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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五章
306/374

眉唾だ

 その姿を一言で言えば、やせ細った狼でした。


 モフモフよりも巨大で、濁りきったが故に黒く、忌まわしき体毛。

 うっすらと体を覆う黒煙は死に近い病人に漂う、えた匂いに似た何かを発し、肺に吸いこむだけで毒とわかる異臭を放っていました。

 眼窩には収まるべき目玉がなく、しかし、奈落の底に通じていそうな穴の奥に青い炎がチラチラと見え隠れしていました。


 一つの頭に二つの顎が重なり、剣山のような歯はがっちりと噛み合わさっています。


 寝床に侵入したにも関わらず、ソイツは身動き一つしません。

 だからこそ、まだ生きていられる――そんな根源的な予感が胸の内から四肢に広がっていきます。


 そこに【無色の獣】がいる、とわかっていても自分は動けませんでした。


 【愚剣】を握る強さで、ようやく自分が再び飲まれかけていたことに気づき、意識をしっかりと持ちます。

 【愚剣】を手放したら最後だと本能が鳴らす警鐘に従いながら、神話群を薄く思い出します。


 神話に描かれた【無色の獣】の姿は『透明の何か』か、あるいは四足の獣として表現されていました。姿はそのままですね。

 イルミンシアに騙されて、お互いの生命を鎖のついた楔で縫いつけ縛り上げたという記述すら残されていました。


 その記述が示すように、ソイツの体のあちこちに鎖で縛られ、剣のような先端が深く肉体に食いこんでいました。


 一種、痛々しい姿ですがそんな感傷など微塵も浮かびません。


 何故なら『死にかけた猛獣』が鎖に繋がれていると理解していても、檻の中に入って身構えないはずがありません。


『――――――――ッ!!』


 モフモフが吠え、総毛立ち、四肢を踏ん張り、いかめしく牙をあらわにしました。

 自分はすぐに【愚剣】のシリンダーを近接ブリッドから射撃ブリッドに入れ替えました。


 術式を強化する性能を持つ射撃ブリッドなら様子見に最適でしょう。

 敵は未知数、人類種よりも強烈で熾烈な存在ならば選ぶ術式は一つです。


 相手がどんなものであれ『最大威力による早期終結』は戦術的正解です。


「ベルゼルガ・リオフラム」


 【愚剣】の切っ先を【無色の獣】に合わせ、巨大な津波のような術陣を展開します。

 それを【愚剣】が螺旋状に巻き取り、凝縮した状態で待機させました。

 といっても、タイミングを見計らっているだけです。


 飛び跳ねたモフモフが【無色の獣】の首めがけ前足を振り下ろしました。


 巨大な足にスタンピングされた【無色の獣】が反動で大きく首を空へと向けました。

 その瞬間に待機状態を解除、一直線に伸びる青光ベルゼルガ・リオフラムがヤツの喉元を噛みちぎるように迫ります。


 撃ちきった次はすぐに近接ブリッドに入れ替えます。


 仮にも神話に載るような化物です。

 この程度で死ぬのなら、わざわざ【神話級】術式で長期の浄化などしません。


 モフモフも隕鉄製の剣に妙な執着を持っていました。

 このことから【愚剣】でないと殺せない可能性もあります。


 油断は決してしません。


 案の定、ベルゼルガ・リオフラムはヤツの体毛に弾かれ、逸れた青光が地面を一直線に溶かしていきます。


 一方、鳥の巣の天井に器用に張りついていたモフモフが顎を開き、口内に光の玉を生み出します。

 光の玉はまっすぐ【無色の獣】へと着弾しました。


 その次の瞬間、自分は余波で吹き飛ばされました。


 それでも宙空で体を入れ替え、枝のいくつかを破壊して威力を殺しました。

 すぐさま着地し、ドーム型の破壊跡を睨みつけました。


「ちょっとは手加減……、しなくてもいいですね」


 吹きすさぶ爆風すらもどうでもよくなります。


 モフモフの攻撃は凝縮された源素を全て破壊に置き換えた――破壊球と呼びましょうか。

 あの威力はエンブレリオ・プリムに近い威力がありました。


 そんなものぶっ放せば当然、自分も巻きこまれて死にます。

 なのに五体満足だったのは破壊力を逃がさないように『炸裂した威力すら圧縮した』のでしょう。


 ノーモーションであの威力に思うところくらいありますが、まぁいいでしょう。

 問題点はそこではありません。


 破壊跡から無色の源素が飛び出してきたのか、陽炎のように空間を揺らしています。

 その向こう側で、ようやく四肢を起こした化物の姿がありました。


 なるほど、言葉通り本当に化物ですね。


「隕鉄製の剣でないと倒せない理由がようやく理解できましたよ」


 やはり、古の人の言うことを聞いておいて正解でした。


 ベルゼルガ・リオフラムは概念攻撃です。

 モフモフの破壊球は物理的な破壊です。

 その二つを受けて、向こうは傷一つ負っていません。


 両方に対して有効的な防御手段を【無色の獣】が持ち合わせている証拠です。

 極めて強固な無色の結界ですね。


 上級魔獣は無色の結界という、対術結界を持っています。

 眷属鬼も当然、持っていました。


 もっとも眷属鬼の場合はメルサラの術式の威力のせいで今ひとつ、影が薄く見えましたが生徒の術式なら簡単に霧散してしまえるくらいの結界だったはずです。


 もしも、無色の結界を突破するのなら『相手の出力を超える』か、結界の源である無色の源素の干渉を受けない武器しかないのでしょう。


 騎士オルナの持つ、源素干渉を受けつけない騎士剣【アルブリヒテン】。

 黒色ゴキブリの持つ、観測源素に巨大な影響力を持つ聖剣【樫の乙女】。

 この二つは確実に無色の結界を突破するでしょう。


 そして、源素・分子分解能を持つ【愚剣】も可能でしょう。

 

 突破口はあります。


 しかし、無闇に突貫したりしません。

 問題は山盛りですが、攻撃性能がわからない内に攻撃を仕掛けて殺されたら目も当てられません。


 【獣の鎧】を纏い、一先ず迂回しつつ様子をうかが――


「……マジですか」


 ――【無色の獣】が周囲に漂う源素を吸いこんでいきます。

 肺が異常に膨れあがり、奇形のような姿に変わった時には既に走るのを止め、いつでも動けるように猫足立ちになりました。


 その動きは無駄ではなかったのでしょう。

 しかし、無意味でした。


 放たれたのは拡散された無色の源素。

 破壊力を伴った汚染の咆哮が岩盤をひっくり返し、鳥の巣を破壊していきます。


 自分は【愚剣】で咆哮を切り裂き難を逃れましたが、結果は岩盤ごと体を持っていかれました。


 上空へと放り出される自分。


 逆さになった体に矢よりも速く、建物よりも巨大な岩盤が砕かれながら迫ってきます。

 弾ける破片は全て【愚剣】で払い、無理なものは着地し、走り抜けました。

 もう重力がどっちを向いているのかすら曖昧なまま、破片の嵐を駆け抜けます。


 しかし、敵との距離が一向に埋まりません。

 埋まらないどころか走っても遠ざかる一方です。


「クソが――!」


 近寄ることすらできないと言いたいわけですか?


 そんな自分の前にモフモフが通過していきます。

 慌てて毛を掴んで、そのまま背中に乗りました。


「助かりました」

『さもありなん』


 空を駆け抜けているモフモフの背からようやく周囲の様子が見れました。


 周囲一帯が更地になりましたね。

 よくあの中を生きていられたものです。寒気がしますね。


 大地が灰色のせいかうまく遠近感が取れませんが、破壊の中央にはまだ【無色の獣】がいるのでしょう。


「よくよく理解しましたよ。【神話級】と戦うということは災害を相手にしているのと同じなんですね」

『無色は世界そのものを変質させる。故にヤツらとの戦いは世界との戦いに等しい』


 無性に帰りたくなりました。


「知っていますか? 生物の歴史は環境との戦いです。世界と戦うなんていつものことですよ。憎悪と敵意と害意を持ってこられたのは初めてですけどね」

『弱者ゆえにか』

「弱者だからこそ、です。そこの含みを忘れ、噛みつかれて絶滅した種は多いと聞きます。お金と動物の皮が大好きな愛すべき種族もそうですね」

『眉唾だ――ヒトはこういう時、そう言うのだろう』


 モフモフも自分と暮らす内に色んなことを覚えていきますね。

 ちなみに自分はモフモフの好物をよく知っています。ヤグーの肉が大好物です。


「――さて、色々と疑問もありますけどね」


 例えば【無色の獣】を閉じこめている鳥の巣はどうなったのか、とか、ポルルン・ポッカたちは作業中だったのに巻きこまれていないのか、とか、どうやって近づけばいいのか、とか、接近しても本当に結界を貫けるのか、等々、その全てに優先順位をつけて、邪魔なものは除外します。


「ひとまず【愚剣】で一撃を加えてみたいのですが、やれますか?」


 これにモフモフは「うぉん」と低い声で了承の意を示しました。


 【無色の獣】がいるだろう場所を見ていると、ヤツの周囲からメリメリと石の腕が生えてきています。

 鎖に繋がれ、土地に縛られ、全てを壊してもまた直る檻の中で餌を抜かれて餓死させられる姿はまるで罠にかかった獣のように見えます。


 だんだんと大きく見えてくる【無色の獣】。

 しかし、ヤツの腕や足にも石の腕が張りつき、突き刺さっています。


 攻撃されたら攻撃仕返し、相手を衰弱させる檻ですか。

 よくできた封印機構です。


『守護者が協力しているようだ』


 さすがにあの咆哮にはねぼすけも飛び起きたようです。


 しかし、【無色の獣】はより強く縛られているというのに、まっすぐこちらだけを見つめています。

 ただ憎しみの望むままに敵を滅ぼそうとする思想は『殺戮の理』によく似ています。


 むしろ自分よりもより純粋な『殺戮の理』なのでしょう。


 その理に従い、【無色の獣】の浮き出た背骨からいくつもの針のようなものが作られていきます。

 まるで剣のように巨大な針。まさかと考えた瞬間、【無色の獣】は背中の針を飛ばしてきました。


「モフモフ!」


 あの攻撃に触れるのはまずいと頭の中でガンガンと警報が喚き散らしていました。

 モフモフも理解していたのか、飛んでくる針を大きく回避していきます。


 背中に乗っているのをいいことに針の一つを観察していると、落ちてきた岩盤に突き刺さりました。

 それは一気に成長し、枝葉のように伸びて岩盤を粉々にしてしまいました。


 それだけでなく成長しきった針は黒い球体に代わり、一気に凝縮され、消えてなくなりました。


『存在に侵食し消滅させる力だ』

「なんです? その当たればそこでおしまいと言わんばかりの力は」

『もちろん、おしまいだ』


 モフモフだけが頼りですよ? と、前にも同じことを思ったことがありますね。


 正直、あればかりは【愚剣】で叩き落とせる気がしません。

 あの針、一本一本に必滅の力が宿っています。


 無数に迫る針の弾幕。

 空からはようやく重力を取り戻した岩盤が落ちてきています。

 この二つを相手に一つ一つを避けていたらキリがないのも事実です。


「空の岩盤は自分がなんとかします。モフモフは針の攻撃だけには絶対に当たらないように」


 自分は腰から【いみびき】を掴み、岩盤の一つに射出しました。

 ワイヤーのついたアンカーが岩盤に突き刺さり、固定します。


 人狼の腕力と【獣の鎧】、【がくつかみ】の力を使い、岩盤を大きく振り回し、モフモフの進行上に放り投げます。

 ちょうど針の一つが岩盤に突き刺さり、黒い球体となって消滅しました。


 こうしていれば、いつかは【無色の獣】にたどり着けるはず……、そう思っていた自分がバカでした。


『同胞よ。少し急ぐ』


 いくつかの針が明らかにこちらに向かって急旋回してきます。

 ホーミングするんですか、それ?


 手頃な岩盤はないので、何か策を考えなければなりません。


 というか、アレは別に岩盤でなくてもいいんじゃないでしょうか?


 【断凍台】で氷の塊を作り出し、後ろから迫る針に投げてみたら見事に黒い球体に変わりました。


『……つめたい』

「狼なんだから我慢なさい」


 当然、周囲に冷気を撒き散らしているのでモフモフの背中が徐々に凍りついていきます。

 モフモフの速度が落ちると漏れなく一緒におしまいです。

 ですがお互い、まだ死んでないだけマシです。


 ほぼ地表近くまで降りてきたモフモフが左右に移動する度に、地面に黒い球体が生まれては流されて消えていきます。


 やがて、ハッキリと見えてくる【無色の獣】。

 しかし、今度も何かするようで、岩の腕に掴まれた前足を無理やり動かし、ドンッと地面に叩きつけました。


 その瞬間、モフモフが右に大きく逃げました。


 遅れて、巨大な爪跡が地面に穿たれました。


 不可視の刃を飛ばす力、でしょうか。

 ほぼノーモーションで攻撃跡がついたような気がします。


 モフモフも負けじと走りながら破壊球を撃ちだしました。

 そのほとんどはダメージ狙いというよりも煙幕代わりなんでしょう。


 【戦略級】が牽制扱いにしかならないという事実に色々と泣きが入りそうです。


 モフモフがこのまま突撃すれば【無色の獣】にたどり着くでしょう。

 しかし、後ろには無数の必滅の針、空から岩盤、前は不可視の爪撃です。

 上はともかく後ろの針はどうにか無力化しなければならず、これは自分の仕事のようです。


「なら、こうしましょう」


 射撃モードに切り替え、強化する術式が一つならコレを選択します。


 モフモフが走った後ろを無数の壁が乱立していきます。

 施工術式による壁の構築です。


 その一つ一つに針が刺さり、消滅していきます。


 それどころか消滅途中の針に巻きこまれて別の針も消滅していきます。

 まるで連鎖反応ですね。


 これなら後ろはもう気にしなくてもいいでしょう。


 前を見たら、もう【無色の獣】は目の前でした。


『――――――ッ!!』


 速度が乗ったモフモフの噛みつきは正確に【無色の獣】の首に突き刺さりました。

 その瞬間、自分はモフモフの背中を蹴り、宙を舞います。


 空中で【愚剣】を近接モードに変え、自由落下の求めるがまま【無色の獣】の頭蓋に突きたてました。


 ざぶり、と奇っ怪な音が聞こえます。

 これでも刃の中程までしか埋まらないのですから、冗談のような頑丈さですね。


 【愚剣】は通用するとわかりました。

 しかし、自分は疑問を浮かべました。


 『どうしてヤツは脳を突き刺されたのに、まだ生きている気配がする』のでしょう?


 答えを知る前にヤツに頭を振る動きをされて、宙に放り投げ出されてしまいました。


 その時に自分は【無色の獣】と目が合いました。


 ――ほくそ笑んでいました。


 背筋を撫でる嫌な予感。

 それはすぐに現実になりました。


 懸命に牙を立てるモフモフを嘲笑うかのように前足でモフモフを地面に叩きつけ、逆にモフモフの首筋に牙を突き立てたのです。


『――――――ッ!?』


 初めて聞くモフモフの悲痛な声。


 暴れるモフモフをヤツは前足一本で御しています。

 ゴキゴキ、と鳴る音が耳に響きます。


 理屈に合わない状況に混乱しながらも冷静に自分は対策を立てていました。

 どうしたらモフモフを救えるのか、【愚剣】での斬撃は通用しても効果があるようにみえません。

 最高の術式は弾かれ、自分はただモフモフが死ぬのを黙って見ているだけなのでしょうか?


 この戦いに力不足だったのは自分の見通しの甘さでしょう。


 黒色ゴキブリを殺すだけが自分の培ってきた能か?


 その通りです。否定のしようがありません。


 モフモフが今、苦しんでいるのに助けられないような能を『俺』は求めていたのか?


 自分は殺す力だけを望んでいました。故にここには誰かを殺すためのものしかありません。


 通用しないとわかっている力を無様に試すのか?


 そんなことは百も承知です。だが、しかし――


「ふざけろ」


 ――宙に足場を作り、自分は持てる全ての力を足に込めました。


 通用しないのなら通用させるだけです。


 【愚剣】に溜めこんだ黄の源素を使い、【獣の鎧】をさらに覆うように体全てをまきこむ帯状の術陣。

 ミシミシと鳴る体の痛みを無視して、自分はヤツの首だけを睨みつけました。


 【戦略級】強化術式。


「『禍飯縄まがついづな』――ヘイエルド・ウォルルム」


 悲鳴のような雷の音と衝撃がその場に落ちました。


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