた跳んで躱す。
躱し際に、今度は真横に回転して、ふたりの男の喉元を蹴り上げた。
「クソが!」
残るは三人。
そのうちのひとりが、スゥを後ろから羽交い絞めにした。
スゥはその腕を軸にして、下半身を持ち上げて——振り下ろす勢いで、ブーツのかかとを、男の股間に突き立てた。
男の力がゆるむ。
スゥは、男の腕を抱え、ころんと前回りするように、男の体を投げ飛ばした。
残る二人は、男の巨体に押しつぶされて、見事に後ろ頭を打った。
「…………」
神父は、あぜんと、言葉が出なかった。
六人とも、神父の側近だった。
それがいま、たったひとりの少女に、倒されてしまった。
人間業とは思えない。
スゥが、神父に振り向いた。
「あなたは、あの足を利用した。巨大な足を、神様の足だと言って、訳も分からない民間人を、足神教なんてもので統率した。お金集めの道具として」
「ち、ちがう!」
神父が唾を散らして叫んだ。
「これは神の足だ。私たちの足とは、くらべものもないほど、巨大で、未知の存在だ! これが神の足でなく、いったい何だと言うんだ!」
「なんども言わせないで。これは、ただの足。私たちに生えてるのと同じ足でしかない」
「それなら、どこかに体があるはずだ! しかしこの足は、頭も、体もなく、ただ足だけが鎮座している。空を見上げても、大腿より上は透明になっている。まるで、神がその体をお隠しになっているようではないか!」
「こじつけだよ。自分たちのわからないことを、神様なんてもののせいにしてるだけ」
スゥは、足元に落ちた長剣を拾った。
「よく切れそう」
スゥはサバイバルナイフをしまって、長剣を構えた。
「待て、何をする気だ?」
「作業の続き」
神父の顔が青ざめた。
「や、やめろ、やめてくれ! あの縄を切ったら、また、あの足が!」
スゥが軽やかに走り出す。
太い縄は、ところどころほつれていて、明らかに脆いところがある。
スゥは、脆い部分に狙いを定めて、剣を振り下ろした。
すぱっ、すぱっ、と、次々に縄が切れていく。
「ああ……ああ……!」
神父が両目をふるわせて見つめる先で。
スゥが、最後の縄を、切り落とした。
——ゴゴゴゴゴゴゴ……
低く、うなるような地鳴りが響く。
いま、巨大な足が、ひとりでに持ち上がった。
——ズンッ
巨大な足が、その場で足踏みをする。
そのたびに、足首に巻かれていた縄の残りが、徐々に剥がれ落ちていく。
巨大な足が、足首を返す。
巨大な足が、つま先を振るう。
巨大な足の爪先は、神父の館まで及び、またたくまに、瓦礫に変えていく。
神父もシスターも、気絶から覚めた男たちも、巨大な足から逃げ惑う。
スゥもまた、巨大な足から逃げていた——ほかの者たちより、軽やかな足取りで。
——ズズンッ
ついに、巨大な足が動きを止めた。
神の庭は、平らにならされて。
館があった場所は、荒地と変わらぬ、瓦礫と砂の山になって。
朝日がのぼる。
スゥは朝日と、白む青空に両腕を伸ばして、一仕事終えたように、大きく息を吸い込んだ。




