10
しばらく休んで、ふたりはまた歩きだした。
任された区画のお布施は集め終わった。
あとは館に帰るだけ。
そのとき。
「なにがお布施だ!」
遠くで、怒鳴り声が響いた。
——路地をひとつ越えた先。
通りに面した、二階建ての一軒家の前。
強面の男性が、顔を真っ赤にして、ふたりのシスターをにらんでいた。
「毎度毎度、お布施だなんだって来やがって。てめえらにやる金なんてねえ! とっとと失せろ!」
「きゃあ!」
男性の投げつけた椅子が、シスターに直撃する。
倒れるシスターに唾を吐いて、男性は、家の中にもどってしまった。
相方のシスターが、気づかわしそうに、倒れたシスターを抱き上げる。そばで見ていた野次馬が、ぞろぞろと近づいていく。
スゥは、すっと目を細め、野次馬を観察した。
野次馬のほとんどは、ふつうの街人だろう。しかし、その中に、屈強そうな男がふたり、なにやら小声でやりとりしていた。ふたりは、怒鳴っていた男性の家を見つめて、うなずきあって、その場を去った。
ふたりの行き先をたしかめようと目を凝らしていた、そのとき。
「痛っ!」
スゥの頭に、小石が投げつけられた。
振り向くと——家と家のあいだ、小さな路地に、子どもの影を見つけた。
その子はさっと路地に隠れた。
スゥは、お布施の入った網籠を、ディリアに押しつけた。
「これ、館までお願いします」
「ちょっと、なに?」
「夕飯までには帰ります」
と、スゥはディリアのそばを離れて、路地に近づいた。
スゥが路地に入るより先に、暗い影から小さな手が伸びてきて、スゥを日陰に引きずりこんだ。
レインだ。
レインは、目の端をとがらせて、スゥをにらんでいた。
「なんでその服を着てる?」
「なんでって、シスターだから」
「ふざけんな!」
レインが修道服の襟をつかんだ。
「てめぇ、あの網籠を持ってやがったな。クソ神父の手先だったんだな! 旅してるとかなんとか言って、おれに取り入ろうとしたんだろ!」
「馬鹿なこと言わないで」
スゥは冷ややかに言った。
「わたしが旅人なのは本当。この服を着てるのは、そうする必要があったから着てるだけ。なんかお布施を集めさせられたけど、あれを何に使うか、わたしは知らない。そもそも、足神教とかいうのも、どうだっていい」
「……たしかめてやる」
レインはスゥを引っ張って、路地の奥に連れていった。
街の東の端。
それまで見てきた街並みが嘘のように——倒壊した壁や、焼けこげた家々が、むき出しの砂利道に並んでいた。家々の窓辺には、細い物干し糸がはられていて、ちらほらと洗濯物がかかっている。
通行人はほとんどいない。みな、安っぽい服を着ていた。彼らは、スゥとすれちがうたびに、眉間に皺を寄せて、にらんでくる。
視線ならほかにも……やぶれた庇の下、暗い路地、こわれた壁の隙間……そこかしこから、いくつもの目が、スゥに向けて、冷たい視線を放っていた。
スゥがそれとなく辺りを警戒しているあいだに、レインは、ある家の前で止まった。
レインの家らしい。
陥没した頭蓋骨のように、丸屋根の一部が壊れている。
ほどなく、レインが、なにかを持ってきた。
灰色の粘土でつくった右足だ——あの巨大な足を、模しているのだろう。
レインは、粘土の足を、スゥの足元に放り投げた。
「踏めよ」
「これを?」
「ああ」レインは館のある方を指さした。「これは、あのクソでかい足と同じだ。このあたりにも、足神教を信じてるやつがいるからな。あぶりだすために作ったんだ」
「へえ」
スゥが感心そうに、粘土の足を見下ろす。
レインが顎をしゃくった。
「足神様を信じてないなら、これはただの粘土の足だ。神様を信じてないってんなら、踏めるよな」
言いつつ、レインはほくそ笑んだ。
「できねえよな。だっておまえは、足神の教徒だもんな。おれをだまして、面白かったかよ。でも、おまえの好き勝手にばっか、させねえぞ。ここまで、のこのことついてきやがって。ここには、おまえら教徒をうらんでるやつらが、いっぱいだからな」
スゥは、あちこちから向けられる冷たい視線を、一瞥して、
「よくわからないけど」
と、レインに向きなおった。
「これ、がんばって作ったみたいだけど、いいの? 踏んだらこわれちゃうよ」
「そのために作ったんだよ。教徒はこれを踏めない。なんたって、神様の足だからな。おまえにはぜったいできっこねえ——」
「じゃあ踏むね」
「……え?」
ぐしゃ、と、スゥは躊躇なく、粘土の足を踏みつぶした。
レインが、あんぐりと口を開ける。
スゥに向けられていた視線も、さっきまでの冷たさが嘘のように、驚愕と困惑で、ざわめきに変わる。
スゥがレインを見つめる。
「……なんで、そんな意外そうな顔してるの」
「だ、だって、おまえ……」
レインはおそるおそる、スゥの足元を指さした。
「それ、神様の足だぞ? シスターのおまえが、なんで踏めんだ?」
「だから、ずっと言ってるでしょ」
スゥは、踏みつぶした粘土を、靴の裏で払いのけた。
「神様とか信じてないんだって。この服も、支給されたから着てるだけ。こんな、太ももも下着も見えちゃうような服、さっさと脱ぎたい」
レインは言葉が出ないまま、スゥを見つめるばかりだった。
スゥは、区画全体を見渡して、
「ここ、なんでこんなさびれてるの?」
「天罰です」
レインの家から、細身の女性が出てきた。レインの母親らしい。ちれぢれの髪を、雑に、後ろ頭で結っている。あまり食事ができていないのか、頬がこけて、うっすら頬骨の影が浮かんでいた。
レインの母親は、我が子の背中を抱いて、
「神様のお布施を払わなかったり、足神教に不信感を持ったりする人には、天罰が下るんです」
「神様の鉄槌ってやつ?」
「ええ。この区画には、神様に見放された人が、大勢集まっています。お布施を払わなかったり、神様に不信感を抱いたりする人には、天罰がくだって、仕事をなくしたり、家に災いが降ってくるんです。私たちの家も、神様の雷に見舞われました」
スゥは、レインの家の壊れた屋根や、周りにある、倒壊したり、焼け焦げたりしている家々を、見回す。
「みんな、神様を信じてるんだ」
「信じるもなにも、いままさに、そこにいらっしゃいますから」
レインの母親は、遠く、塔のようにそびえている肌色の太ももを見つめる。その目は、恨めしそうに、同時に、恐怖におびえるように、細められている。
スゥはたずねた。
「どうして、あれを神様だって思うんですか?」
「どうしてって……」
なぜそんなことを聞かれるのかわからないというように、母親が言いよどむ。
そこに、
「昔な——」
と、隣の家から、しわくちゃの老婆が出てきた。
「あれはまだ、ここに街ができて間がなかったときじゃ。ここは、ちょうどあの足を囲むように、いくらかの家が建っているくらいの、小さな村じゃった。わしも流れ者じゃったから、聞いた話でしかないが、ある日、あの足がとつぜん、空から降ってきたんじゃと。人間のような足が降ってくるなど、現実にはありえんじゃろう? じゃから、当時の村人は、あれを神の足として、崇めるようになった」
老婆は言った。
「足の噂は、たちまち、世界中に広まった。それで、あの足を一目見ようと、旅人や観光客が大勢集まった。それに合わせるように、街は大きくなり、定住する者も増えて、いまのような街並みが出来上がった。しかし——」
老婆が、ぶるっと、背筋をふるわせる。
「あるとき、神がお怒りになられた。物を知らぬ子どもが、あの足に近づいて、大きな石を投げつけたんじゃ。それに怒った神は、あの巨大な足を、ぶんぶんと振るった。その子どもは死んだ——愚かな孫じゃった——足の周りにあった家々は、みるみる蹴り壊されていった。三日三晩、地鳴りが止まなかった。ようやく足が動きを止めたとき、あの足の周りには、瓦礫と、近くに住んでいた人々の血の海で、いっぱいになった」
「でもさ——」
スゥはたずねた。
「そういう割に、あの神父は、あそこに家を建ててるんだね」
「あやつは、神の遣いじゃから」
老婆は言った。
「当時のあやつは、若く、才気にあふれる男じゃった。神が蹴り壊した街を、建て直すように取り計らったのも、あいつじゃった。なにより、あやつには、神の声が聞こえた」
老婆は、皺だらけの唇を、もごもごと動かして、
「街の皆が、神を恐れて、家に閉じこもっていた——そんな朝、あやつは大声で、民を外に連れ出した。あやつに連れていかれた先で、わしらは、神の足に、大きな縄が何重にも巻かれているのを見た。あやつは言った。
神はこうおっしゃられた。
我の足は民草には大きすぎる。
民草の命と、その住処を荒らさぬために、我は自らの足を、地上に縛りつけよう。
とな」
スゥはたずねた。
「おばあさんは、神様が縄を巻くところを、見たのですか?」
「まさか。わしは、あの足が恐ろしくて、孫が死んだのが悲しくて、ずっと家に閉じこもっていた。ほかの者も同じじゃ。しかし、神父と、そばに控えていた者だけは、そのときのようすを、一部始終、見ていたそうじゃ」
「ふーん」
スゥは、退屈な話が終わったとばかりに、息をつく。
それから、さびれた街並みを、ぐるっと見回した。
「神様は自分の足を縛っているのに、お布施をしない人に、天罰を下せるんだ」
「あくまであれは、足じゃからな。神の力は、また別のところからやってくる」
「なんにでも理由がくっつくわけだ」
スゥは、わずかに笑った。老婆の話を嘲っているわけでも、神様を信じている街人をあわれんでいるわけでもない。スゥは、人間の、逃れられない性のようなものを感じて、それが興味深くて、笑ったのだ。
スゥは、笑みを消して、真剣な目を浮かべる。
「もし神様なんてものがいたとして、それはきっと、人間なんかよりずっと大きな、空とか大地みたいな存在でしょ。たかが人間がこづいたくらいで、怒るわけない。石を投げられて怒るのは、どう猛な野生動物くらいだよ」
「じゃが、あれは——」
「この世界に、神様なんていない。あれは、ただの足。そこに立っているだけで、雷を落としたり、家が燃え尽きるほどの炎を起こしたり、そんなことはできない。まして、お布施をもらえなかったからって、あの足がいったい、お布施をなにに使うっていうのさ」
……いつのまにか、壊れた家々から、大勢の街人が、顔を出していた。
だれも、言葉が出ないでいた。
神様なんていない。
そんなことを言われても、これまで不可解な現象に見舞われてきた街人が、スゥの言葉を飲みこめるわけがない。
黙りこむ街人に、スゥは言った。
「ところでさ、みんなそんなに疲弊してるなら、街から出ればいいんじゃない? ほかの街に行けば、住む家も、仕事も、見つかると思うけど」
「……あなたが旅人だから、そう思えるんです」
レインの母親が言った・
「ほかの街とは、どこのことですか? 私たちのような流れ者を拾ってくれる街が、そう簡単に見つかるとは思えません。それに、街を出るには、支度が要ります。子どもは長く歩けません。老人だって同じです。ここは私たちの街で、私たちの家です。ここを離れるなんて、とても……」
「でも、いまのままじゃあ、なにも変わらないよ?」
スゥは真っすぐ、レインの母親を見つめた。
「神父はお金を集めつづけるし、それに歯向かう人は、みんなと同じ運命をたどることになる。神父がいなくなるのを待ってもいいけど、きっとまた、新しい為政者が出てくるよ? その頃には、みんな死んでるか、街そのものが崩壊してる。それまで耐えつづけるつもり?」
街人は、スゥの言葉に、うつむくばかりだった。
両目を暗く翳らせて、いまになにか、現状を打開する妙案が、この地面に書かれると思っているのだろうか——しかし、どれだけ地面を映しても、そこに神の啓示が書かれることはない。
スゥは、言葉ない街人を、見回して、
「だれかが動くしかない。だれかが動き出して、足神様なんてものを信じている、他の人たちの目を、覚まさせるしかない。それは、あなたたち自身も同じ。だれかが、こんなのおかしいって、思わなきゃ」
「思ってるよ!」
レインが言った。
「おれだって、こんなのおかしいって思ってる。なんでおれたちばっかり、こんなつらい目にあわなきゃいけなんだって。なんでみんなやさしくしてくれないんだって、いっつも思ってる! でも、じゃあ、どうすりゃいいんだ? いっぱい、いっぱい考えて、でも、ぜんぜんいい考えが浮かばない。だれもおれたちの声なんて聞いてくれないし、結局みんな、神父の言葉に従うばっかりで——」
「それだよ」
スゥは、しゃがんで、興奮して涙を浮かべるレインを、見つめる。
「おかしな状況を作っているひとがいるんだ。その人を、どうにかすればいい。この街を、神様なんて言葉で従えている……その人をどうにかしちゃえばいい」
レインは、スゥを見つめて、涙を止めた。
スゥの表情に、翳りはなかった。街人がみんなうつむくなか、旅人のスゥだけは、ずっと顔を上げている。レインは、その目に、なにか答えがあると感じた。地面にも、空にも書いていない、現状を変える何かが、スゥの瞳に映っている。
スゥは言った。
「あなたたちの心を縛っている元凶を、壊してあげる」
「ど、どうやって?」
「あの足を、解き放つの」
スゥは、レインの手を取った。
「手伝ってくれない?」




