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AIと打つ、その次の一手  作者: 柚木 いと


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第十九話 行き先

 白一目半負けのあと、朝倉湊は会場の端にある細い通路で立ち止まっていた。


 右辺の石は残った。

 中央にも息を通せた。

 そこまでは、自分でも分かる。


 なのに勝てなかった。


「今日は、途中までは悪くなかったな」


 小田切の声だった。


 湊は振り向く。

 通路の壁際に立つその顔は、いつも通り急がせない。けれど、曖昧にもしてくれない顔だった。


「途中まで、ですね」

「そうだ」

「中央の息は通せました」

「うん」

「でも、そのあとで何も取れなかったです」

「そこだな」


 小田切は短く言った。


 それだけで、胸の奥が少しだけ重くなる。

 やはり、そこなのだ。


「先生」

「何だ」

「中央に息を通したあと、自分、もう一手中央に打ちました」

「打ったな」

「悪くはなかったと思います」

「悪くはない」

「でも、勝ちには近づかなかった」


 小田切はうなずいた。


「おまえは今日、守った」

「はい」

「守るべきでないとは言わない。だが、その一手で何を先にするかが薄かった」

「何を先にするか……」


 湊は言葉を繰り返す。


「息を通したなら、その次は行き先だ」

 小田切が言う。

「行き先を持たないまま打つと、形は悪くなくても盤が前へ進まない」

「行き先」

「そうだ。上辺を先に押さえるのか。先手を取るのか。相手の石を軽くさせないのか。今日はどこへ使う一手なのかを決める」


 湊は少し黙った。


 盤を思い出す。

 あのとき、白に一度受けさせて、黒は中央に息を通した。そこまではよかった。なのに次の一手で、黒はまた中央を触った。悪くはない。だが、そのぶん上辺を先に決める手が遅れた。


「中央に息を通した時点で」

 と湊は言う。

「もう中央ばかり見なくてよかった」

「そうだ」

「その息を、どこへ使うかを見るべきだった」

「そうだ」


 小田切はまっすぐ返した。


「息を通すのは、苦しくならないためだ」

「はい」

「だが苦しくなくなっただけでは、勝ちにはならない」

「……はい」

「そこから何を取りにいくかが要る」


 通路の向こうで、人が二人通り過ぎた。

 次の対局へ向かう足音は、みんな少しずつ違う。急ぐ足音もあるし、負けたあとの重い足音もある。


「先生」

「何だ」

「最初から、そこまで決めて座るんですか」

「全部は決めない」

「ですよね」

「一つでいい」


 またそれだ、と湊は思う。

 でも結局、ここまで来るたびに、その一つずつでしか進めなかった。


「今日は中央の息を通すところまで持てた」

 と小田切が言う。

「次は、その次の一手の行き先を一つ持て」

「行き先……」

「上辺でもいい。先手でもいい。相手の形を窮屈にするのでもいい。だが、どこへ打って何を得たいのかを曖昧にするな」


 湊は壁から少し背を離した。


 右辺の石。

 中央の息。

 そのあとで、どこへ向かうか。


「自分」

 と湊は言う。

「次は、上辺を先に見ます」

「うん」

「右辺から中央に息を通したあと、上辺を押さえられるなら、そこへ行く」

「それでいい」

「地として取るのか、白に先に打たせないためか、そこも見ます」

「うん」


 小田切はそこで、少しだけ口元を緩めた。


「やっと、手の順番のあとに、手の行き先まで来たな」

「まだ小さいですけど」

「小さくていい」


 いつもの返しだった。

 けれど今日は、その言葉が前より少しだけ素直に入る。


 盤全体はまだ遠い。

 それでも、右辺の石から中央へ、中央から上辺へ。そうやって一手の行き先を持てるなら、盤の見え方も少しずつ変わるのかもしれない。


「行ってこい」

 と小田切が言う。

「今度は、息を通したあとで迷うな」

「はい」


 湊は歩き出した。


 次の席までの短い道のりで、頭の中に残る言葉は一つだけだった。


 行き先。


 石を残す。

 息を通す。

 そのあとで、どこへ使う一手なのかを決める。


 今日はそこまででいい。

 そこまでを、自分の手で外さずに打つ。

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