滑り落ちるスプリッツァー
夕暮れどきになれば見事に建物の基礎部分が出来上がっていました。
残りは壁を張り、屋根を付けて、内装を整える作業です。
後二日を考えれば十分な建築速度でした。
同じように用水関係はかなり進みました。
湖から一本の溝が敷かれ、リィティカ先生より頂いた浄水石が沈められた浄水槽を経由して、貯水槽へ。
この貯水槽に流水の術式具を設置し、シャワー室のシャワーに送られる予定です。
予定、そう予定です。
素人を引き連れて素人の自分がよくここまで作れたものです。
本来、用水関係はかなり手こずると思われたのですがうまくいったものです。物は試しと湖の水を流してみて貯水槽の水を飲んでみました。
……ちょっと怖かったのは内緒です。
いえ、リィティカ先生を信じていないわけではないんですよ?
いくら北の湖が透明度の高い水でも煮沸消毒もせずに飲む、というのは耐性があっても怖いものです。
結果は特に問題ありませんでした。
とはいえ不安なのでシャワー室の水をがぶ飲みしないように注意する必要がありそうです。
ともあれ、ここまで作って、我ながら良く出来たと少し満足している自分がいます。
「皆もよく頑張りましたね。明日も建築の手伝いの依頼を出しますからこの続きが気になるようでしたら引き続き、依頼を受けてください」
「……あぁ、そう」
「……おことわりですわ」
「先生は元気でありますなー」
ぐったりと結晶石材にもたれて動かなくなったクリスティーナ君とマッフル君。
リリーナ君も若干、飽き飽きしたのかあまり身動きしませんし、フリド君は爽やかな顔で汗をぬぐっていました。
体力的に余裕があったのはもちろんエリエス君とキースレイト君でした。
ですが散々、金属を彫り続けていたせいか二人とも手首を揉んでいます。
「皆、くたびれていますね」
「……えぇ、そうですわね。先生がコキ使いましたもの」
クリスティーナ君が率先して仕事しろというので頑張りました。
まったくもって全然、後悔はありません。
そのせいか土汚れがひどいですね。
クリスティーナ君なんか頬に汚れがついています。
さすがに見過ごせませんね。
ならこの子たちには最初にシャワー室を体験してもらいましょう……、と言いたいところですがまだ浄水できるだけです。
「せっかくなので先生の家で湯を張りましょうか」
「本当ですの!」
「マジで!」
ぼそ、と呟いただけなのにこのクリス&マッフルの超反応。
女の子だけあってお風呂が好きそうですね。
「初めて先生が神聖な何かに見えますわ……」
「鬼畜だと思ってたけど、マジ神様! 心の中で何度も鬼畜って思ったけど取り消しとくから!」
この子たちはお湯に沈めてしまいましょう。
心を洗い終えるまであがらせません。
ところで何故、ここまで言われて二人にオシオキしないかというと、それ以上の問題児を控えさせているからです。
「リリーナ君。どこに行こうとしているのですか?」
お風呂という単語を聞いた瞬間、逃げ出そうとしたリリーナ君の襟首を捕まえました。
「熱いのきらいでありますー!」
「猫科ですか、本当に。ちょうどいいのでリスリアのお風呂文化を堪能なさい」
リリーナ君は入浴と聞いて行水と言いました。
さすがに体育した後なんかは水拭きしたり、行水したりしていたのでしょうが入浴については反応しませんでした。
文化の違いだから入浴しなかった。
そう取れるのでしょうが先生を甘く見ないほうがいいですよ。
リリーナ君なので、あえて反応しなかったと取るべきです。
なにせ露骨に話題を逸らしていましたね。
おそらくセロ君あたりに入浴を勧められて、そこから風呂嫌いになったと見るべきです。
しかし、そんなことを自分に知られたら最後、お風呂好きにされると危惧したのでしょう。
いいじゃないですか、お風呂好き。清潔で、血行も良くなりますよ?
美人度があがりますよ?
「そうやって先生はいつもリリーナにいじわるするであります!」
「これを機にそのお風呂嫌いをなおしましょうね」
「なおさなくていいから見逃がしてでありますー!」
これはますます調教――もとい、教え甲斐があります。
もっとも教えるのは他の生徒に、なんですけどね。
「さてキースレイト君とフリド君もさっぱりしたいでしょう。一緒にお風呂に入っていきますか?」
「えー!」
マッフル君から露骨な拒否が入りました。
「ヨシュアン教師。私たちは別に水拭きでも。そうだろう、フリド」
「お、おう……」
こうなると男の子は是非とは言えなくなります。
しかし、ここまで頑張った生徒たちになんの労りもなく帰してしまっては気遣いのプロであるピットラット先生に生暖かい眼で見られてしまいます。
「言い間違えました。強制です。キースレイト君もまだ陽がある内から精密作業して疲れているでしょう。汗だって出ていますね? 身奇麗は教養の基本です。基本をおろそかにしてはいけません。そして先生は先生なのでおろそかにする生徒にはオシオキしないといけませんがよろしいですか?」
「……ヨシュアン教師。貴方という人は」
キースレイト君が疲れたような眼でこちらを見てきました。
「フリド君。お風呂に入ると強くなれます」
「本当ですか! ついていきます!」
一方、フリド君は単純です。
嘘をついてまで君たちを労わろうとする先生の心意気に涙すると良いですよ。
「エリエス君は……、特訓がありますし参加しますね」
「はい」
無感動に言われましたが、この子もあまりお風呂とか好きそうじゃありませんね。
お風呂が嫌いな子に『時間を取られるから嫌い』という、変な理由があります。
エリエス君はこの理由が原因でしょうね。
本を読む時間が少なくなるから嫌い、まではいかなくても面倒と思っているかもしれません。
積極的ではないけれど、できれば入る手間を減らしたいというタイプです。
ただ教養で身奇麗は大事だと教えていたので、ちゃんと水拭きをしていたと思います。
「では、ここで依頼を終わります。クリスティーナ君、マッフル君」
心得たように二人はリリーナ君の両腕に極め技を敢行しました。
そして、エリエス君が三人の受諾書を取り出すと自分にサインを求めてきます。
この連携はさすがというか以心伝心というべきか。
ヨシュアンクラスのノリの良さというヤツです。
キースレイト君とフリド君のもサインして、これで依頼達成です。
「あとはシェスタさんに達成証を渡して完了ですが、先生の名に置いて代理提出を指示します。キースレイト君とフリド君は面倒かもしれませんが全員分の達成証を持っていってください」
「……毛嫌いしているようなのですから、そこまでしなくてもよろしいのでは?」
「この子は毛嫌いしているものはちゃんと言って、させてやらないと一切、手をつけようとしません。それは物事への挑戦を諦めているのと同じです」
「……そうですか」
キースレイト君は論破を諦めたようです。
「では、二人は達成証を出した後、寮によって入浴の道具を取ってきてください」
鷹揚な返事と共にキースレイト君とフリド君は学び舎へと向かっていきました。
「エリエス君は三人……、いえ四人分の布と着替えの服、他に必要なものを用意してください。クリスティーナ君とマッフル君はわかっていますね?」
「もちろん」「ですわ!」
「やだー! 先生なんて嫌い、嫌いでありますー! クリクリとマフマフも離してでありますー!」
「リリーナさん……、リスリアにはこんな賢訓がありますのよ」
クリスティーナ君はすこしだけ静謐な顔で、
「友を犠牲にしてでも風呂に入れ、と」
などとのたまいました。
げに恐ろしきかなお風呂への執念、でしょうか。
ちなみにそんな賢訓、聞いた覚えはありません。
しかし、二人とも授業より熱心ですね。
特にクリスティーナ君が熱心なのは、毎日お風呂に入れなかったストレスかもしれません。
なにせ学園寮でお風呂に入ろうと思うのなら、自分で簡易浴槽を倉庫から取り出して、手ずからお湯を入れて、誰が見ているかわからない場所でお湯に入らないといけませんからね。
気にならない男の子は別にいいんでしょうが女の子はそうも言ってられません。
なので女の子たちは決まった日に監視を交代しながらお風呂に入ります。
狭い簡易浴槽で交代を繰り返し、最後になればなるほどぬるくなっていきます。お湯も汚くなります。
最後の子はもうただぬるま湯に浸かっているだけでしょうね。
今はまだ夏場でいいですが、これは本格的に入浴場を作らないと冬場に風邪を引く子も増えそうですね。
「うにー……、であります」
さすがのリリーナ君も協力したクリスティーナ君とマッフル君のコンビには敵いません。
ズルズルと引きずられていくリリーナ君の後ろ姿は妙な哀愁が漂っていますね。
さて、教師陣も寮での厳しい入浴条件と同じような状態です。
と言っても男性用と女性用の簡易浴槽を持ち回りで使っているだけです。
簡易浴槽を使用してもいい日付が決められていて、女性陣は二日に一回、男性陣は四日に一回、許可日が回ってきます。
許可日に使うかどうかは本人の意思ですので強制ではありませんが、それでもこまめに水拭きしていれば一回くらい飛ばしても問題はありません。
内紛中、一ヶ月は入れないとかザラにありました。
ちなみに自分は今のところ皆勤賞です。
勤勉な騎士二人に捕縛された酔っぱらいのようなリリーナ君と一緒に社宅に戻って、すぐに倉庫から簡易浴槽を引っ張り出しました。
簡易浴槽の大きさは例えようがありませんね。
腰ほどの高さ、子供が寝そべるくらいの横と奥行の長さ、大きな箱のような形をしています。
木製で継ぎ目を樹精で目張りして、水が漏れないようにしたものです。
ちょっと窮屈かもしれませんが生徒たち四人くらいなら、なんとか入れます。
これを社宅の裏側に置き、リンネル布を壁にして簡易浴槽の設置が完了です。
そうして一度、社宅に戻るとロープで縛られたリリーナ君がいました。
極め続けるのも疲れますからね。体育で教えた捕縛術が今、生徒を襲うという本末転倒には目を背けておきましょう。
「エリエス君が来たら四人で一緒に入りなさい。男の子たちはその後です。それとリリーナ君のお風呂嫌い克服には君たちが対処してください」
「対処って、普通にお風呂に放りこんだらダメなわけ?」
マッフル君の疑問は当然でした。
リリーナ君に聞かれるとまずいので羊皮紙に対処法を書き、リリーナ君に見えないようにクリスティーナ君とマッフル君に見せました。
お風呂嫌いの原因は怖さや億劫さがほとんどです。
まずお湯に入ることが怖いと思うのなら、お湯に入る安心感や楽しさを伝えるようにします。
お風呂は身奇麗にする以外にも、心の充足に貢献します。
そういう面で見ればお風呂は娯楽と言ってもいいでしょう。
ですから楽しんで悪いことはありません。
億劫な子はお風呂を作業だと感じているからでしょう。
なので『嬉しい』『楽しい』という言葉をリリーナ君に投げかけつつ、お風呂=遊びだと思わせることが肝心です。
リリーナ君がお湯に入って楽しくない、面倒だと感じる理由がどこかにあります。
それを二人が見つけて、どちらかの方法でリリーナ君に『楽しいものだと伝える』のです。
「というわけです。わかりましたか」
「それだけでよろしいのですの?」
クリスティーナ君は疑問を浮かべていましたが、意外とこれでなんとかなります。
それと洗剤が目に入るので嫌い、という子もいます。
これは……、そうですね。ようするに目に入らなければ問題がないはずです。
特にその方法が楽しいものなら嫌いにもならないでしょう。
すぐさま一枚の革生地をとりだして、リリーナ君の頭のサイズを測りました。
革生地をドーナツ状に切り出せばあら不思議、シャンプーハットの出来上がりです。
「なんですの、これ」
「……これだ!」
マッフル君は何かを閃いたようです。
というかさすがは商人の嗅覚、お金の匂いに敏感です。
「これってあたしらが作っても怒らないよね」
「別に構いませんよ。何に使うかは大体わかりますね?」
「リリーナが実験台になってくれるから大丈夫だし、これは売れる!」
どうやらマッフル君はシャンプーハットを量産して、キャラバンに売るつもりです。
しかもご丁寧にシャワー室の使用が許可されている以上、実際に体験させることも可能です。
あと実験台のくだりでリリーナ君がビクリと肩を震わせました。
かわいそうに……、しかし、容赦はしません。
ただ自分にも一つだけ誤算がありました。
忘れていたわけではありませんが、必然だったのでしょう。
「戻りました」
「……なのです」
エリエス君がセロ君を連れてきたのは。
なんかセロ君に恨めしげな眼で見られています。
『またセロをのけ者にして皆で何かしてたのです』とでも言いたげで、直視に耐えません。耐えられません。
きっと自分も疲れていたのだと思います。
まさかセロ君への気遣いを忘れていたなんて……、あっはっはー。
「エリエスちゃんが皆の着替えをもってぃってたのです……」
「え、えぇ。先生がそう言いましたね」
「セロが聞かなかったらエリエスちゃん、そのまま寮からでていってたのです……」
「そうですか。すれ違いにならなくて良かった、良かった」
「皆でおとまりするっていったのに……」
最後のほうは涙目でした。
しかし、微妙な勘違いが見え隠れしていませんか?
「エリエス君。セロ君にどう説明しましたか?」
「先生が入浴に必要なものを持って先生の家に、と言いました」
言葉が決定的に足りてないのでした。
ちなみにエリエス君もセロ君の変化に戸惑っているような眼をしていますね。
「お泊り会ではないですよ? 皆、今日は依頼で汚れたので先生がお風呂に誘ったんです。セロ君も今日は別の子と一緒に依頼に行ってましたよね?」
「ぁぅ……」
セロ君はエリエス君が着替えを持って先生の家に行くのを見て、お泊り会をするのだと勘違いしたようです。
妙に泊まりたがっていましたからね、セロ君は。
だから、というわけではありませんが『言い出しっぺなのにセロ君がのけ者にされた』ことに憤慨したようです。
珍しいこともありますね、本当に。
「セロ君を仲間ハズレにしようと思っていませんでした。でも心配させてしまいましたね。先生を許してくれますか? セロ君」
頭を撫でてやるとセロ君はちょっとだけ唇を尖らせて、
「ゆるしてあげるのです」
と、微笑んで言ってくれました。
ちょっと困らせたかっただけ、なんでしょうね。
それにしてはちょっと黒いオーラをまとっていたような気がするのですが気のせいでしょう、えぇ、絶対に見えてません、そんな不気味な気配。
まさかこれ、ティルレッタ君の影響……、そんなわけないですよね。
「えぇ。さて、セロ君が加わったところで順番を決めましょうか。さすがにあの浴槽に五人を放りこむのは難しいですね。なのでまずはクリスティーナ君とマッフル君、そしてリリーナ君です。特にクリスティーナ君とマッフル君は先生の言ったことをちゃんとしてくださいね」
「んー、いいよ。それだけのものは貰ったし」
「当然ですわね。リリーナさんには今日から毎日お風呂に入らないと生きていけない身体にしてさしあげますわ」
そんな中毒にしなくていいんです。
「リリーナ君もいいですね?」
「つーん、であります」
あ、ヘソを曲げてしまいましたか。
「セロ君とエリエス君はそのあと。キースレイト君とフリド君は最後ですね」
「ぁぅ?」
セロ君が不思議そうな、クリクリした眼で見てきました。
「お泊り会でない理由ですよ。キースレイト君とフリド君もお風呂に入ります」
まるで思考停止してしまったようなセロ君の後ろから、キースレイト君とフリド君が開いた玄関の扉から顔をのぞかせました。
「お邪魔します。ヨシュアン教師」
「ごめんください! お邪魔します!」
フリド君の大声にセロ君は毛虫をいられたような身震いをした後、自分に抱きつくように背後に隠れてしまいました。え?
「てんたぃなのですっ」
……フリド君は星になっていませんよ?
正しくは変態。言い間違えしないように。
その言い間違えはフリド君に死ねと言っているようなものです。
しかし、この言い間違えで室内は何故か凍りついてしまいました。
もしかして、この空気を処理するのって自分ですか?




