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AIと打つ、その次の一手  作者: 柚木 いと


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第二十二話 止まる一手

 白半目負けのあと、朝倉湊は対局室の外に出る前に、もう一度だけ上辺を見た。


 最初に押さえた一手は必要だった。

 その次の一手はいらなかった。


 盤を見返すと、それはもう言い逃れできない。


「今日は、そこがはっきりしているな」


 小田切の声だった。


 湊は顔を上げる。

 通路の壁際に立つその姿は、いつも通り静かだった。静かなのに、逃がす感じはない。


「二回目でした」

 と湊は言う。

「うん」

「上辺へ行ったのはよかった」

「うん」

「受けたのも悪くなかった」

「うん」

「でも、その次は打ちすぎた」

「そうだな」


 短い返事だった。

 けれど、その短さのぶんだけ盤の上の形と重なる。


 湊は少し息を吐いた。


「先生」

「何だ」

「どこで止まればよかったんですか」


 小田切はすぐには答えなかった。

 少しだけ盤の方へ目をやってから、言う。


「一手目で、行き先を取った」

「はい」

「二手目で、その形を壊されないようにした」

「はい」

「そこでもう十分だった」


 湊は黙る。


「取れるだけ取りにいくな」

 と小田切が言う。

「必要なところまで取ったら、次へ回れ」

「……次へ」

「そうだ。あそこで黒は、もう上辺に用は足りていた」


 その言い方が、少しだけ刺さった。


 用は足りていた。

 なのに自分は、まだ足した。

 ちゃんとしたかった。もっとはっきり黒のものにしたかった。勝ちに近づくつもりで、同じ場所にもう一手かけた。


 でも実際には、その一手で外へ向く余裕を失った。


「おまえは今」

 と小田切が続ける。

「行き先までは持てるようになった」

「……はい」

「次は、その行き先で十分かどうかを見る番だ」

「十分かどうか」

「そうだ。利いた。押さえた。呼吸も残った。なら、そこで次へ回れることがある」


 通路の向こうで、人が二人通り過ぎる。

 次の対局に向かう足音は急いでいるのに、ここだけ少し時間が遅い。


「先生」

「何だ」

「十分って、どう見ればいいですか」


 小田切は少しだけ口元を緩めた。


「相手が、もうすぐには困らせに来られない形か」

「……はい」

「自分の石が、そこで詰まっていないか」

「はい」

「もう一手そこへ打つより、別の大きい場所へ回る方が盤が広くなるか」

「はい」


 湊は頭の中で、さっきの上辺を並べ直す。


 最初の一手で白に先に打たれたくない場所を押さえた。

 次の一手で白を軽くさせないように受けた。

 その時点で、白はすぐには上辺を大きくしにくかったし、黒の石もまだ働いていた。


 なら、あそこで十分だった。


「自分」

 と湊は言う。

「勝ちたくて、そこをはっきりさせたくなりました」

「そうだろうな」

「ちゃんと取れてる感じが欲しかった」

「分かる」


 その一言が、少しだけ意外だった。


「でも」

 と小田切は言う。

「盤は、何手打ったかではなく、何が残ったかで決まる」

「……はい」

「一手増やして安心したくなるときほど、止まる場所を見ろ」


 静かな声だった。

 でも、その言葉は今日の負けより長く残る気がした。


 湊は壁から背を離す。


「次は」

 と小田切が聞く。

「何を持つ」


 湊は少しだけ考えた。


 右辺の石を残す。

 中央に息を通す。

 上辺へ使う。

 そこまでは、もう前より見える。


 なら次は。


「十分なところで、次へ回る」

 と湊は言った。

「同じ場所に、もう一手かけたくなったときに」

「うん」

「それが本当に要るのか見る」

「うん」

「要らないなら、そこで止まる」


 小田切は一度だけうなずいた。


「それでいい」

「まだ小さいですけど」

「小さいことを外さずに打てる人間が、最後に大きいところで間違えにくくなる」


 その言葉は、前より少しだけ素直に入った。


 盤全体はまだ遠い。

 でも、止まる場所なら見られる気がする。


「行ってこい」

 と小田切が言う。

「今度は、取りすぎるな」

「はい」


 湊は歩き出した。


 次の席までの短い道のりで、頭の中に残る言葉は一つだけだった。


 十分なところで、次へ回る。


 石を残す。

 息を通す。

 行き先を取る。

 そして、そこで止まれるなら止まる。


 今日はそこまででいい。

 そこまでを、自分の手で外さずに打つ。

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