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AIと打つ、その次の一手  作者: 柚木 いと


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第十六話 何を得る手か

 半目負けのあと、朝倉湊は廊下の窓際に立っていた。


 右辺の石は働いた。

 相手にも一度受けさせた。

 そこまでは、自分でも分かる。


 なのに勝てなかった。


「そこまで見えているなら、今日はまだ前に進んでいる」


 小田切の声だった。


 湊は振り向く。

 窓の外はもう少し暗くなっていて、会場の白い壁だけが妙に明るい。


「前には進んでますけど」

 と湊は言う。

「負けました」

「負けたな」

「そこ、毎回ちゃんと言いますね」

「負けを曖昧にすると、次が濁る」


 その通りすぎて、返す言葉がなかった。


「先生」

「何だ」

「今日、自分、何が足りなかったんですか」


 小田切は少しだけ考えてから言った。


「利かせたあとだ」

「そのあと」

「相手に一手使わせた。その時点で、おまえの石はちゃんと盤に利いていた」

「はい」

「だが、その一手で自分が何を得たいのかが薄かった」


 湊は黙る。


 それは、さっき盤を見ながら自分でも感じていた苦さと、ほとんど同じ形をしていた。


「利かせる手は」

 と小田切が続ける。

「相手に受けさせるためだけに打つんじゃない」

「じゃあ」

「何を得る手なのかを持って打つ」


 湊はその言葉を頭の中で繰り返した。


 何を得る手か。


「得る、って」

「地かもしれない。形かもしれない。先手かもしれない。中央の呼吸かもしれない」

「そんなにいろいろですか」

「いろいろだ。だから決めないと薄くなる」


 窓に映る自分の顔が、少しだけ疲れて見えた。


「おまえは今日」

 小田切が言う。

「右辺の石を働かせるところまでは持てた」

「はい」

「だが、相手に受けさせたあとで、自分が何を大きくしたいのかが曖昧だった」

「……はい」

「だから、その場を少し整えるだけで終わった」


 痛い言い方だった。

 だが、その痛さのぶんだけ盤の上の並びとぴたり重なる。


 あのとき、自分はたしかに迷っていた。

 中央を少し厚くするのか。上辺へ回るのか。右辺をさらに落ち着かせるのか。どれも悪くなさそうに見えて、そのせいで何もはっきり取れなかった。


「先生」

「何だ」

「最初からそこまで決めて座るんですか」

「全部は決めない」

「ですよね」

「一つでいい」


 小田切は短く言った。


「利かせたあと、何を得たいかを一つ」

「一つ」

「そうだ。右辺から中央へ出る石なら、そのあと中央の呼吸を得たいのか。先手を持ちたいのか。相手の石を重くしたいのか。今日はどれを見るのか、それだけでいい」


 湊は息を吐く。


 また一つだけか、と思う。

 でもたぶん、それでいいのだ。一つずつしか持てないから、ここまで来られた。


「得たいものが決まっていれば」

 と小田切が言う。

「相手に受けさせたあと、次の一手が少し細くならない」

「決まってなかったから、ああなった」

「そうだ」


 会場の奥で、次の組み合わせを告げる声がした。

 人がまた少しずつ動き始める。


「おまえは」

 小田切が言う。

「前は嫌な流れを見ていた」

「はい」

「次に、石を残すことを覚えた」

「はい」

「その次に、その石が働くかを見るようになった」

「……はい」

「今日はそこに、もう一つ足す」


 湊は顔を上げた。


「利かせたあと、何を得るか」

「そうだ」


 短い。

 でも、今日の自分にはそれで十分だった。


「次、何を得たい」

 と小田切が聞く。


 湊は少しだけ考えた。


 右辺の石。

 中央へ出る流れ。

 相手に一手使わせた、そのあと。


「中央の呼吸です」

 と湊は言う。

「その石が、最後まで中央に利く形を取りたい」

「それでいい」


 小田切はうなずいた。


「地じゃなくていいんですか」

「今日はそれでいい」

「先手じゃなくて」

「それも悪くない。だが、今のおまえなら中央の呼吸の方がぶれにくい」

「……はい」


 ぶれにくい。

 その言い方が、今の湊にはありがたかった。


 全部を持てない。

 でも、一つなら持てる。


 石を残す。

 働かせる。

 相手に受けさせる。

 そのあとで、何を得るか。


 今日は、中央の呼吸。


「行ってこい」

 と小田切が言う。

「今度は、受けさせたあとを自分で決めろ」

「はい」


 湊は歩き出す。


 次の席までの距離は短い。

 その短いあいだに、頭の中で持つものがまた一つだけ増えている。


 何を得る手か。


 まだ大きいことは言えない。

 それでも、その一手の意味を前より少しだけ自分で決められる気がした。

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