みんなで楽しむカンパリオレンジ
「セロ君。先生、動きにくいので足にしがみつくのはちょっと……」
涙目で上目使いされると、ため息と共に許してしまいました。
現在、室内は非常に静かです。
エリエス君も料理を手伝うようになり、野菜の仕込みなら任せても良いくらい手際よく野菜をむしっています。
どうやらマウリィ君の教育通り、料理の基礎を学んだようです。
でも、きっと創作料理をさせると危ないんでしょうね。
次に命の保証があるかどうかわかりません。引き続き手伝わせながら教えていきましょう。
セロ君は見てのとおり、警戒してか自分にしがみついて離れません。
もちろん警戒対象はフリド君……、だけと思いきやキースレイト君もでした。
セロ君がやってきてすぐ部屋の空気を凍らせた後、キースレイト君は勇敢にも誤解を解こうとしました。
「セロ嬢。言っている意味が」
「が、がおーっ」
人語ですらありませんでした。
あの小動物ちっくな吠え方はセロ君なりの必死な威嚇なんでしょうね。
ちなみにキースレイト君は絶句しました。二の句もあげずに二の足を踏みました。
会話はもちろん、成立しませんでした。
埒もあかないので、先にクリスティーナ君とマッフル君、リリーナ君をお風呂に放りこみました。
もちろん水は術式で、温めるのは以前、エリエス君が冒険者の一人に使った術式、エス・フラァートを使いました。
アレは熱量を移す術式ですから、ダイレクトに水を温めてくれます。
熱した石よりも効率的で、しかもクリーンです。
簡単にお湯が沸くのでお風呂の皆勤賞も楽でした。
そして、現在に至る、というわけです。
「セロ君。さっきも説明しましたが別に覗きに来たわけでも、一緒にお風呂に入るわけでもないんですよ。先生が呼んだのです」
「……むぅ」
聞く耳持ちませんでした。
そっぽ向いてツンッと唇を突き出しています。
性差について意識向上したのは結構なんですが反応が過敏ですね。
しばらくすれば落ち着くとは思いますが、これは自然の流れに任せたほうがいいのかもしれません。
一方、たまったものじゃないのが男の子二人です。
「……なぁ、キース」
フリド君はピンと背筋を伸ばしたままソファーに座り、チラチラと床やら天井に視線を這わせていました。
「……どうしたフリド」
キースレイト君はソファーに沈みこむようにもたれ、本棚から取ってきた『超料理百選-うまいトカゲのさばき方-』を読んでいます。
ですが、気配が散漫で十分に読みきれていないあたりキースレイト君も落ち着いていないようです。
「……音がするんだ」
「言うな。気にするとセロ嬢に何を言われるかわからないぞ」
キースレイト君とフリド君が気にしているのは裏手から聞こえてくる声が原因でしょう。
水音とリリーナ君の叫び声、きゃいきゃいと騒ぐクリスティーナ君やマッフル君の声。
うっすらとしか聞こえませんが、しかし、黙っていると聞こえてきます。
ソファーは特に裏手に近いので黙っていなくても聞こえると思います。
それが男の子たちにとっては落ち着かないのでしょう。
黙って聞いてるのも恥ずかしい、しかし、主にセロ君が原因で友達同士のノリで覗こうなどと言えない、テンションをあげられないのに声は聞こえ続けます。
ちょっとした精神への拷問ですね。
ともあれ気まずいのです。
そんな様子を定位置から追い出されたモフモフが眺めていました。
しかし、モフモフも律儀というかなんというか。
わざわざ移動した場所は裏手への入口前でした。
あの場所を陣取ることで衝動的に裏手へといけないよう精神的な壁になっているのです。
もっとも自分やエリエス君、そして、セロ君がいるので男の子二人は微動だにできません。
多分、アレはこの世でもっとも突破できない壁として存在しているんじゃないでしょうか。
これ以上、男の子たちに負担をかけるのはまずいですね。
いくら男として生まれた宿命のようなものだとしても、救いがあってもいいと思います。
「セロ君。もしもそこまでイヤだというのなら先生が二人に帰ってもらうように言いますよ?」
「……ふぇ?」
「二人がいるのがイヤなんでしょう?」
押してダメなら引いてみろ、です。
目に見えてセロ君はキョロキョロし始めました。
セロ君も自覚があるのでしょう。
キースレイト君とフリド君は何も悪いことをしていないと。
悪いことをしていないのにプレッシャーを与え続けているとわかっているのですが止められない。
いつ、キースレイト君とフリド君が興味に走るか警戒せずには居られない。
正しい反応なのですが、過ぎれば何事も毒です。
「それは……、かわぃそうなのです」
「そうですね。あの二人は悪いことをしたりしません。ですので許してあげてください」
何を許す、とは言いません。
悪いことをしていない人を責めてはいけない。
その意識がそっくりそのままセロ君をたしなめてくれます。
「わかりました……」
セロ君が足から離れると、トコトコとキースレイト君とフリド君の前まで歩いていきました。
近づくたびにキースレイト君とフリド君の顔が面白いように焦りに変わります。
「だ、ダメなのですよっ」
めっ、と叱るように二人に言いました。
「お、おう……、わかってるぞ」
「そのような真似はしない。だから落ち着くんだ」
二人のセロ君への反応は腫れ物扱いでした。
セロ君本人よりも周囲の壁が分厚いですからね。
もしもセロ君から何かしら二人の行動が伝われば、まず間違いなく『セロ派』が黙っていません。
ヨシュアンクラスを筆頭にマウリィ君やティルレッタ君までセロ君を妹のように扱っていますから、当然、自称姉たちは発奮して二人を責め立てるでしょう。
中にはティッド君のような子もセロ君に味方する男の子もいるでしょう。
寮内で村八分にされる危険は侵せません。
でもって現在、物理的にセロ君を傷つけられる相手もほとんどいません。
何がってレギィが置いていった白属性の教本。
あの物理結界を貫けるのは今のところキースレイト君の上級術式くらいです。
そろそろ【術式剣】を教えた方がいいでしょうか?
学習要綱にないので教えるつもりはなかったんですが、次の【試練】でレギィのような真似をする相手が来ないとも限りません。
授業と並行してマッフル君あたりに【術式剣】、クリスティーナ君とリリーナ君には【導歩】を教えてもいいかもしれません。
エリエス君やキースレイト君には【源素融合】や上級術韻、セロ君は白の術式のもう一つ先を教えていきましょうか。
フリド君は【攻点剛体】か【防点剛体】のどちらか……、は、さすがに自分では無理ですね。
ヘグマントが教えることになるでしょう。
ティッド君にも何か教えましょうか?
とはいえティッド君はまだ身体が出来ていませんし、かといって新しい術式を教えるほどでもありません。
セロ君の好きな食べ物でも教えてあげましょう。
まったく試練対策になりませんが、恋の対策にはなります。
考えながら鍋の灰汁を取っているとエリエス君の視線に気づきました。
「野菜の仕込みが終わりましたね。次はスープに入れてください」
「はい」
エリエス君と場所を交代して、自分は何をしましょうか。
まな板の前で考えます。
今日は汗をかいている子が多いので、塩と豚肉、豆、ニンニクあたりを利用して……いえ、ニンニクは女の子がいるので止めましょう。
野菜ましましコンソメスープに……、そういえばエリエス君が創作料理したときに生姜を使おうとしましたね。
たしか生姜は……、あ、乾燥させていました。
生姜はそのまま使えば熱を冷ます効果がありますが、乾燥させると逆に熱を出す効果があります。
これだと使えませんね。
無難に塩を仕込んだ焼豚にしましょうか。
豚一品、スープ一品、豆をどうするか迷いますね。
トマトが身体を冷やす効果があるので、トマトベースで豆を煮込みましょうか。
となるとトマトを……、トマトがない?
横を見るとコンソメスープに切ったトマトが入っていました。
一瞬、思考が止まりました。
「なんですか?」
エリエス君がこちらの視線に気づいて不思議そうな瞳をしています。
「なんでもありませんよ」
コンソメトマトスープ……、悪い組み合わせでもないので隠しきれない隠し味だと思っておきましょう。
というかもう、ここにソーセージを入れたら、ただのアイントプフです。
「エリエス君。この豆を湯通ししてからスープに入れておいてください」
もう一品は諦めました。
スープと豚肉、パンでいいです。
「煮込み終わったら教えてください」
料理はもうこれ以上、手を加えなくてもいいですね。
最後に塩を入れて調整すれば済みますし。
振り向けばセロ君はちょこんと椅子に座っていました。
警戒をするのをやめたので手持ちぶさたになったのでしょう。
「セロ君。そろそろクリスティーナ君たちがあがってくるはずです」
そろそろ準備をしなさい、と言いかけて止まりました。
言い切る前に裏手のドアが開いたからです。
「うわ、モフモフがいるし!」
「何もドアの前で寝なくてもよろしいのではありません?」
湯上りのクリスティーナ君の髪はドリルが萎れ、クルクルと呼べるくらいの曲線に変わり、妙におしとやかな雰囲気を出していました。
着ている服はふっくらとした生地の分厚いネグリジェでした。
その下も同じような雰囲気の膝下までのズボンなのですから、上下を合わせた特注品でしょうか?
どこか気品のようなものすら感じさせるあたり、血統ですね。
マッフル君はパジャマというよりもいつもどおりの服装でした。
ノースリーブに膝丈ズボン、これで一枚、上を着れば散歩できそうですね。
髪が短いので普段との印象は変わりませんが、やっぱり上気した頬色なんかは女の子ですね。
たぶん男の子が来ると思ってエリエス君がいつもどおりのものを用意したのだと思います。
その辺の気回しができてホッとしています。
この二人の湯姿に一瞬、顔を変えた子がいますね。
セロ君が振り向いたので慌てて顔を隠したフリド君。減点です。
キースレイト君はこの辺、ちゃんと自制して見ないようにしています。
「リリーナ君はどうなりました?」
自分が質問すると、クリスティーナ君とマッフル君は顔を見合わせ微笑もうとして、お互いの顔を掴みました。
今までの仲の良さはどこへいったんですか?
押し問答している足元からモフモフが逃げていき、そして、二人の腕をくぐるようにリリーナ君がやってきました。
長い髪をまとめ、布を巻きつけた湯上りスタイル。
白い肌も湯にさらされたせいか健康的に見え、艶が見えました。
Yシャツに短パン……、出処はキャラバンでしょうか?
自分の着ているものに似ていると思ったら、やっぱりベルナット・マグル店の刺繍がありました。
簡素な柄ではありましたが、しかし、リリーナ君が着ると出るとこ出ますね。
同年代よりも色気のある格好だと思いますよ。
現にキースレイト君が本を落としましたが、やはりセロ君に見られそうになったので慌てて拾い直しました。
ただそんな色気も自分を見て、すぐ不満そうに顔を背けたら意味がありませんね。
毛嫌いしていたけど、それは食わず嫌いのようなもので実際に友達と入ってみたら楽しかった、というところでしょうか。
その表情、まんざらでもなかったと受け取りましょう。
「リリーナ君。お風呂は好きになれましたか?」
「いーだっ、であります! 先生なんか『ドゥドゥフェドゥ』に噛まれたらいいんであります!」
「まぁ、そう言わない」
布の上からポンポンと頭を叩いてやると何も言いませんでしたが、やっぱり納得できないのでしょう。
「お風呂から上がって美人になりましたよ?」
「ムラムラしたら許してあげるであります」
「物理的にちょっと……」
掴みかかってきたので頭を抑えておきました。
君たちがどうのこうのではなく、ただの対象外ですからね。
「ただ一般的な感性で言うのなら、リリーナ君のその姿で迫れば大抵の男は落ちると思いますよ」
「それはそれで嬉しくないであります」
褒めたつもりなんですが喜ばれませんでした。
ある程度はこの子たちのことを掴めてきたと思っていましたが、やっぱり難しいですね、女の子は。
いい加減に疲れたのか自分に挑むのを諦めて椅子に座って、グタリとしました。
「リリーナ君。一応、言っておきますが長風呂だけは避けておきなさい。知っていると思いますがエルフは暑さに弱いんですから」
「あ、もしかして湯がちょっとぬるかったのはそのため?」
「そうですよ。さて、リリーナ君があがったのでお湯をちょっと熱めにしてきま――」
「何を考えてますの! 先生のスケベ!」
え? 言われて、足が止まりました。
「先生はもっとデリカシーを持ってくださいません! エリエスさん。貴方、エス・フラァートは使えましたわよね」
「手が離せない」
「次は貴方とセロの番でしょう! いいからとっとと入ったらどうですの!」
エリエス君の瞳が憮然な色に曇っていましたが、順番はあらかじめ決められていたと思い直したのか仕方ないと言った感じで、エプロンを脱ぎました。
そして、前もって準備万端なセロ君と一緒に裏口から出ていきました。
「ちゃんとあがったらお湯を捨てておいてよ。悪用されるかもしんないし」
エリエス君とセロ君が通り際にマッフル君が注意していました。
残り湯なんて一体、何に悪用するんですか。
「先生はまたお湯を張り直してよ」
「……わかりました。わかったから剣呑な空気を出さないの」
本当に女の子は難しいですね。
そして、男というのは災難ですね、ねぇキースレイト君、フリド君。
ちなみにモフモフも災難ですね。
結局、モフモフは居場所を追われてテーブルの下に行きました。
そこも将来的には追い出される宿命にありますよ?
「大変ですね。ねぇ、モフモフ」
見てください、モフモフも『なんぞ?』という風に顔をあげてますよ?
でも、すぐに気にならなくなったのかまた前足を枕にし直しました。
こうして生徒たちが順番にお風呂に入っていき、エリエス君とセロ君があがれば男の子二人でお風呂に向かいました。
ちなみにエリエス君とセロ君に色気があるかどうかはともかく、まぁ、滅多に見ない私服でした。
エリエス君とセロ君は合わせたようなワンピース型のネグリジェでした。
エリエス君が薄い黄色にセロ君はちょっと桃色です。
同じ形をしているところを見るとこれもキャラバンで買ったものでしょうか?
エリエス君とセロ君はよく二人で買い物に出かけますからね。
披露するように手を広げているセロ君は微笑ましいですね。
エリエス君も手を広げて見せていますが、瞳はイヤイヤやっていると書いてありました。
「湯上り美人さんですねセロ君、それにエリエス君も」
セロ君は微笑み、エリエス君はピクリと頭を動かしました。
ん? この反応……、以前も見たような気がしますね。
ほとんど一瞬だったため、見過ごしそうになりましたがどこか引っかかります。
そして、それを思い出したのはキースレイト君とフリド君が帰ってきて、夕飯を始めた時でした。
「このスープはトマトスープにしては少しトマトの味が少ないのではありませんか?」
椅子が足りないのでソファーで食べているキースレイト君の一言が始まりでした。
「口に合いませんか?」
「いえ、トマトを少なくするとこんな味になるのかと思っただけです」
舌が肥えているはずのキースレイト君でも食べてくれている以上、味自体は悪くないのでしょう。
クリスティーナ君も若干、不思議そうな顔をして食べていましたがやはり文句を言わないあたり、間違いないはずです。
「先生の料理ってさ、変わってるっていうか食べなれてない味っていうか、うん、変」
「変とはなんですか、変とは」
「でもさ、まずくないし美味しいと言えば美味しいんだよね」
たぶん自分の味覚に合わせているからでしょうね。
故郷の味付けに比べるとこちらよりも濃くしようとしますから、まずくなく、だけど味は食べなれない、という感じになるのだと思います。
この辺は自分では確認できませんからね。
一応、ちょっと薄目に作っていたのですがスープに色々、混じりました。
なので濃くしなければなりませんでした。
「セロはだいすきなのですっ」
「ありがとうセロ君」
笑顔で嬉しそうに食べるセロ君だけが癒やしです。
「俺には贅沢な味だと思います! ですが! これほど具が入ったスープは! 生まれて初めてです!」
「大げさですわね。これくらいで」
「んーにゃ、フリルお嬢様にゃわかんないだろーけどさ。もっともっと野菜とか少ないし、パンもこんなに用意しないし」
「そんなものですの? ふぅん。私としてはもう一品、欲しいですわね」
「太れ、このフリルめ」
「なんですって!」
「……おいしいです」
「セロのところは野菜がはいってないときもあったのです」
「それはただのヴィシソワーズかコーンスープだろう?」
「? これとおんなじ、野菜スープなのです」
「キースとクリスティーナはまず、セロがどんな生活してたか聞いたほうがいいよ? たぶん泣けるから」
「……それは、済まない」
「リリーナんとこはどう?」
「んー、生まれる寸前の卵を塩茹でしてからーであります」
「やめれ。もういいから。想像しただけで食欲なくすから」
「う、生まれる? 塩茹でって、どうなりますの? リリーナさん?」
「誰かリリーナ君を止めましょう。たぶん、聞いたら後悔します」
この一連の会話の途中、違和感が混じりました。
蚊の鳴くような声で生徒たちの声にまぎれましたが……、聞き間違いではなかったはずです。
「エリエス君。今日の夕飯はどうでしたか?」
エリエス君はスプーンを止めて、こちらを見ました。
静かに、湖面のような黒を瞳にたたえて、でも今度はハッキリと声に出しました。
「おいしいです」
エリエス君は自分が料理の感想を聞いたとき、いつもこう言ってきました。
『特筆すべきところはありません』と。
「エリエス君が手伝ってくれたおかげですよ」
お風呂が娯楽であるように、こうして皆で囲む食卓もまた娯楽になりえるのでしょう。
何も珍しい話ではありません。
ですが『特筆すべきでなかった食事』が、エリエス君にとって『おいしいと感じる食事』に変わった、決定的な瞬間でした。
リリーナ君のお風呂嫌いがそうだったように。
でも、皆で入って楽しさを見つけたように。
エリエス君もまた料理をすることで何かの楽しみを見つけたのでしょう。
「ありがとう、エリエス君」
それはほんの少しだけ、頬を緩めていい微笑ましさだったのでしょう。
自分はまだ微笑を作るくらいしかできませんが、それでも。
この日ばかりは心と形が一致していたような気がします。




